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Groovin'

東京は神田神保町のオールディーズバーです。アナログレコードを中心に涙なしには語れないBGMと美味しい洋酒。エレキギターを弾いたり歌ったり。 お気軽にドアを開けて下さいね。
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  • 05/19/19:02


オープン3周年企画その①「モヒートフェスティバル」

オープン記念日10月18日(日)は定休日でした。のんびり眠り、午後より家を出てジムで筋トレなんかしてまったり、その後家に戻り夕食と一緒にビールや焼酎でしんみりと自分にお祝いしました。
ずっとお店を支えて頂いたお客様に心より感謝申し上げます。

さて3年間の営業で当店の中では人気のメニューがモヒートです。
ラムのほのかな甘み、すがすがしいミントの香り。ウイスキーの前の一杯にもぴったりです。実は使用しているスペアミントは私の家で栽培しているものです。

3周年企画の第一弾は「モヒートフェスティバル」と銘打ち10月26日(月)から29日(木)までの間モヒートをワンコイン500円にてご提供させて頂きます。(バカルディゴールド使用)
何杯飲んでもかまいませんが度数が強いものですからそこはご注意下さいね。ハイ!!
さあ年末まで企画は続きますよ。お楽しみに。

●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
            その15 「抱きしめたい」を楽しもう

64年米国にて大爆発したザ・ビートルズ。
そのきっかけがこの曲でした。
本日は一人でも弾き語りが出来るようにコピーしてみました。
いやあ本当に若さ一杯の名曲です。ギターコードも単純なのですぐに弾けてしまうと思います。

さて次回以後は新コーナーとして初心者からのドラム奏法を一緒に探っていこうという企画「目指せ、イカす親父ドラマー」と交互に掲載して行こうと思います。そちらもお楽しみにね。

                 
               
                 「抱きしめたい」

                                ザ・ビートルズ
 C  D  C  D C  D


     G     D
Oh yeah, I'll tell you something,
Em        B7
I think you'll understand.
   G      D
When I'll say that something
Em         B7
I want to hold your hand,
C     D    G Em
I want to hold your hand,
C     D    G
I want to hold your hand.

  G       D
Oh please, say to me
Em         B7
You'll let me be your man
   G      D
And please, say to me
Em           B7
You'll let me hold your hand.
C      D     G Em
Now let me hold your hand,
C     D     G
I want to hold your hand.
Dm     G      C     Am
And when I touch you I feel happy inside.
Dm     G       C
It's such a feeling that my love
   D   C   D   C   D
I can't hide, I can't hide, I can't hide.

   G      D
Yeh you, got that something,
Em        B7
I think you'll understand.
   G      D
When I'll say that something
Em         B7
I want to hold your hand,
C     D     G Em
I want to hold your hand,
C     D     G
I want to hold your hand.

Dm     G      C     Am
And when I touch you I feel happy inside.
Dm     G       C
It's such a feeling that my love
   D   C   D   C   D
I can't hide, I can't hide, I can't hide.

   G      D
Yeh you, got that something,
Em        B7
I think you'll understand.
   G      D
When I'll say that something
Em         B7
I want to hold your hand,
C     D     G Em
I want to hold your hand,
C     D     Em
I want to hold your hand.

C     D     G
I want to hold your hand


●ロックンロールよもやま話    -その68-
               「ニール・セダカに有難う」
                               ご案内:チャーリー・冷奴

ロックンロールが甘いポップサウンドにそろそろ移ろうという頃、日本を含む世界各国の若者の心を捉えた米国の若手歌手、その一人にニール・セダカがおります。
1939年3月13日ニューヨーク生まれ。
 

ピアニストの祖母の影響で幼くしてピアノを始め、その才能は飛び抜けていて十代にはショパン演奏で歴史的なピアニストのあのルービンシュタインに認められる程であったそうです。
高校時代はその後有名になるザ・トーケンズに在籍していました。

高校を卒業してジュリアード音楽院に進みピアノの研鑽はもちろん作曲の勉強もします。
この頃はピアニストを目指していたでしょう。
時代はブルースやカントリーから派生したロックンロール熱が米国を襲っていました。彼も当然強い影響を受けた訳です。

そしてそろそろハードなロックンロールからロッカバラードへ。
作詞家ハワード・グリーンフィールドと組んでロックの曲を書きコニーフランシス等に曲を送る程になりました。
ニールは歌手でシングル盤を少し出していましたが、さほど注目は浴びていなかったと思います。
最初に成功を収めたのが「恋の日記」でした。58年にRCAより発売されたこの曲、14位まで上がる大ヒットでした。この曲をもってデヴューと考えてもいいかもしれません。
続く「アイゴークレイジー」も42位とスマッシュヒットでした。
彼の最初のベスト10内ヒット曲は59年「おおキャロル」です。9位まで上がります。なおB面は日本で爆発的な人気となった「恋の片道切符」でした。
彼が米国で安定してヒットチャートに曲を送り込み出すのはむしろ60年からでしょう。
「星へのきざはし」が60年9位の大ヒット、「君こそすべて」「ランサムソンラン」は両面でスマッシュヒット、61年は名曲「カレンダーガール」が4位です。次の「小さな悪魔」も11位でした。「スイートリトルユー」がスマッシュヒットの後は「すてきな16歳」が6位となります。

彼が初めて1位を獲得するのは62年「悲しき慕情」です。その後「可愛いあの娘」が5位まで上がります。(60年代後半、日本のGSアングラグループのザ・ダーツやジャイアンツの「ケメ子の歌」の元歌で有名ですね。)

ニールはロッカバラードの時代を大スターとして駆け抜けました。

この後やはり他の同世代の歌手同様人気に陰りが…
63年に入り、やはりまわりのサウンドが変わってきていたのでしょう。「不思議の国のアリス」は17位と好調でしたが「よりを戻そうよ」が少しランクを下げて26位「ドリーマー」は素晴らしい楽曲なのに47位でした。
「バッドガール」33位と健闘しますが全盛時の勢いはもうありません。
しかしながらこのオールディーズの時代に20曲近いヒットを出しているのですから大したものです。
その後しばらくヒットチャートから遠のいても活発に活動を続け74年「雨に微笑を」で1位をとり見事に復活です。その後は再びヒットチャートの常連となり75年「バッドブラッド」は脅威的な大ヒットで3週連続の1位となりました。また「悲しき慕情」をスロウバラードで再録音、これは8位まで上がりました。
楽曲提供も素晴らしいものでキャプテン&テニールはニールの「愛ある限り」をカバーして75年に1位をとりました。

さてオールディーズ時代、同じシンガーソングライターとしてポール・アンカと比べる事が日本ではよくあると思います。実際2度の黄金期を持つのも共通していますが最初の全盛期にポールはニールよりヒットが多い事とアイドル性がニールよりかなり高い感じがありイメージが違うと思います。ニールはハンサムですが背もあまり高くなく若い頃からやや小太りであった感じで大人びた感じがします。アイドルというよりヒットメーカーかな。
ただ二人とも日本の歌謡曲に与えた影響は多大なものだと私は思います。
60年代に日本で流行した歌謡曲は3連譜のスロウバラードが多くなっております。やや専門的になってしまいますが一つの拍をゆっくりと3等分にするものですがニールでいうと「恋の日記」「きみこそすべて」、ポールでいえば「クレイジーラブ」「君は我が運命」等。
彼らにしても黒人のドゥーワップのスロウバラードに強く影響を受けたものでしょうがこのリズムが日本人にぴったりあったのでしょう。(タタタ・タタタ・タタタ・タタタ)
「硝子のジョニー」「アカシアの雨がやむ時」「柳ヶ瀬ブルース」「君こそ我が命」「港町ブルース」「長崎は今日も雨だった」「バスストップ」「旅の終わりに」等、恐らくはニール達が日本で脚光を浴びていなければこの手のヒット曲はいくつ存在していたのでしょうか。
昭和30年代から以後の歌謡曲は違ったものになっていたのではないでしょうか。いかにアメリカンポップが日本に与えた影響が大きかったか。

ニールは現在70代ですがまだまだ元気でライブ活動を行っております。それもオールディーズ歌手の枠を完全に飛び越えてエンターテイナーです。
やや太り気味なのは心配ですが…
いつまでも笑顔が素敵で明るい歌声…軽くステップを踏みながらのパフォーマンス。重厚なピアノ演奏。
そんな彼と同時代に存在できる幸せ。日本音楽史の大恩人でしょう。日本人として本当に彼に心より有難うと伝えたいものです。本日もチャーリーが担当しました。

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秋爛漫、「散歩の達人」10月号に掲載して頂きました。&またもやよもやま話で。。。

●交通新聞社「散歩の達人」2015年10月号にお取り上げ頂きました。

有難い事に掲載して頂きました。交通新聞社編集スタッフの方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
10月号は神田神保町界隈の特集です。売切れも予想される人気雑誌でございますので是非お早めにお買い求め下さいませ。税込700円です。安い!
http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/

また日経BP社「大人のロック」創刊10周年記念特別号のロック酒場訪問ページにも昨年掲載して頂いております。まだ購入が可能のようですのでどうぞお早めに。1000円+税です。
http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/rock/

●しつこいですけど再度10月の営業について
お休みは以下の予定です。

・10月 4日(日)
・10月11日(日)、12日(祝)
・10月18日(日)
・10月25日(日)

計26回の営業となります。ご来店お待ちしております。

●ロックンロールよもやま話    -その66-
               「70年代の懐メロスター達」
                               ご案内:チャーリー・冷奴

自分は70年代に学生時代を送っております。
この頃の世界のポップス界はちょっとした50年代60年代のサウンド回顧のブームがありました。グルーヴィンがお得意とするロックンロールのオールディーズ時代の甘酸っぱいサウンドが70年代に見直されたという感じ。これは特に70年代初期から中期位であったかなとおぼろげながら記憶しております。もちろん日本のアイドル達もその渦に巻き込まれておりました。

カーペンターズがファンの人気を集めていた時期で、そろそろ北欧からアバが登場し始めた頃ですが彼等のような大スターではないかもしれませんが同様に甘く懐かしくて心に残る。そんな素敵なサウンドを持ったアーティストを綴ってみますね。

① トニー
オーランドとドーン 

トニーは米国60年代初期のアイドルスターでした。
「ブレスユー」「ハーフウェイトゥパラダイス」のヒットを持つ彼、私も大好きな歌手です。

さてドーンというグループ、実体不明であったようです。元は白人の4人組でスタートしたらしいのです。突然なんと全員がメンバーチェンジという事が発表されました。新しいメンバーはかつてのスターのトニーをボーカルにした6人のバンドです。ところがどっこい、どうも実際にドーンとしてどぉ~んと姿を現したのはたった3人でした。話が長くなるので<はしょり>ますがトニーが「恋するキャンディダ」という曲を気に入りレコード会社に売り込んでいると「いいじゃん、これ。でも歌う奴がいないんだよね。」という感じでした。
結局デモテープを歌ったトニーが本録音も担当する事になりレコードは70年に発売されました。

どうもトニーは自分の名前を出したくなかったらしくドーンという既存のグループ名を使用したらしいです。この曲なんと全米中の大ヒット、続いて発売の「ノックは3回」に至ると輝く第1位を獲得する事となってしまうのです。ゲゲッ、想定外が起こってしまいました。
「まいったな。コンサートもしなきゃなんないし、偉いこった。」

その後も歴史に残る名曲「幸せの黄色いリボン」や「嘆きのジプシーローズ」「イチゴ畑のサリーちゃん」「恋のシーソーゲーム」等多数のヒットを放つ事になりました。こうなるとメンバー構成等はもうどうでもいいようなもので楽曲そのものの出来の素晴らしさを楽しむのが一番かと…ありゃりゃ、この人達アバやカーペンターズに全然負けてないや。

② マッド 

こちらは英国のバンドです。実は日本では曲が流行したという事はなかったと思います。ボーカルのレス・グレイ他計4人組のバンドです。

このよもやま話でも以前ご紹介したルベッツと同じのりのオールディーズ風のややハードなバンドでした。
60年代後半にスタートしているのですがすぐにヒットは出ませんでした。
73年「クレージー」が英国チャートの好成績を収めると「ダイナマイト」「タイガーフィート」「恋のロケット」等が大ヒットとなります。

レスのボーカルは完全に全盛時代のエルヴィスを意識したものでしょう。70年代中盤までは常に英国チャートを賑わすトップのオールディーズバンドでした。しかしながら米国や日本ではほとんど無名であったのは残念です。

なおボーカルを担当したレスは2004年、ドラム担当のデイブ・マウントは2006年にこの世を去っています。

③ パイロット 

やはり英国のバンド、元はベイシティローラーズに在籍していた人が中心になり結成されたようです。

私が彼等のサウンドを初めて聴いたのは75年に日本でもヒットした「コールミーラウンド」という曲です。66年位のビートルズのようなメロウな感じがとっても切なく気に入ってしまいました。

さかのぼりますが74年に英国、米国で「マジック」が大ヒット。
他にも「ジャニュアリー」といった大ヒットがあります。ただ人気が続かず徐々にヒットチャートから離れていきました。

キーボード、ドラムス、ベース、ギターの4人編成、彼等のプロデュースはアラン・パースンズが担当しました。
なおバンドでキーボードを担当したビル・ライアルは89年にこの世を去っております。

④ アラン・シャンフォー 

おや珍しいフランチポップのスターです。
ピアニスト、シンガーソングライター。

74年の秋に突然日本の洋楽チャートで大ヒットしたのが「初恋にボンジュール」。早いテンポの曲で日本人好みの哀愁がたっぷりのナンバーでした。

次のシングルは更にオールディーズぽい「気まぐれな恋」でこちらもかなりのヒットとなりました。

75年に東京音楽祭で来日、センチメンタルでやはりオールディーズ風の「そよ風のセレナーデ」を熱唱、日本の若い女性をとりこにしました。この時は私もテレビで彼のカッコいいステージ姿を拝見しました。若い頃の川崎麻世さんといった感じでしょうか。

180センチを軽く超える長身で細身、あり得ない程ハンサムな青年でした。当時22歳位でしょう。
日本ではその後カネボウのCMで「ボンジュールお目目さん」を歌いヒットさせております。テニスや空手が好きなスポーツマンでもありました。

話が飛びますけど同系統の歌手に「ギンザレッドウィウィ」のデイブがおりました。やはり化粧品のCMで使用されヒットしたのでこのアランと混同する方も多いのでは。

アランは今も変わらぬ素敵なおじさんでフランスでは人気者、まだまだライブ活動をしております。

1950年代のオールディーズロック。その後のポップスの歴史に大きな影響を与え続けています。特に70年代は日本でもオールディーズブームが起こり今でも有名なライブハウス「ケントス」はそのあたりから営業されていると思います。

さて本日ご紹介した音源はグルーヴィンに大事に保管されております。リクエストされてみたらいかがでしょう。

それにしても再びオールディーズブームが起きないでしょうか。グルーヴィンの景気も随分違ってくるとは思いますが。ハイ、本日もチャーリー・冷奴が担当しました。

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間もなくオープン3年です。

●10月の営業について

お休みは以下の予定です。

・10月 4日(日)
・10月11日(日)、12日(祝)
・10月18日(日)
・10月25日(日)

計26回の営業となります。ご来店をお待ちしております。

●間もなくオープン3周年です。

もう10月、秋本番ですね。さてGROOVIN’はオープン3周年となります。
平成24年10月18日(木)の夜7時が初営業でした。当時最初の数週間は大半知り合いが中心の来店であったと思います。有難いものでした。

しかしながら肝心の一般の方々に存在が知られて来るまでに相当時間が必要だとすぐに認識しました。何しろビルの地下のショットバー、ちょっと入り辛いです。いかに気軽に扉を開いてもらえるか。そして何よりここにミュージックバーがある事がまったく知られていないのが大問題でした。とにかく目立たないのです。

まずはブログを開設して時間をみては記事を更新したり工夫をしました。
意外と効果が出たのはチラシ巻きであったと覚えております。随分長い期間店舗ビル前の靖国通りで配布したので受け取って頂かなくても「あの親父また配ってるな」と認識はされていたのでしょう。
そのうちに顔を覚えてもらい受け取ってもらえるようになるとそのチラシを持ってお店に入って頂けるようになりました。この頃のお客様は現在でも多数続けてご来店頂いています。
また25年8月に思いきって電飾看板を購入したのは長い目で見てとってもPR効果がありました。

それでもそうそうお客様は増えるものではありません。1年目、2年目とかなりシビアなものでしたが今から半年ほど前からご常連のお客様が急に増えてまいりました。昨年同時期に比べほぼ倍になった感じです。
ここ一年で有難い事に有名雑誌等に計3回お取り上げ頂きそれが大きく周知につながっていったのでしょう。

嬉しいのは若い女性の方がお一人やお二人とかでドアを開けて頂く事が多くなりこれは当店の数少ない自慢です。
しかしながら私の目標は現在の倍のお客様にご来店頂き、もっとお客様同士カウンターで交流して頂く事なのです。お友達になってもらったり、趣味のサークル、バンド等に発展していったらどんなに素晴らしいでしょう。

当店のコンセプトはオールディーズロック、これは今後も変わる事はございません。ギターを弾いたり歌ったり、BGMでウンチクを楽しんだり。洋酒がそれらをつつみ込んでくれる、そんなミュージックバーをこれからも目指しています。

3周年記念の日、10月18日は日曜ですので営業は行いませんが年末までは記念企画をしていこうと考えています。なにしろロック60年の節目の年でもあります。
さあいよいよ4年目の営業に入ってまいります。どうぞ今後も変わらぬご支援の程、お願い申し上げます。

●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
 その14 「ヴィーナス ロマンチックな名曲を弾いてみよう」

はい、お久です。
今月はフランキー・アヴァロン59年の名作「ヴィーナス」です。近年はショッキングブルーの同名曲(異曲)が有名ですがこれ以上ロマンチックな曲が他にあるのかという程の歴史的な作品です。
今回はコードのかき鳴らしで終始しますので左手のコードの形を覚えてしまえば後は右手のストロークがスムーズに出来ればすぐ完成です。
私が弾いている映像、またもや音質最悪ですみません。
右手ストロークはルンバのイメージで弾いていますが現在はあまり使用しないリズムパターンなのでゆったりしたエイトビート等で代用して演奏されてよいと思います。

                 「ヴィーナス」
                                フランキー・アヴァロン

カポタスト 3フレット

イントロ&コーラス
Gmaj7      Am7 D (2回)

Gmaj7      Cmaj7  D7
Hey, Venus! Oh, Venus!

Gmaj7
Venus if you will,
Am7  D      Gmaj7   
Please send a little  girl for me to thrill.
Am7   D     Bm7      E7
A girl who wants my kisses and my arms,
Am7      D7     Gmaj7  Am7 D7
A girl with all the charms of you.

Gmaj7
Venus, make her fair,
Am7  D     Gmaj7
A lovely girl with  sunlight in her hair.
Am7 D         Bm7     E7
And take the brightest  stars up in the skies,
Am7    D7         Gmaj7  Am7 D7
And place them in her eyes for me.

Cmaj7  Am7   D7     Gmaj7
Venus, goddess of love that you are,
Em7   A7    Dmaj7
Surely the things I ask,
Em7   A7     Am7  D7
Can't be too great a task?

Gmaj7   
Venus, if you do,
Am7 D     Gmaj7
I promise that I  always will be true.
 Am7 D     Bm7      E7
I'll give her all the love I have to give,
Am7      D7    Gmaj7  Am7 D7
As long as we both shall live.

Cmaj7  Am7    D7    Gmaj7
Venus, goddess of love that you are,
Em7  A7     Dmaj7
Surely the things I ask,
Em7  A7      Am7  D7
Can't be too great a task?

Gmaj7
Venus, if you do,
Am7   D    Gmaj7     
I promise that  I always will be true.
Am7 D      Bm7     E7
I'll give her all the love I have to give,
Am7      D7    Gmaj7  Am7 D7
As long as we both shall live.

Gmaj7     Cmaj7  D
Hey, Venus! Oh, Ve-nus...
        D7        Gmaj7  Am7  D,  Gmaj7 Am7  D, Gmaj7
Make my wish come true...





●ロックンロールよもやま話    -その65-
       「ロッカバラードとカントリー、そして歴史に残るポエトリー」
                               ご案内:チャーリー・冷奴

何回か前の書き込みでコニー・フランシスを取り上げましたが彼女は日本語での楽曲を数多く録音発表しています。日本でコニーが大成功した事もありその他海外の一流歌手も60年代初期から中期に随分日本語での録音を試みていて日本のポップスファンを喜ばせてくれました。
今日はそんな有難いアーティストの中から一人を選んでお話したいな。誰がいいのだろう。
そうだ、この人にしようという訳で本日のよもやま話の主役は米国の人気歌手、ソングライターであり今でも元気なジョニー・ティロットソンです。

1940年フロリダのジャクソンビル出身。小さな頃よりカントリーに興味を持ち程なくしてギターやウクレレを習得したようです。高校時代には自身のバンドでローカルのテレビ番組に出演していたようです。

大学時代にはいよいよケーデンスレコードと契約するのです。ケーデンスはあのグレートなエヴァリーブラザースがすでに大活躍しておりました。

デヴューは58年甘いロッカバラード「夢見る瞳」
この曲はジョニーの自作でした。B面はやはり自作でアップテンポのロック「ウェルアイムユアマン」でいきなり両面ヒットとなります。(「夢見る」は63位、「ウェルアイム」87位)
幸先よいスタートでした。その後も大ヒットではないですが数曲をチャートに送り続ける安定した活躍でした。ゆったりしたロッカバラードが多く甘い歌唱がとても魅力的でした。アイドル性もかなりあったと思います。

さて60年に入りある曲に出会います。ややアップテンポの「ポエトリーインモーション」です。本人もスタッフも録音時に大ヒットの感触を持っていたでしょう。
伸びやかな甘い歌声、サックスのからみ、女性コーラス隊のかっこよさ。幻想的とも言える歌詞。ロックンロール史上に残る歴史的な作品が誕生したのです。

さあいよいよ発売されたこの曲、あっという間にチャートを駆け上り10月31日付でベスト10内の9位に登場、11月14日付で最高2位まで上がるミリオンセラーとなりました。レイ・チャールズの名作「我が心のジョージア」を追い抜けなかったのが残念でした。しかし完全に全米のスターになったのです。
次の「ジミーズガール」もヒットしその後「ウィズアウトユー」が7位まで上がる大ヒットです。
さてロッカバラード歌手として大成功した彼、「夢見る瞳」を再発売し再ヒットの後大変な方向修正をします。なんと「涙ながらに」というカントリーの曲を自身で作り発表。これが62年6月16日付で3位まで上がります。凄い事になりました。この後もカントリーの作品「夢の枕を」をヒットさせます。これでもかとカントリー作品「アイキャンヘルプイット」「アウトオブマイマインド」等をヒットさせます。この後一度ロッカバラード路線に戻り「ユーキャンネバーストップミーラビングユー」をヒットさせます。
程なく会社が解散する事になったケーデンスレコードを去りMGMに移籍しても65年位まではヒットを連ねます。ロッカバラードもカントリーフレーバーのあるものもうまく取り入れて長い人気を保ちました。

さて私がそんなジョニーのベストアルバムを手に入れたのがずっと後の70年代中頃の高校時代。
針を落として聴いた時ややイメージが違っていたのです。結構カントリー色の強い人だったのかなと思いました。それでも楽曲の良さのため聴き込むうちにすっかり違和感は消えてしまいましたが。

ジョニーが日本で脚光を浴びたのは米国の成功からだいぶ経った63年「キューティーパイ」という愛らしいアップテンポのロックでした。
60年代初期の日本ではあまりにカントリー色が強くなっていったジョニーの米国でのヒット曲を売るのは難しいなと思ったのでしょう。その後も甘いロッカバラードの「プリンセスプリンセス」「うつろなハート」「素敵なガールハント」といった米国シングルのB面曲をA面として発売をしてそれが功を奏して人気を得ていったのです。彼をスターダムに押し上げた「ポエトリーインモーション」もこの時期「ポエトリー」という邦題で発売されヒットしたそうです。
結局カントリー色を薄め、アイドル路線とした方が得策であったのでしょう。日本と米国では少し彼のイメージに差があるのではないでしょうか。

さて冒頭の日本語録音ですが「涙くんさよなら」「ユーアンドミー」「バラが咲いた」がグルーヴィンに保管されております。(日本語、英語の両方で録音されています。)
コニー・フランシス同様に相当な熱演です。是非お聴きになってみて下さい。
またなによりもケーデンス時代の大半のシングル発表曲がお楽しみ頂けます。しかもアナログ盤のベストLPで2枚です。針音で当時のサウンドが聴けるわけですね。ハイ。
少年時代から心底カントリーが好きだった彼、しかし50年代後半の世界中のロック熱がそれを阻んだのでしょう。スタートは当然ロックだったのです。
60年代初期に入り米国でカントリーを見直す動きが出てレイ・チャールズ、スキータ・デイビス等がヒット作品を残しております。
こうしたこの時代の動きの中において先ほどご紹介したジョニーの一連のカントリー作品の存在は非常に大きなものだそうです。
ロックアイドルとしてもカントリー歌手としても愛されたジョニー・ティロットソン、そして貴重な日本語録音。
いやあ古くたっていいものはいい。現在70代のジョニーは今も元気でライブ活動を行っております。万歳ィ。。。

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9月の特別営業、当店のBGM、話題も豊富です。

9月の当店のお休みは日曜日のみです。

それでは繰り返し9月の祝日特別営業をシツコクお知らせ致します。


☆ オープン3周年記念特別営業「夕方からグルーヴィン」及びロックンロール生誕60年記念その⑤⑥⑦

・9月21日(月・敬老の日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑤「バディ・ホリー特集・伝説の天才ロックンローラー」

・9月22日(火・国民の休日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑥「エルヴィス・プレスリー特集・ロックンロール黄金時代」

・9月23日(水・秋分の日) 夕方5時オープン夜11時クローズ
⑦「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう。パート2」


●古臭いBGMが今日も流れます。

夜8時にオープンするとすぐにお客様がいらっしゃる時と相当時間がたってからドアが開く時といろいろです。お店を始める前は想像もしていなかったのですがバーは早い時間から賑わうものではないのですね。ですから大概のショットバーは7時オープンが多いと思います。お仕事が終了して一軒目のお店は恐らく居酒屋さんという事になりますね。となると7時から飲み始めれば2軒目以後のバーに来るのは必然的に9時・10時という事が自然になります。
むしろグルーヴィンは朝まで営業するのが売りですのでいわゆる真夜中に賑わう事がよくあります。
さてさて早目の時間にお客様がいない状況でもBGMのオールディーズロックを流しています。3年近く営業しているのですがコンセプトのBGMは変わりません。
お客様のご希望で70年代以後のロックやポピュラーソングをかける事もあります。
ただせっかくこのお店に来ているのだから是非とも多少無理をしてもオールディーズロックを聴いて欲しいのです。ハードロックやディスコ・ソウルは他店舗の音源が充実したミュージックバーでいくらでも味わえます。むしろ当店なんかお話になりません。

最近男性のお客様が実に面白い発想でご来店されました。
「ハードロック以前のロックをさかのぼって聴いてみたいのですけど」
これは素晴らしい考え方だと思います。ブリティッシュグループ等がカヴァー演奏した曲のオリジナルを聴くと「オオッ~、これは凄いな。」
一例をあげるとザ・フー「サマータイムブルース」。オリジナルは当然若くしてこの世を去ったエディ・コクランです。この曲は熱心なロックファンでもエディが最初に大ヒットさせたものだと知られていない事が多いのです。

ストーンズ、ビートルズをさかのぼればリトル・リチャードやチャック・ベリーに到達したり、ロイド・プライスやラリー・ウィリアムスとか。

最初のハードロックはなんだろうと言われたのですが「キンクスのユーリアリーガットミーに雰囲気が感じられます。」と答えました。実はキングスメン「ルイルイ」あたりもありかなと思います。
エレキギター奏者のリンク・レイの58年のヒット「ランブル」もすでにハードロック感が出ております。
結構知識が豊富な方でもことロックになると拘ってしまう事も多いようです。
「俺は●●以外はと聴かない。」とか「○○は感性にあわない。」とか、ジャンル分けや決めつけがお好きな方も多いのですね。

新しいものを聴くのは自然なのでしょうが、どんなに古いものだって初めて聴けば新鮮な発見なのです。実は古いからかっこ悪いのではなく結構かっこいいのです。ご自分のお好きな時代だけに拘る事もないのでは。
さて屁理屈はともかく、のんびりとさかのぼって聴いてみてください。あなたの好きなロックアーティストはさかのぼれば恐らくビートルズに行きつくのかもしれません。決めつけるのは嫌いですが、これは避けて通れないでしょう。そしてそこから更にさかのぼるとロックンロールやロカビリー、ブルース、カントリー&ウェスタンとなるのかもしれません。
せっかく都内にこんな変な店があるのですからどうぞ皆様、昭和30年代のロック音楽を体感してみて下さい。
あなたにとってただの古い不要な音源なのでしょうか。それとも・・・そうでないとしたらその興奮は計り知れないもの。言い方は良くないですがエクスタシーになってしまうかもしれません。
あっ、もちろん美味しい洋酒がお供させて頂きます。

●ロックンロールよもやま話    -その64-
            「超セクシーなロカビリー・一瞬の煌き」
                               ご案内:チャーリー・冷奴

ロックがカントリーミュージックとブルースのシャッフルとすると特に白人歌手側は当然カントリー歌手がブルースに傾斜していったのですね。ロカビリー音楽は特に白人側の味わいが強い楽曲という事でしょうか。

エルヴィスが台頭する頃、やはり同系統の歌手は多数いましたがじゃあ皆ヒットを飛ばせたかというとそうでもないようです。ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンスあたりは大成功例です。彼等よりやや後輩のバディ・ホリー、エディ・コクラン、バディ・ノックスもそうでしょう。そして本日の主役もその一人、ジーン・ヴィンセントです。

35年2月11日バージニア州ノーフォークで生まれました。本名はヴィンセント・ユージン・クラドック。実家は貧しい家庭だったそうです。

ハイスクール時代ブルースとカントリーが好きであったそうでどうもこのへんもロカビリー構築に関係があるのでしょう。
ハイスクールは途中で退学、なんと海軍に入るのですがどうも年齢を偽っていたようなのです。得意のギターはこの時あたりから磨きがかかったようですね。
53年(55年説もあり)運命を左右するオートバイ事故により一生左足が曲がらなくなる程の重症を負います。

除隊後は故郷でラジオ番組に出演、歌っていたりしていましたがこの時に仲のよかったDJと一緒に曲を書いたのが歴史に残る名曲「ビーバップアルーラ」だそうです。作曲はジーンのようです。
この曲をまずはテープに録音してみてキャピトルレコードに持ち込みました。あまりに衝撃的な曲、セクシーすぎてこんなのまずいというところかキャピトルは「駄目だよ」と反発したようです。しかしその中でもこの曲の魅力を認めた重役が一人いてなんとか契約が出来たようです。最初は「ビーバップアルーラ」はどうもB面であったのですがなんと56年6月に9位まで上がる空前の大ヒットになりました。バックには名ギタリストのクリフ・ギャラップを配するブルーキャップスを従えており彼等の衣装はツナギや皮ジャンにハンチング帽をかぶり、まさにバイク乗り、ゴロツキのイメージです。何よりギターをかき鳴らしながらのジーンの歌唱が何かを連想させる吐息でマイクロフォンにからむ放送禁止もの、実にセンセーショナルであったようです。まさに初期のロックは悪魔の音楽であったかもしれません。特にこのロックのイメージはジーンとジェリー・リー・ルイスによって強められた感がありますがいかがなもんでしょう。

さて人気はこの時期が最高であったようです。その後発表するシングルはなんとヒットランクを下げてしまいます。セカンドの「レースウィズザデビル」は96位の小ヒット、6枚目の「ロッタラヴィン」は14位とかなり大きなヒットになりましたが7枚目の「ダンストゥザバップ」は43位のスマッシュヒット。ようするにその他のシングルはヒットしなかったのでしょう。ただなかなかの名曲もあり「ブルージーンバップ」「セイママ」「シルヴァリームーン」等は歴史に残る名演とも私は思いますです。
59年6月には来日して東京有楽町の日本劇場のステージ「日劇ウェスタンカーニバル」に客演、不自由な左足をひきづりながら熱演をした記録が残っております。

米国での人気もかげったものですが英国等ヨーロッパでは相変わらず評価が高くエディ・コクランと組んで60年にツアーを行い好評を博します。この時英国でまたもや彼を交通事故が襲います。ツアーが程よくかたづいてしばし休暇に入るかという事でエディ達とタクシーで空港に向かう途中、追突で車が大破、この事故でエディは亡くなり、ジーンは怪我を負います。しかし英国での活動していた時代は事故はともかく彼の一番輝いていた時期なのかもしれません。

その後も彼は演奏活動を続けます。時代はアイドルポップの時代、彼も「ミスターロンリネス」や「ラッキースター」といったポップな曲を録音しています。それもなかなかクールな出来になっています。
そして数年、時代はブリティッシュバンドの時代に。

71年10月31日ロスの病院にて胃潰瘍でこの世を去ります。お酒の飲み過ぎが影響したという話も聞いた事がありますがどうなのでしょう。36歳でありました。

ロカビリーは非常に短い期間の一瞬の煌きだと思えます。他のロカビリアンは結局エルヴィスを凌ぐ事はなくブームの後、元のカントリー界で大成功した例も多いです。
コンウェイ・トゥイッティ、ジェリー・リー・ルイス等は黄金時代を二度持っていると思います。カール・パーキンスもそうでしょう。ジーンには「ビーバップアルーラ」の成功の後どうしても激しい尻すぼみのイメージがついてしまいます。何か寂しい感じがします。
ジーンはカントリーではなく死の直前までロックを貫いたようです。ただ時代はもう新しいロックの時代、56年、57年以上の成功はもう訪れる事はなかったのも仕方ないです。

「ビーバップアルーラ」は世界中のロッカーにカヴァーされ後年ジョン・レノンも取り上げています。
ジーンは大変短い全盛時代、またその生涯でしたがその代わりに彼の音源は2015年の今でも世界中で発売されて数多くの音楽ファンに親しまれています。
それでも現代の若い世代にはまったくお馴染みのない歌手かもしれません。

歴史に残る彼の作品達は東京神保町のこのちっぽけなお店でもLPアナログ盤数枚でお楽しみ頂けます。

レコード針がとんでもなくセクシーな声を再現しています。60年近く前のこのヴォーカルは今の若い女性が聴いても相当刺激的でしょう。彼のスタイルを今の男性歌手が行ったら紅白歌合戦に出られないかもしれませんです。NHKお出入り禁止か。

冗談は置いといて、どうぞグルーヴィンにてウイスキー等美味しい洋酒と一緒にそんなジーンのエモーショナルなサウンドをお楽しみ下さい。古き昭和の30年代、今の暗い時代にない躍動がきっとあなたの心に蘇りますから。
ロック60年・・・本当に万歳。。。ウウッ(T_T)/~~~

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ロックンロール生誕60周年記念続きます。

●ロックンロール生誕60年記念その④「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう」

1960年代の初期、英国内で多数の若手のバンドがしのぎを削りました。
当時の英国ではなぜか50年代の米国産の古臭いハードなロックンロールやリズム&ブルースにも相変わらず拘りがあり荒削りながらも斬新なビートでライブを行うグループが多数存在しておりました。その中のトップバンドがその後に英国のヒットチャートに登場しビートルズの米国進出大成功後はそれを追従する形で世界に名が知れ渡るようになりました。


さてグルーヴィンでは7月8日(水)~11日(金)はロックンロール生誕60年記念その④「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう」と銘打ち主にビートルズ、ストーンズ以外のバンドの音源を中心にBGMとしてお楽しみ頂こうと思います。(この二つのグループは横綱なので・・・いまさらね!)


主な音源

ゾンビース、ホリーズ、アニマルズ、ビリーJクレーマー&ダコタス、マンフレッドマン、ピーター&ゴードン、サーチャーズ、スィンギングブルージーンズ、ジェリー&ペースメイカーズ、ハーマンズハーミッツ、フレディー&ドリーマーズ、ウェイン・フォンタナ&マインドベンダース等有名処・・・(アナログレコード及びCDにて)

60年代世界中の熱狂的なファンを獲得した彼等の全盛時のサウンドをグルーヴィンで美味しい洋酒とご一緒にお楽しみ下さい。

●7月の定休日のお知らせ

梅雨も後半です。
さて7月は下記のよう定休を頂きます。
(変更が出る場合は当ブログでお知らせ申し上げます。)

定休日
・7月 5日(日)
・7月12日(日)
・7月19日(日)
・7月20日(祝)
・7月26日(日)
従いまして7月は26回の営業でございます。
後半は暑くなるでしょう。

夏男の私、久し振りに連休も頂戴するので海かプールでばっちり焼いてみようっと!


●ロックンロールよもやま話       -その56-

                 「戻って来たエルヴィス」
                               ご案内:チャーリー・冷奴

58年春先に入隊したエルヴィス、時代はまだワイルドなロックンロール時代であったかな。60年に除隊しましたがこの期間でポピュラー音楽はかなり変化したようです。
ポップス界には若手女性歌手も台頭してきました。そして何より若いアイドル系の男性歌手。しかもその連中の実力も素晴らしいものでした。ニール・セダカ等はソングライターとしてもすでに一流でした。

さて復帰するキング、エルヴィスはどんなレコードを出していくのでしょう。

いよいよ除隊後第一作です。

・「本命はお前だ」

私が聴くところ57年「恋にしびれて」に近い感じがします。まずは以前のエルヴィスサウンドで勝負したような気がするのです。60年4月、5月見事にビルボードのトップを飾ります。やはり王者、ロックンローラーで復活。ただ私はエルヴィスのロックンロール時代はこの曲までと勝手に感じております。
B面「恋にいのちを」は重厚なバラードでスマッシュヒット。

・「イッツナウオアネバー」

エルヴィスはここから大変化を見せました。イタリア民謡「オーソレミオ」をアレンジしたこの曲、堂々と歌い切り見事な大ヒット、60年8月、9月に第1位を取り続けました。
他のアイドル歌手の楽曲とは違い絶大な歌唱力で勝負して大歌手へのスタートを切ったようです。B面は「メスオブブルース」でスマッシュヒット。

・「今夜は一人かい」

続「ラブミーテンダー」と私は少年時代思っておりました。
米国の古い楽曲のカバーでした。途中のセリフも切なく歴史的な名曲となり60年の暮れを飾りました。復活のこの年1960年はやはりキングであったのです。なおB面は「アイガッタノウ」
スマッシュヒットでしたがこの曲、バックコーラス隊とのかけあいが素晴らしく私大好きなんです。

・「サレンダー」

さあ「イッツナウオアネバー」の続きを!なんて。やはりイタリア民謡「帰れソレントへ」を元にアレンジ、61年3月に1位に輝きます。圧倒的なパフォーマンンスで米国を代表する大歌手となったと思います。B面は映画「嵐の季節」から「ロンリーマン」を選択しました。スマッシュヒット。

・「アイフィールソーバッド」

50年代リズム&ブルースの歌手チャック・ウィリスの作詞・作曲。
ちょっとブルージーな感じでまた違う路線を感じます。61年5月5位まで上がります。B面は映画「嵐の季節」より同名主題曲。実はこのB面曲はグルーヴィンにもありません。スマッシュヒットのようですが。

・「マリーは恋人」

さて軽やかなリズムも楽しい曲。(タン・タタン・タタン・スタンタン)この頃のエルヴィスはハードなロックンロールは小休止、その神のような歌唱力をパワーにして大人のポップスをシングル盤に取り上げているようです。なんとマイルドな歌声でしょうか。
61年9月に4位まで上がる大ヒット。B面「リトルシスター」も負けじとほぼ同時期に5位まで上がる大ヒットでした。

・「好きにならずにいられない」

やあこの曲がこの時期に出たのですね。エルヴィスのヒット曲の中でも超センチメンタルな(グスッ・・・)
映画「ブルーハワイ」の中よりシングルカット。映画では確かガールフレンドの家で彼女の祖母の前、オルゴールのメロディと一緒に歌うシーンが胸を熱くしました。(またグスッ・・・)
62年2月に2位まで上がる大ヒットとなりました。

「ブルーハワイ」はエルヴィスの映画の中でも特に出来が良いものと私は思います。またこのサントラ盤LPの各楽曲は泣けますね。うん・・・(三たびグスッ・・・)。
B面は同映画より「ロカフラベイビー」です。うーんGOOD!
こちらはスマッシュヒット。


・「グッドラックチャーム」

名曲が続きます。ゆったりとしたテンポですっかり落ち着いた大人の歌手の傑作バラード。
62年4月に「サレンダー」以来の1位をとります。
B面「エニシングザットパートオブユー」はスマッシュヒット。


・「あの娘がきみなら」

これもあまり知られていない曲か。まさに大人の聞くべき優良曲かな。ミディアムテンポのエルヴィス得意のパターンのロッカバラード。もっとも彼はなんでも得意ですが。
62年9月に5位まで上がります。
B面「内気な打ち明け」は中ヒットという感じ。


・「心の届かぬラブレター」

映画「ガールズガールズガールズ」よりシングルカット。楽しい曲でさすがによく売れました。62年年末2位を続けますが惜しい事にフォーシーズンズの「ビッグガールドントクライ」の大ヒットを抜けませんでした。
B面も同映画より「あなたは何処から」こちら僅かなヒットでした。

63年はもうエルヴィスと同時代に活躍していた歌手はやや時代遅れ気味でヒットチャートから消えていく感じかな。エルヴィスも影響を受けつつも映画にも頑張っております。

・「破れたハートを売り物に」

映画「ヤングヤングパレード」よりシングルカット。楽曲も楽しいものでしたが63年春先11位まででした。ベスト10を逃すのは???
歌詞も楽しく「失恋のハート、買わないですか?」というもの。
B面は同映画から「ゼイリマインドミートゥーマッチオブユー」で中ヒット。

・「悲しき悪魔」

エルヴィスの中でも最も60年代初期のロッカバラードぽいレパートリーかなって勝手に思います。途中でアップテンポに変わるいかにも楽しいポップス。さすがに大ヒットで63年8月に3位まで。
B面は「恋のあやつり糸」で特にヒットの記録はないような。


・「ボサノバベイビー」

映画「アカプルコの海」よりシングルカット。映画は高い崖の上から海へダイビングする飛び込み選手の恋の物語。63年11月に8位まで上がる大ヒット。
ラテンチックなアレンジでエレクトーンが効果的な曲でした。乱暴な見方ですがエルヴィスの「オールディーズ時代」の最後のビッグヒットではないかな。
B面は「ウィッチクラフト」でスマッシュヒット。


さあ数回にわたりエルヴィスの全盛時のシングルヒットを羅列致しました。
基本1956年から63年発表のものが全盛時代とグルーヴィンでは考えているようです。ようはオールディーズの時代、常にエルヴィスはトップであり続けたわけですね。
特に56年、57年は他を寄せ付けぬ圧倒的な存在、兵役がありましたがその後も安定して高い人気を維持しました。映画に主演、好青年を演じ映画のための吹込みが多くなり人気も落ち着き64年以後は英国ビートルズにバトンタッチ!


意外と主演映画に名作といえるタイプのものがあまりなかった気がします。特に60年代は明るい青春ものといった趣か。私的には「GIブルース」「ブルーハワイ」「恋のKOパンチ」「アカプルコの海」はかなり楽しめますが・・・その後はエルヴィスの映画もやや(かなりか)マンネリ気味になってきたか。こりゃ本人が一番感じていたでしょう。


64年になると相変わらずヒット曲も出ますがベスト10には入らなくなります。65年にオリオールズのカバーかな「涙のチャペル」が3位まで上がる成績を残しますが。

60年代末にまた復活するまでやや過去の大スターに近くなっていたかも。かといって消えていたわけでもないですがね。
さてステージに復活したその後のエルヴィスの爆発的な人気はここではもうお話しませんが、50年代ロックンロールキング、エルヴィス・プレスリーのもの凄さがお分かり頂けたかと思います。

なお今回の書き込みではシングルレコードのご紹介をしたのみになっておりますがエルヴィスは結構4曲入りEP盤も発売しています。そちらからヒットチャートに上ったもの結構あります。「おいおい結構ヒット曲が抜けてるぞ!」というファンも多いでしょうが恐らくその関係もあるでしょう。どうぞお許しを。

お気づきだと思いますが異様な程、両面ヒットが多いですね。当時でもここまで極端な人はいなかったでしょう。


エルヴィスがいなければビートルズは出てきたのでしょうか。というよりロックがどんなサウンドになって行ったか考えると恐ろしいものですね。ロックはなかったかも。


キングオブロックンロール!とにかく類を見ない凄いアーティストでした。あなたの大好きなロックスターやアイドル達もこの人がいなければまったく存在してないといっても過言ではないでしょう。
どうぞお若い方々もエルヴィスの音源を購入してみて下さい。


なお今回ご紹介したエルヴィスの音源は基本アナログ盤でグルーヴィンでは聴く事が出来ます。美味しい洋酒を飲みながら偉大な彼の足跡を味わって下さいね。
いやあ凄い人でした・・・でもエルヴィス特集もこれで終了です。寂しいです。(四たびグスッ・・・ウッ・ウッ・・・)

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