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Groovin'

東京は神田神保町のオールディーズバーです。アナログレコードを中心に涙なしには語れないBGMと美味しい洋酒。エレキギターを弾いたり歌ったり。 お気軽にドアを開けて下さいね。
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  • 07/18/11:09


オープン2周年:蜂蜜フレーバーのジャックダニエルを超低価格でご提供します。

グルーヴィンも10月18日(土)で丁度2周年となります。またこの日より3年目の営業に入っていくわけです。
山あり谷あり・・・いやいやまだまだ発展途上、修行が必要です。
本当の意味でオールディーズ・ロックバーとして神保町に溶け込むまではかなりの時間がかかりそうです。
それでもこの2年の間に沢山のお客様にご来店頂きました。ありがとうございました。
2年くらいで大きな顔も出来ないのですが以下のお酒を下記の日程でご来店のお客様に特別価格で提供させて頂きます。


                                         記

★10月18日(土)~31日(金)の期間にご来店のお客様に以下のようご提供申し上げます。

  ジャック ダニエル テネシーハニー  (シングル価格800円)を
            特別プライス    (シングル価格500円)にてお召し上がり頂けます。(税込み価格です。)

当店ではもっとも人気の高いテネシーウイスキーのジャックダニエルですがこれに蜂蜜を加えたウイスキーリキュールといった趣向でしょうか。
ストレートでもよし、オンザロック、ハイボールもよし。アルコール度数もやや低めですので女子にも人気だそうです。
秋も深まります。一日の仕上げに勢いよく当店の扉を開けて下さい。待ってますよ。

                                    GROOVIN’
                                      平子 千治


               ロックンロールよもやま話  その27
                 -1974年 涙の反戦歌-
                  ご案内:チャーリー冷奴

グルーヴィンにはオールディーズのレコード音源だけではなくマスターの平子が主に高校時代に集めた70年代のシングルレコード盤があります。
彼は1974年のヒットポップスが特にオキニらしいのです。
ギルバート・オ・サリバンやポール・マッカートニー&ウィングス、エルトン・ジョン、バリー・ホワイト、カーペンターズ等が大活躍していました。
この時期に英国で人気のあったバンドにペーパーレースがありました。彼らの作品のひとつに「悲しみのヒーロー」という曲があります。今日はこの曲のお話を。

英国では大ヒットしたのですがこれを米国ではボー・ドナルドソン&ヘイウッズというバンドがカバーしました。米国ではペーパーレース盤より少し早く発売されたようです。
曲の構成はほぼ同じでしたが、やや重めのサウンドのペーパーレース盤より軽快なドラムのロール奏法を多用してマーチング風にアレンジ、なおかつイケメン揃いのヘイウッズの方が大ヒットし74年6月に第1位に輝いています。
この曲は米国でもいけると考えていたであろうペーパーレースの連中は相当落胆してしまったでしょう。彼らの方は極小ヒットという感じでした。そして遅れて秋に日本でも話題になったのはやはりヘイウッズの方でした。当時のラジオではリクエストでよくかかり私もこのセンチメンタルな曲が大好きになりました。

私はこの曲の歌詞はベトナム戦争を題材にしていて恋人を故郷の町において戦場に赴き残念な事に死してしまう若い兵隊の話と考えていました。
大筋は合っているのですが、お恥ずかしい事に最近になって19世紀中盤の南北戦争の話である事を知りました。オリジナルのペーパーレース盤のジャケットは確かに当時の兵隊の衣装を着ているようにも思います。

下記のように簡単に訳してみました。(英語がダメなのでどこまでうまく伝えられるかな。)


       「悲しみのヒーロー」  Billy Don't Be A Hero


マーチングバンドが通りに来た。兵隊達(北軍と思います。)も続いて歩いて来る。
そして整列に加わろうしたビリーの姿を見つけたんだ。
ビリーの肩にもたれ泣きじゃくっている女の子
彼の可愛いフィアンセだ。彼女はこう叫んでいたよ。
「ビリー、ヒーローなんかにならないで。あなたの人生大事にしてよ。ヒーローなんかにならないで。戻って来て私を奥さんにして。」
それでも行進に加わる彼。彼女はさらに叫んだ。
「体勢を低くして(弾に当たらないよう)避けているのよ。ヒーローになんかならないで!元気で戻って来て。」

丘陵での戦い、戦は広がりまさに極まってしまう。
上官は叫んだ「お前ら負けるな。今が大事だ、この場所を守りぬけ。」
そして「頼みがあるんだ。誰かここから馬で抜け出し味方に知らせ、仲間を大勢連れて戻って来てくれ。」と続けた。
そしてビリーが手を挙げた。彼女の言葉はもう考えていなかったのかな。
彼女はこう叫んでいたよね。
「ビリー、ヒーローなんかにならないで。あなたの人生大事にしてよ。ヒーローなんかにならないで。戻って来て私を奥さんにして。体勢を低くしていて。(弾に当たらないよう)私のところへ戻って来てちょうだい。」

そして・・・彼女に手紙が届いた。悲しい知らせだった。手紙にはその時のビリーの様子が記されていた。
そして「悲しいでしょうが誇って下さい。ビリーは我らのヒーローなのです。」と綴られていた。
彼女は手紙を投げ捨てて悲しみくれたそうだ。

なんと・・・なんと泣けてしまう歌でしょうか。グスッ・・・(/_;)

ヘイウッズの当時の映像を見ていて曲の最後にボーカル担当(マイク・ギボンズかリック・ジョスウィックのどちらか)の目が少し潤んでいるのを見るとこちらも泣けてきてしまいました。名曲です。

さて米国でのビックチャンスを逃した失意のペーパーレース、気を取り直して再チャレンジ!
ヘイウッズの大ヒットのなんとたった2ヵ月後の74年8月に「ザ・ナイト・シカゴ・ダイ」という曲で米国1位を獲得します。凄いな。こちらも何か泣ける話ですね。でもよかった・・・別に米国のヘイウッズが悪いわけでもなんでもありません。
私は最近までよくある話なんだろうなと思っていたのですが米国ヒットパレードの長い歴史にも語り継がれるレベルのようです。(また他のブログにも結構この曲関連の記事があるもんですね。今回初めて知りました。)

その「悲しみのヒーロー」はグルーヴィンでは両バンドのバージョン、(ヘイウッズは当時のシングル盤、ペーパーレースはオムニバスCD)でお楽しみ頂けますので興味のある方は「聴き比べをさせてよ」と言うとよいかと思います。

写真:左は英国オリジナルのペーパーレース、右が米国ボー・ドナルドソン&ヘイウッズ


70年代初頭から英国ではペ-パーレースのようなオールディーズフレーバーなバンドが数多く登場しています。

ただ米国で成功したのはベイシティローラーズが第二のビートルズとして大きなヒットを飛ばし続けた位かと記憶しています。
当時ロンドンポップとか日本では言われていたような気もします。
1950年代、60年代のオールディーズ・パークのグールーヴィンですが70年代のサウンドもかけがいのないものです。自分も平子も十代の頃の切ない想いでが甦るのです。
さて今日は久しぶりに70年代にスポットをあてました。しかし本当に胸が熱くなりましたです。
今回もチャーリー冷奴が担当致しました。

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2周年記念カクテルフェスティバル他、話題満載!


平成24年10月にオープンしました当店ですがどうにかこうにか2年が経ちました。
お店はオープンしてから3年経たないと存在を理解してもらえないという話を先輩達からから教えられます。
確かに今でも初来店の方々から「このお店っていつからあったの?」と必ず聞かれます。
いくら電飾看板があっても通行される方々のほとんどは意識していないものですね。
また店があるのがわかっていても当店が地下にあるため入って行く勇気がなかったり・・・
あるお客様が「地下のバーってちょっと怖いかもしれないね。初めてだとなんか入りづらいよね。」とお話されていました。
なるほどな~、とにかく私としては気軽にドアを開けてほしいなといつも考えています。

さてそんな願いもあり10月はいろいろイベントを考えているのですがまずはバーの花!各種カクテルをお楽しみ頂こういうわけで来る10月1日(水)~3日(金)の3日間のみ下記のようカクテルフェスティバルを企画致します。
●「2周年記念カクテルフェスティバル
10月1日(水)から3日(金)の3日間、当店のメニューブックに記載してあるカクテル(700円~800円)をオール550円でご提供させて頂きます。
とにかく気軽にドアを元気良く開けて下さいね。待ってますよ~!

●10月の営業日のご連絡
お休みは以下のとおりです。
10月5日(日)
10月12日(日)
10月13日(祝)
10月19日(日)
10月26日(日)

また10月の各土曜日は9月に続き「お昼からバーで楽しみませんか」を開催致します。
お昼1時オープン夕方5時にクローズとなります。(この催しはノーチャージ)

夜の通常営業は8時からとなります。チャージ料1,000円は頂戴致します。
11時でノーゲストの場合はクローズとする時がございますのでご来店ご希望の方はお電話でご連絡下さいませ。)

ロックンロールよもやま話  その25
       
-またもやウンチク-



さて前回まで長きにわたりこの「よもやま話」をオーナーバーテンダーの平子が担当していたのですが今回より彼の幼なじみで謎の怪人、ロックンロール好きの酒飲みで国籍不明の私、チャーリー・冷奴が担当致します。どうぞよろしく。
なにしろ平子の方も知識が乏しく話が尽きてしまい、もういい加減業務に専念したいと泣きが入ったようです。ハハハ、ど素人め!

さて、まずは私の最初の書き込みをさせて頂きますね。
50年代から60年代の中盤までのオールディーズの時代はもちろんアナログレコード盤の全盛時代ですね。
私も詳しくないのですがレコードは最初のマスターディスクよりプレス用のマスターディスクを作りそれを利用して型を作成し、その型で販売用レコードをプレスして作るそうなのです。
レコード会社の原盤保存ってとてつもなく大変な作業なのでしょうね。
また今から50~60年近くも前の録音方法なのですが現在と違った苦労があったでしょうね。
当時は一発取りに近い形で録音されたのではないでしょうか。歌唱ミス・演奏ミスがあればもう一度・・・

さて自分が高校生の頃、ラジオでかかっていたイギリスのクリフ・リチャードとシャドウズ「オンザビーチ」をカセットテープに録音、楽しく聞いていたところ曲の途中でクリフ本人だと思うのですが咳をする部分があったのです。ただしこの演奏時のノリが素晴らしくこのテイクをそのまま採用したのだと思います。(現在発売されているCD等では不思議に聞き取れない感じがするのですが・・・)
下の動画では別テイクですがこの名曲お楽しみ下さい。

この曲は1964年東京オリンピックの年、イギリスを始め欧州各国で大ヒットとなりました

さて同様な事例がアメリカにもあるもんですね。
同じく1964年、4曲入りのEP盤で発売されスマッシュヒットとなったビーチボーイズの「ウェンディ」なのですがやはり豪快に咳ばらいが録音されています。ブライアン・ウィルソンであろうと思いますがファルセットが続き咳きこんだのかな。
ただやはりこの時の出来がいいのであえてこのまま採用したのでしょう。
上記2曲の「咳きこみ録音」は結構有名なようですが、これらはマスターディスクの保存管理とはまったく関係ない話なのですが50年代の中期・後期の録音は60年代と比べ音質がかなり劣るものも多いようです。また60年以後に脚光を浴びたアイドル、ゲーリー・US・ボンズのヒット曲(擬似ライブ的なパーティーサウンド)も結構荒っぽく録音されているような気もします。
これはワイルドに感じさせる効果をわざと狙ったものではないでしょうか。

さてグルーヴィンにはオールディーズのアナログレコードがLPを中心に多数あります。(平子コレクション)
中にはもともとの録音状態があまり良くないもの、保存状態が良くないもの(これは平子が悪い)も多少あります。録音技術が発達した60年代後期から70年代のハードロック世代やディスコフリークにはとても考えられない事かもしれませんね。しかしながらオールディーズ音楽の楽曲はまさに「歴史的な録音」と言っても過言ではないでしょう。
多少音がぼやけて不明瞭であったり音程が不安定に感じるもの、また雑音や音とびがしたりもあるかもしれません。しかしながらそれはそれでオールディーズ音楽の特色。肩肘はらずお楽しみ頂ければ私も幸いに存じます。
(もちろん洋酒とともにお楽しみ下さいね!)

レコード盤でもう一つこんな話。
LPレコードに針を落とすと当たり前なのですが1曲、2曲と進むとだんだん中央に寄って行きます。片面の最後の曲はかなり中心に近くなり音質のクウォリティーは悪くなるそうです。だんだんと一周の距離(円周)が短くなりその中に音の記録を刻みこむので致し方ない事だそうです。



またレコード針の話なのですが基本的にはダイヤモンドを使っています。(昔はサファイヤもありましたね。)従って摩擦で針が減る事はまずは考えられないという説があります。ようするに交換する必要性がないだろうという話になってしまうのでしょうか。劣化するのは針以外の付属部分なのでその時は買い替えが必要だろうというのですがどうなのでしょうか。
確かに平子によるとオープンしてから針を変えたのはただの一度だけ。現在使用中の針は一年半もそのままらしいのですが音の劣化は私には感じられません。

レコード本体も何回もかければ音が劣化すると通常言われていますが近年のターンテーブルはアーム針圧(重さ)がかなり軽いので磨り減りはあまり考えられない・・・針とレコード盤の溝の接触による摩擦熱は若干発生するのでしょうが。
むしろ私はレコード盤につく埃を取るほうが重要に思えて仕方がありません。
自分は昔から水道水でレコードを洗って埃を落としています。これをすると針とびがなくなると考えております。皆さんはいかがですか。もっともレコード持ってないか・・・

ありゃありゃ、前任の平子同様激しいウンチクとなってしまいました。彼に笑われそうです。
まずは私、チャーリー冷奴が担当させて頂きました。

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「お昼からバーで楽しみませんか」続きます!

9月6日(土)に開催致しましたオープン2周年記念プレイベント「お昼からバーで楽しみませんか」なのですが、なかなか好評でそれなら続けてみようかなという事で下記の日程で引き続き開催致します。

すべて午後1時よりオープン、夕方5時まで開催致します。
9月13日(土)
9月20日(土)
9月27日(土)
通常のメニュー他ノンアルコールカクテルを多数揃えます。
(この催しではチャージ料金は頂戴致しません。なお通常通り喫煙可ですのでご了承下さい。)

また各日とも夜の通常営業はございます。
(夜8時オープン、ただし11時でノーゲストの場合は終了とさせて頂きます。ご了承下さいませ。)
どうぞお気軽にドアを開けて下さいね。

●ロックンロールよもやま話 その24
-思い出深いラジオ番組-

昭和50年の暮れ、麻布十番にあったレコード屋さんでニールセダカのベスト盤のLPをお小遣いで購入しました。恐らくこれが自分の買った最初のロックンロール歌手のレコードであったと思います。
私はこの時、高校の1年生、この後沢山のオールディーズの音源を収集していくのですがなかなかオールディーズのレコードが発売されておらず国内盤ではかなりのアーティストが廃盤という状況でした。当時の私は本当に悪い頭でそれなら輸入盤でカバーしていこうと考えたわけです。
輸入盤は解説(ライナーノーツ)がついておらず国内盤に比べありがたみはないのですが値段が安かった。(もっとも解説がついていても英語は読めませんが・・・)
徐々にコレクションが増えて次はこんな歌手のレコードが欲しいな、なんて考えるのが常でした。池袋のメモリーレコードさん等によく通ったものです。

それと同時にオールディーズ音楽の知識をつけるためによくラジオを聴いたものです。
今日はそんな自分が熱中していた番組をご紹介しましょうね。

①ラジオ関東「ゴーゴー・ナイアガラ」
大瀧詠一さんの魅力的な語りでの進行、デル・シャノンやフレディー・キャノン、ホリーズ等普段あまり聴けない隠れた小ヒット曲まで紹介してくれていたと思います。
また夏の終わりになると波の音とともに夏の歌特集をしてロビン・ワード「ワンダフルサマー」をかけてくれたり・・・ 実にセンチメンタルな番組であったと思います。

クレージーキャッツや小林旭等も特集してくれたり本当に楽しく思い出深い番組でした。大瀧さん本当にありがとうございました。

②FEN「ジム・ピューターショー」
レースカーのエンジンの爆音の後、エレキインストの名曲ルーターズの「レッツゴー」で始まる番組です。英語がさっぱりの私、発音の素晴らしいジムの名調子に意味がわからないながら熱中したものです。「マッシュポテトタイム」のディーディー・シャープをディディー・ショーだと勘違いして覚えたものです。日本では流行しなかった曲も多数耳にする事が出来たのです。番組の最後は必ず最終曲にあわせてコメントしながら「Bye-Bye」とかっこよく終わるのです。


③FM東京「気まぐれ飛行船」
小説家の片岡義男さんとジャズシンガー安田南さんの共通した気だるい感じのかけあいが記憶に残っております。
結構古いロックンロールをかけてくれてダニー&ジュニアーズ「踊りに行こうよ」を初めて聴いたのがこの番組でした。またジョー・ジョーンズ「ユートークトゥーマッチ」、ロッキン・シドニー「ゼイコールミーロッキン」等はやはりこの番組で初めて聴く事ができました。安田さんのハスキーでセクシーな声を思い出しますが大変残念な事に近年亡くなられたそうです。

④NHKーFM「サンデー・ミュージック」
パーソナリティーは音楽評論家の湯川れい子さん。
この番組の中で紹介されたエルヴィスのサンコレクションというLPが大変印象に残ったのですぐに購入しました。これは今でもよくお店のターンテーブルにのっかりますです。
番組の中盤のコーナー「エバーグリーンミュージック」では50年代、60年代のヒット曲を沢山紹介してくれました。カセットラジオでエアチェックするのが日曜昼の楽しみでした。トーネドース「テルスター」やスコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」等カセットテープで何度もかけて聴いていました。宝物でしたね。


これ以外にも文化放送「イエスタディーポップス」が私のお気に入りでした。
そんなこんなで当時高校生の私、オールディーズミュージックや下手なギターに熱中するあまり危うく留年するところでした。ハハハ!
しかしもう40年も前か・・・時が経つの早いものです。

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ワインカクテルで涼しく!

●ワインカクテルのご紹介
暑いですね。
皆さんはもう夏休みはおとりになりましたか。お盆の時期、我が街「神保町」は普段より人も少なく静かです。寂しいものですが普段、仕事場で汗水たらし働いている方々がつかの間の休息とっているのだなと思うと少しホッとする気もします。
さてグルーヴィンのカクテルメニューから今日は3つのワインカクテルをご紹介しましょう。どれも冷たくて美味しいですよ。
①キール
甘いカシスに白ワインをブレンドしたもの。昔はバーでは扱わなかったタイプのカクテルのようです。しかし意外とキリッと美味しいですね。
②キティ
赤ワインとジンジャエール。当店では氷を入れて辛めのジンジャエールをブレンド致します。
③スプリッツァー
白ワインの炭酸割り。あっさりとしていてお酒の弱い方もOK!健康にもお勧めですね。

3つとも普段あまりバーで召し上がる事は少ないのではないでしょうか。
夏ばて気味でも冷たく美味しく召し上がれる上記のワインカクテル。
すべて700円でのご提供です。お試しを!

●ロックンロールよもやま話  -その22-
「ロックスターからエンターテイナーへ 駆け抜けたボビー」
50年代~60年代のオールディーズ時代、ボビーと名前がつく男性歌手が何人かいました。
ボビー・ヴィー、ボビー・ライデル、そして今日お話するボビー・ダーリン。(後にはボビー・ヴィントンなんて加わりますね。全員もの凄い実力派です。)
女の子の歌手マーシー・ブレインが「ボビーに首ったけ」なんて歌ってたくらいですね。
さてシンガーソングライターでもあるボビー・ダーリン、小さい頃から心臓に持病をもち長生きが出来ないだろうと本人もまわりも思っていたようです。
デビュー後、数年はヒット曲が出なかったようですが58年になって火がつきます。まずは彼の出世作。大ヒット曲で自作自演の「スプリッシュ・スプラッシュ」
実にノリのいいロックンロールです。
その後は見事に波にのり「クイーン・オブ・ザ・ホップ」「プレイン・ジェーン」とヒットが続き59年には「ドリーム・ラヴァー」で当時流行のロッカバラードに挑戦、これが大ヒットしロックスターの地位を確立します。
しか~し、なんと彼が次に選んだ曲は「マック・ザ・ナイフ」。ロックンロールではなくジャズボーカルに挑んだわけです。しかしこれが大成功!歴史的なメガヒットとなりました。

この後も「ラ・メール」「クレメンタイン」等スタンダードな選曲からヒットを続けますが彼の凄いところはまたもやロックンロール系の曲のヒットも出していくところでしょうか。ツイストサウンドを取り上げたりロッカバラードを取り上げたり。
この頃の大ヒット「初恋の並木道」は特に私は大好きな曲です。
実に爽やかでセンチメンタルですね。 ううっ・・・ グスッ(/_;)
また映画俳優としても活躍「9月になれば」「電話にご用心」で競演したアイドル、サンドラ・ディーが彼の奥さんでした。
私が彼にびっくりするのはその飛び抜けた歌唱力と以下の動画でも見られる驚くべき楽器の演奏能力です。

なんでもござれのこのパフォーマンス!これはポールマッカートニー等にも言えることでしょうが信じ難い才能だと思いませんか。まさに音楽の申し子でしょう。

さて70年代初頭まで活躍していた彼、73年12月に亡くなってしまいました。37歳の若さでした。

苛酷な自身の運命と戦いながら芸能の道を極めたボビー・ダーリン。
ロックスターからフランク・シナトラのようなエンターテイナーへ。
彼の名作「マック・ザ・ナイフ」はビルボード50年間の歴代シングルチャートの第3位となっています。

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再び登場!シェリートニック、シェリー&ウイスキートニック

昨年の11月から暮れにかけて好評でしたシェリー酒を使ったカクテルをこの夏再びご紹介しようと思います。

① シェリートニック
シェリーのまろやかさとトニックウォーターのほろ甘苦さ。爽快な喉ごしが魅力です。
② ウイスキー&シェリートニック
甘みも少なく真夜中の大人のカクテルといった味わい。アルコールもほどほどですからビールの代わりにもぐっとイケますよ。シュワーッ!
上記カクテルは700円でのご提供です。お試しを!

●お盆期間のお得な企画
お盆の時期、特別に8月11日(月)~14日(木)の4日間にご来店のお客様はもれなくご清算時20%割引!(この4日間だけです。)
ぜひご来店下さいね。

● ロックンロールよもやま話 (その21)
-今も心に残る街角男-
デル・シャノン・・・ 地味なアーティストのような気もしますがロックンロール好きにはたまらないヒットソングを沢山残してくれました。
容貌も地味に見える彼は自作の「悲しき街角」で1961年に大ブレーク。4月24日にマーセルズの「ブルームーン」を叩き落して第1位になると5月15日まで4週連続でビルボードチャートのトップを独占しました。
次のシングルは「花咲く街角」これも夏場に5位まで上がるビッグヒット。
その後も安定した活躍をしているのですが大きなヒット曲は63年「街角のプレイガール」
65年「太陽を探せ」くらい。それでも不思議に小ヒットは出し続けていました。

65年のこの時期は完全にイギリス勢の勢いが強まり特に4月10日から5月22日の7週間はフレディ&ドリーマーズ、ウェイン・フォンタナ&マインドベンダーズ、ハーマンズハーミッツ、ビートルズがビルボードチャートのトップをとり続けアメリカ勢はもうかたなしといったところでしょうか。そんな時期を静かに生き続けたデルの魅力は凄いものですよね。彼のヒット曲のパターンは短調から哀愁をおびて始まり長調で明るく盛り上げ途中ハモンドオルガンのソロ演奏、その後また長調で盛り上げて終了という黄金パターン、これは日本人大好きの定番で似た楽曲がイギリスのジョン・レイトン「霧の中のジョニー」「霧の中のロンリーシティー」という一連のヒット曲という感じがします。もっともこんな事を考えるのは私だけかもしれませんが・・・
70年代、さすがにヒット曲は出せなかったようですがイギリスでは相変わらず人気がありコンサートも定期的に行っていたそうです。
大変残念な事に90年2月自らの命を絶ってしまいました。当時日本の新聞でも静かにその死が報道されておりました。

私は高校生の頃、「悲しき街角」で今でも上手くならないギターを独学したものです。懐かしいな。
彼の得意な裏声は少年時代に大好きなカントリーで磨きあげたのでしょうか。西郷輝彦の大ヒット「星娘」のウォーウォーウォー、イェイイェイイェイ~を聞くとなぜかデルの事を思い出してしまうのですがこれも私だけでしょうか。ガハハハ!
オールディーズの時代からブリティッシュビートの時期を駆け抜けたデルの音楽人生。
大歌手ではないのでしょうが真夜中の東京神保町の街角に暮らす私の心の中にいつまでも生き続けているのです。

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