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最近のグルーヴィン
最近はオールディーズにお詳しいお客様がよくご来店されるようになりました。
バタッとドアが開くと「いやあ、ネットで検索したんだよ。ハハハ!」とおしゃっる方もおいでで「こんな曲あるかな、学生の頃ラジオで聴いて大好きだったんだけど」
LPやCDからその曲を探し出し曲をかけますと「うわーっ、50年ぶりに聴く事が出来た!」と御礼を頂戴したり「えーっ、この曲がここで聴けるの!」と興奮される方も。
グルーヴィンではご入場に際しチャージ1,000円を頂戴しております。ご負担をおかけし申し訳ございません。
しかし今後も音楽ファンの皆様に喜んで頂けます様音源の充実に一部充当していければいいなと考えております。
2015年の今年はロックミュージック60年という事を聞きます。
グルーヴィンにご来店されるお若い方々にも歴史に残る名曲をお楽しみ頂ければこの上ない幸せです。
また同時にギターで歌ったりも出来ますしギターの練習も出来るいっぷう変わったバーです。
ご遠慮なさらずお申し出下さいね。すぐにアンプとギターをご準備しますよ。
昨今のIT知識に疎くアナログな私が営業を行っている妙なオールディーズロックバーですがどうぞお仕事等でお疲れの心と身体を洋酒とBGMで和ませて頂ければと存じます。
皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。
●ロックンロールよもやま話 -その43-
「史上最大のヒット曲 キングオブツイスト チャビー・チェッカー」
ご案内:チャーリー冷奴
60年代初期に今でいうクラブで絶大な人気のあったダンス「ツイスト」
ツイストは全世界の若者だけでなく大人・子供までとりこにしてしまいました。
日本でもスリーファンキーズが「でさのよツイスト」なんて歌ったり小林旭が「アキラでツイスト」とか。
ジャンニ・モランディー「サンライトツイスト」が日本でも大ヒットしました。デジレジーレバイ・・・!
さて今回の主役はその中でもダントツの人気を博したスーパースターのチャビー・チェッカーです。
1941年米国フィラデルフィア出身。本名はアーネスト・エバンス。
歌が得意の彼、高校時代に肉屋の店先で客集めのためにライブをするというアルバイトをしていたそうです。その時の肉屋の主人が「こいついいんじゃないか」という事で知合いのカメオパークウェイレコードのカール・マンを紹介したそうです。
芸名の由来は友人たちが太っていた彼をチャビー(でぶ)と呼んでいたからだそうです。
またファッツ・ドミノをアイドルにしていたので同じゲームのチェッカーでどうだという洒落のようです。
(上記エピソードは76年発売のLP「チャビー・チェッカー・グレイテスト・ヒッツ」のライナーノーツ桜井ユタカさんの記述を参考に致しました。)
さて1959年デビューシングルB面「ザ・クラース」がヒットチャートに登場します。
(38位。)
素晴らしいデビューを飾ったチャビー。
何故かしばらく間を置いてセカンドシングル「ザ・ツイスト」を翌年60年に発表します。
8月1日に49位で初登場、この時にすでに大ヒットが確実となりました。
9月19日に王者エルヴィスの名作「イッツナウオアネヴァー」を追い抜き1位になります。何しろエルヴィスのこの曲が凄まじい売れ方で追い抜きに時間がかかりすぎたのか2週間トップを守った後コニー・フランシス「マイハート」にトップを譲ります。
しかし2作目にして全米のアイドルになった彼、その後も「ザ・ハックルバック」「ポニータイム」「レッツツイストアゲイン」等ダンスミュージックで突っ走ります。
さて翌年の61年後半テレビで「ザ・ツイスト」を歌うと強い反響がありカメオパークウェイレコードでは再発売を決定しました。
思惑は当たり11月13日に55位に初登場しました。(再登場かな・・・)
この時彼は「ザ・フライ」という曲を大ヒットさせている最中です。
あれよあれよでベスト10内に入り62年1月13日にトーケンズ「ライオンは寝ている」を叩き落とし2週連続で第1位を守ります。次の週に2位となりましたがこの時はジョイ・ディーとスターライターズ「ペパーミントツイスト」に追い抜かれたからです。
結局「ザ・ツイスト」は3月までベスト10内に残るメガヒットとなりました。
驚いた事になんと同じ曲が違う年に2回トップを飾ったのです。
ここにポップミュージック史上最大のヒット曲が誕生したのです。
その後も「ダンシンパーティー」「スロウツイスティン」等大ヒットを重ね60年代を代表するビッグアーティストとなりました。
70代となった今も相当元気でコンサートの予定がびっしりと埋まっています。なんて嬉しい事でしょう。
さて最近新聞でこんなニュースが掲載されていました。
男性の大事な部分の寸法を計測するアプリがあり、それが「チャビー・チェッカー」と名づけられている事を知り彼が裁判を起こしたとの事です。ハハハ!いや~。
60年代初頭、彼が所属したカメオパークウェイレコードではダンスサウンドを多く取り上げ大人気を博しました。白人アイドル、ボビー・ライデルも所属していてこちらもツイストサウンドを多く取り上げています。チャビーと2枚看板であったわけです。ボビーの話題はまた次回にとっておきますね。
チャビーが成し遂げた歴史に残るメガヒットの記録は今後も破られる事はないだろうと考えます。
なおグルーヴィンでは平子が高校時代に購入したLP「チャビー・チェッカー・グレイテスト・ヒッツ」が保管されておりアナログでお楽しみ頂けます。リクエストされツイストを踊ってごらんになられたらどうでしょう。お仕事のストレスもきっと若きチャビーが吹っ飛ばしてくれるでしょう。
本日もチャーリー冷奴が担当致しました。
バタッとドアが開くと「いやあ、ネットで検索したんだよ。ハハハ!」とおしゃっる方もおいでで「こんな曲あるかな、学生の頃ラジオで聴いて大好きだったんだけど」
LPやCDからその曲を探し出し曲をかけますと「うわーっ、50年ぶりに聴く事が出来た!」と御礼を頂戴したり「えーっ、この曲がここで聴けるの!」と興奮される方も。
グルーヴィンではご入場に際しチャージ1,000円を頂戴しております。ご負担をおかけし申し訳ございません。
しかし今後も音楽ファンの皆様に喜んで頂けます様音源の充実に一部充当していければいいなと考えております。
2015年の今年はロックミュージック60年という事を聞きます。
グルーヴィンにご来店されるお若い方々にも歴史に残る名曲をお楽しみ頂ければこの上ない幸せです。
また同時にギターで歌ったりも出来ますしギターの練習も出来るいっぷう変わったバーです。
ご遠慮なさらずお申し出下さいね。すぐにアンプとギターをご準備しますよ。
昨今のIT知識に疎くアナログな私が営業を行っている妙なオールディーズロックバーですがどうぞお仕事等でお疲れの心と身体を洋酒とBGMで和ませて頂ければと存じます。
皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。
●ロックンロールよもやま話 -その43-
「史上最大のヒット曲 キングオブツイスト チャビー・チェッカー」
ご案内:チャーリー冷奴
60年代初期に今でいうクラブで絶大な人気のあったダンス「ツイスト」
ツイストは全世界の若者だけでなく大人・子供までとりこにしてしまいました。
日本でもスリーファンキーズが「でさのよツイスト」なんて歌ったり小林旭が「アキラでツイスト」とか。
ジャンニ・モランディー「サンライトツイスト」が日本でも大ヒットしました。デジレジーレバイ・・・!
さて今回の主役はその中でもダントツの人気を博したスーパースターのチャビー・チェッカーです。
1941年米国フィラデルフィア出身。本名はアーネスト・エバンス。
歌が得意の彼、高校時代に肉屋の店先で客集めのためにライブをするというアルバイトをしていたそうです。その時の肉屋の主人が「こいついいんじゃないか」という事で知合いのカメオパークウェイレコードのカール・マンを紹介したそうです。
芸名の由来は友人たちが太っていた彼をチャビー(でぶ)と呼んでいたからだそうです。
またファッツ・ドミノをアイドルにしていたので同じゲームのチェッカーでどうだという洒落のようです。
(上記エピソードは76年発売のLP「チャビー・チェッカー・グレイテスト・ヒッツ」のライナーノーツ桜井ユタカさんの記述を参考に致しました。)
さて1959年デビューシングルB面「ザ・クラース」がヒットチャートに登場します。
(38位。)
素晴らしいデビューを飾ったチャビー。
何故かしばらく間を置いてセカンドシングル「ザ・ツイスト」を翌年60年に発表します。
8月1日に49位で初登場、この時にすでに大ヒットが確実となりました。
9月19日に王者エルヴィスの名作「イッツナウオアネヴァー」を追い抜き1位になります。何しろエルヴィスのこの曲が凄まじい売れ方で追い抜きに時間がかかりすぎたのか2週間トップを守った後コニー・フランシス「マイハート」にトップを譲ります。
しかし2作目にして全米のアイドルになった彼、その後も「ザ・ハックルバック」「ポニータイム」「レッツツイストアゲイン」等ダンスミュージックで突っ走ります。
さて翌年の61年後半テレビで「ザ・ツイスト」を歌うと強い反響がありカメオパークウェイレコードでは再発売を決定しました。
思惑は当たり11月13日に55位に初登場しました。(再登場かな・・・)
この時彼は「ザ・フライ」という曲を大ヒットさせている最中です。
あれよあれよでベスト10内に入り62年1月13日にトーケンズ「ライオンは寝ている」を叩き落とし2週連続で第1位を守ります。次の週に2位となりましたがこの時はジョイ・ディーとスターライターズ「ペパーミントツイスト」に追い抜かれたからです。
結局「ザ・ツイスト」は3月までベスト10内に残るメガヒットとなりました。
驚いた事になんと同じ曲が違う年に2回トップを飾ったのです。
ここにポップミュージック史上最大のヒット曲が誕生したのです。
その後も「ダンシンパーティー」「スロウツイスティン」等大ヒットを重ね60年代を代表するビッグアーティストとなりました。
70代となった今も相当元気でコンサートの予定がびっしりと埋まっています。なんて嬉しい事でしょう。
さて最近新聞でこんなニュースが掲載されていました。
男性の大事な部分の寸法を計測するアプリがあり、それが「チャビー・チェッカー」と名づけられている事を知り彼が裁判を起こしたとの事です。ハハハ!いや~。
60年代初頭、彼が所属したカメオパークウェイレコードではダンスサウンドを多く取り上げ大人気を博しました。白人アイドル、ボビー・ライデルも所属していてこちらもツイストサウンドを多く取り上げています。チャビーと2枚看板であったわけです。ボビーの話題はまた次回にとっておきますね。
チャビーが成し遂げた歴史に残るメガヒットの記録は今後も破られる事はないだろうと考えます。
なおグルーヴィンでは平子が高校時代に購入したLP「チャビー・チェッカー・グレイテスト・ヒッツ」が保管されておりアナログでお楽しみ頂けます。リクエストされツイストを踊ってごらんになられたらどうでしょう。お仕事のストレスもきっと若きチャビーが吹っ飛ばしてくれるでしょう。
本日もチャーリー冷奴が担当致しました。
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