[PR]
ウイスキーあれこれ(シングルモルトのご紹介)
私は高校を出て18歳で就職しました。今から考えると本当に子供に毛が生えたようなもので失敗ばかりで赤面の思いでした。
方々に転勤したり辛い思いも随分ありましたがなんとか30年以上働く事が出来ました。これはいかにまわりの方々に助けてもらったかという事です。
さて自分がお酒を毎日のように口にするようになったのは確か22歳位の時からだと思います。
特にその頃はウイスキーを飲む事も多かったと思います。当時から一番好きなのはブレンデッドスコッチウイスキーでした。
20代の頃はカティーサークをよく酒屋さんで買いました。これは女優さんのセミヌードポスターが付録でついていたせいもありました。
シーバスリーガルも好きでした。ブレンデッドスコッチのほのかな香りが大好きで薄めの水割りで飲むのが好みでした。おつまみはかわきもので充分で。
さて現在ショットバーを始めてみると実際にご注文を受けるのはバーボンとシングルモルトが多いのは考えていた通りでした。
特にシングルモルトの中で人気なのがアイラモルトです。
現在グルーヴィンにあるアイラモルトを下記にあげてみましょうね。以下が正式メニューにあるものです。
・ボウモア12年
・アードベッグ10年
・ラフロイグ10年
・ラガブーリン16年
特徴は臭い? はいこりゃ確かに強烈なピート臭がします。特にラフロイグ!
今後もアイラ系は増やしていくつもりですが本当にファンが多いのですね。
ブレンデッド好きの私は上記のウイスキー達は舌がピリッとする感じなんですがそれはそれで悪くないものです。結構ハイボールでもいけますしね。
オーセンティックなショットバーのように沢山の種類はまだまだ揃っておりませんが今後お客様のご希望を反映して徐々に本数を増やしていくつもりです。
20代の頃から飲み始めたウイスキー。若い頃のお酒の思い出はやはりウイスキーなのです。当時からいつかはバーを営業してみたいとうっすら考えていたのかもしれません。
そして30年後夢はかなったわけです。自分は幸せものだという事ですね。はい!
●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
その5 「恋のテクニック」 ジェリーとペースメーカーズ
前回の書き込みでこの曲はハイコードを使用した方がいいと私は考えました。
自分と同世代のフォークギターから入った方達は結構ハイコードが苦手な人が多いようです。
これは開放弦を多く使うローコードが右手の指で爪弾くアルペジオにむいているからなのでしょうか。和音がクリアに響きますので。
70年代全盛のフォークソング~ニューミュージックはアルペジオが多かった。難しいキーはカポタストという器具を使うと至極便利なのですがこれに頼り過ぎるとハイコードが苦手になるのは致しかたないですね。ただハイコードを覚えて好きになるとギターのスキルは上がるはずなので是非とも出来るだけチャレンジしてみるとよいでしょう。
さて今回は前回ご説明出来なかったイントロ部分です。実は前回の動画撮影時うっかり忘れたのです。ハハハ!
オリジナルの録音ではメンバーのピアノが中心になっていますが当時のライブ映像ではギターとボーカル担当のジェリー・マースデンがピアノと同時に2本の弦をオクターブで爪弾いているように見えます。セカンドシングル「アイライクイット」でもジェリーはこの奏法を使っているようですので近々この曲もこのコーナーで取り上げてみますね。
さて私、平子が音をひろってみましたがオリジナルとはポジション等は違っているでしょうがまあ近いものかなとも思います。
また前回映像でお話しした使用するハイコードはお好きな形のものお選び頂ければよいと思います。なお各種コードの押さえ方はネットでもギターコード表が沢山ヒットしますのでそちらをご参考頂くか市販の歌本等でもコード表が付録でついている事が多いのでご覧頂くのがよろしいかと存じます。
私などはハイコードとオープンコードをごちゃ混ぜにするのが好きという変態なのです。
本当に我流でいい加減です。自分は本来ドラムが専門なのですがそれでもギターって楽しいですよね。
とりあえず下手くそですが映像お付けしておきますね。
※なお二つの弦を同時に弾く右手は4弦はピック、1弦は中指でも薬指でもお好きで結構です。
●ロックンロールよもやま話 -その49-
「全員集合しないですぅ! 名門ドリフターズ」
ご案内:チャーリー冷奴
50年代から60年代に相当な人気を博したロックンロール・リズム&ブルース・ドゥーワップグループのザ・ドリフターズ
ヒット曲も多数で日本でも「ラストダンスは私に」や「渚のボードウォーク」「アップオンザルーフ」は有名ですね。
さてこのグループ、実は頭のいい人でもちょっと説明が出来ないほど複雑なのです。
まるで異なる二つのグループが関係してくるのです。
① 初代のオリジナルドリフターズ
ドミノズでリードボーカルを務めていたのがクライド・マクファターでした。53年グループを出て新たな連中とチームを組みました。
これがドリフターズの始まりでした。
「マニーハニー」がリズム&ブルースチャートのトップをとりスターダムにのし上ります。
「ハニーラブ」「サッチアナイト」等ご機嫌な名曲が残されています。
54年クライドが徴兵のためグループを離れます。この後大半のリードボーカルを務めたのはジョニー・ムーアでした。当時から相当メンバーが入れ替わっていたようです。
「アドラブル」「ルビーベイビー」等はこの時期の傑作でしょうか。(「ルビーベイビー」はディオンがリヴァイヴァルヒットさせていますね。)
しかしながらメンバーが脱退したりで少しずつ活動にかげりが出ていたようです。
とにかく58年までは人気のトップグループでありました。
② 2代目ベン・E・キングのドリフターズ
59年の事、それまでファイブクラウンズと名乗って活動していたのですがマネージャーの考えでこれを新生ドリフターズとして活動させようという事になったようです。全とっかえでしょうか。凄い話ですね。
「ゼアゴーズマイベイビー」が最初のシングル、これが大ヒットです。その後も「ダンスウィズミー」「ジスマジックモーメント」等、ベンの時代はまさに黄金期となりました。
60年ベンが去りこの後リードとして参加したのはルディー・ルイス。
「サムカインドオブワンダフル」「プリーズステイ」「オンブロードウェイ」等ベンの時代にまったく負けておりません。凄い。
しかしルディーは64年事故で突然亡くなってしまいます。(薬物のようで)
この後のリードを担当する事となったのがなんとオリジナルドリフターズのジョニー・ムーアでした。これにより初代ドリフターズと2代目ドリフターズがシャッフルされ更にややこしくなってしまいます。
この時期は「渚のボードウォーク」が有名ですね。
ドリフターズは結局53年から60年代中盤まで人気のグループでしたのでグルーヴィンのBGMとして大半を占めるオールディーズの時代を隈なく走り続けたのです。
メンバーが混じり合っていなければこの2つは関連のないグループだと考える人もいたでしょうが実際はどういうふうに捉えるのでしょうか。
初代はどちらかというと泥くさめのサウンドですがそれでもポップな楽しい曲もありました。日本のシャネルズ(ラッツ&スター)が80年代よくライブ等で取り上げていたご機嫌でポップな「フールズフォーリングラブ」も初代ドリフターズの曲と思います。
2代目は白人ソングライターの作品を多く取り上げているからか実に都会的で洗練されたものになっているような。
さてグルーヴィンでは両方のドリフターズをアナログとCDでお楽しみ頂けます。
日本ではどちらかというと2代目が主流と思いますが両グループではすでに鬼籍に入ってしまった方々も多数でどちらにしても現在では「全員集合」は出来ません。
ただしベン・E・キングは今も元気でライブを行っております。(随分前ですが東京港区芝の郵便貯金ホールで彼はライブを行いました。それを見られたのは私の青春時代の思い出です。)
その私ももう50代中盤です。でも20歳も年が上のベンが元気で活躍しております。
酒ばかり飲んでいないで健康に気をつけて元気な爺さんになろうと目論見ながらやはりお酒を飲んでいるのです。いやあハハハ・・・
久しぶりにチャーリー冷奴が担当致しましたです。
方々に転勤したり辛い思いも随分ありましたがなんとか30年以上働く事が出来ました。これはいかにまわりの方々に助けてもらったかという事です。
さて自分がお酒を毎日のように口にするようになったのは確か22歳位の時からだと思います。
特にその頃はウイスキーを飲む事も多かったと思います。当時から一番好きなのはブレンデッドスコッチウイスキーでした。
20代の頃はカティーサークをよく酒屋さんで買いました。これは女優さんのセミヌードポスターが付録でついていたせいもありました。
シーバスリーガルも好きでした。ブレンデッドスコッチのほのかな香りが大好きで薄めの水割りで飲むのが好みでした。おつまみはかわきもので充分で。
さて現在ショットバーを始めてみると実際にご注文を受けるのはバーボンとシングルモルトが多いのは考えていた通りでした。
特にシングルモルトの中で人気なのがアイラモルトです。
現在グルーヴィンにあるアイラモルトを下記にあげてみましょうね。以下が正式メニューにあるものです。
・ボウモア12年
・アードベッグ10年
・ラフロイグ10年
・ラガブーリン16年
特徴は臭い? はいこりゃ確かに強烈なピート臭がします。特にラフロイグ!
今後もアイラ系は増やしていくつもりですが本当にファンが多いのですね。
ブレンデッド好きの私は上記のウイスキー達は舌がピリッとする感じなんですがそれはそれで悪くないものです。結構ハイボールでもいけますしね。
オーセンティックなショットバーのように沢山の種類はまだまだ揃っておりませんが今後お客様のご希望を反映して徐々に本数を増やしていくつもりです。
20代の頃から飲み始めたウイスキー。若い頃のお酒の思い出はやはりウイスキーなのです。当時からいつかはバーを営業してみたいとうっすら考えていたのかもしれません。
そして30年後夢はかなったわけです。自分は幸せものだという事ですね。はい!
●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
その5 「恋のテクニック」 ジェリーとペースメーカーズ
前回の書き込みでこの曲はハイコードを使用した方がいいと私は考えました。
自分と同世代のフォークギターから入った方達は結構ハイコードが苦手な人が多いようです。
これは開放弦を多く使うローコードが右手の指で爪弾くアルペジオにむいているからなのでしょうか。和音がクリアに響きますので。
70年代全盛のフォークソング~ニューミュージックはアルペジオが多かった。難しいキーはカポタストという器具を使うと至極便利なのですがこれに頼り過ぎるとハイコードが苦手になるのは致しかたないですね。ただハイコードを覚えて好きになるとギターのスキルは上がるはずなので是非とも出来るだけチャレンジしてみるとよいでしょう。
さて今回は前回ご説明出来なかったイントロ部分です。実は前回の動画撮影時うっかり忘れたのです。ハハハ!
オリジナルの録音ではメンバーのピアノが中心になっていますが当時のライブ映像ではギターとボーカル担当のジェリー・マースデンがピアノと同時に2本の弦をオクターブで爪弾いているように見えます。セカンドシングル「アイライクイット」でもジェリーはこの奏法を使っているようですので近々この曲もこのコーナーで取り上げてみますね。
さて私、平子が音をひろってみましたがオリジナルとはポジション等は違っているでしょうがまあ近いものかなとも思います。
また前回映像でお話しした使用するハイコードはお好きな形のものお選び頂ければよいと思います。なお各種コードの押さえ方はネットでもギターコード表が沢山ヒットしますのでそちらをご参考頂くか市販の歌本等でもコード表が付録でついている事が多いのでご覧頂くのがよろしいかと存じます。
私などはハイコードとオープンコードをごちゃ混ぜにするのが好きという変態なのです。
本当に我流でいい加減です。自分は本来ドラムが専門なのですがそれでもギターって楽しいですよね。
とりあえず下手くそですが映像お付けしておきますね。
※なお二つの弦を同時に弾く右手は4弦はピック、1弦は中指でも薬指でもお好きで結構です。
●ロックンロールよもやま話 -その49-
「全員集合しないですぅ! 名門ドリフターズ」
ご案内:チャーリー冷奴
50年代から60年代に相当な人気を博したロックンロール・リズム&ブルース・ドゥーワップグループのザ・ドリフターズ
ヒット曲も多数で日本でも「ラストダンスは私に」や「渚のボードウォーク」「アップオンザルーフ」は有名ですね。
さてこのグループ、実は頭のいい人でもちょっと説明が出来ないほど複雑なのです。
まるで異なる二つのグループが関係してくるのです。
① 初代のオリジナルドリフターズ
ドミノズでリードボーカルを務めていたのがクライド・マクファターでした。53年グループを出て新たな連中とチームを組みました。
これがドリフターズの始まりでした。
「マニーハニー」がリズム&ブルースチャートのトップをとりスターダムにのし上ります。
「ハニーラブ」「サッチアナイト」等ご機嫌な名曲が残されています。
54年クライドが徴兵のためグループを離れます。この後大半のリードボーカルを務めたのはジョニー・ムーアでした。当時から相当メンバーが入れ替わっていたようです。
「アドラブル」「ルビーベイビー」等はこの時期の傑作でしょうか。(「ルビーベイビー」はディオンがリヴァイヴァルヒットさせていますね。)
しかしながらメンバーが脱退したりで少しずつ活動にかげりが出ていたようです。
とにかく58年までは人気のトップグループでありました。
② 2代目ベン・E・キングのドリフターズ
59年の事、それまでファイブクラウンズと名乗って活動していたのですがマネージャーの考えでこれを新生ドリフターズとして活動させようという事になったようです。全とっかえでしょうか。凄い話ですね。
「ゼアゴーズマイベイビー」が最初のシングル、これが大ヒットです。その後も「ダンスウィズミー」「ジスマジックモーメント」等、ベンの時代はまさに黄金期となりました。
60年ベンが去りこの後リードとして参加したのはルディー・ルイス。
「サムカインドオブワンダフル」「プリーズステイ」「オンブロードウェイ」等ベンの時代にまったく負けておりません。凄い。
しかしルディーは64年事故で突然亡くなってしまいます。(薬物のようで)
この後のリードを担当する事となったのがなんとオリジナルドリフターズのジョニー・ムーアでした。これにより初代ドリフターズと2代目ドリフターズがシャッフルされ更にややこしくなってしまいます。
この時期は「渚のボードウォーク」が有名ですね。
ドリフターズは結局53年から60年代中盤まで人気のグループでしたのでグルーヴィンのBGMとして大半を占めるオールディーズの時代を隈なく走り続けたのです。
メンバーが混じり合っていなければこの2つは関連のないグループだと考える人もいたでしょうが実際はどういうふうに捉えるのでしょうか。
初代はどちらかというと泥くさめのサウンドですがそれでもポップな楽しい曲もありました。日本のシャネルズ(ラッツ&スター)が80年代よくライブ等で取り上げていたご機嫌でポップな「フールズフォーリングラブ」も初代ドリフターズの曲と思います。
2代目は白人ソングライターの作品を多く取り上げているからか実に都会的で洗練されたものになっているような。
さてグルーヴィンでは両方のドリフターズをアナログとCDでお楽しみ頂けます。
日本ではどちらかというと2代目が主流と思いますが両グループではすでに鬼籍に入ってしまった方々も多数でどちらにしても現在では「全員集合」は出来ません。
ただしベン・E・キングは今も元気でライブを行っております。(随分前ですが東京港区芝の郵便貯金ホールで彼はライブを行いました。それを見られたのは私の青春時代の思い出です。)
その私ももう50代中盤です。でも20歳も年が上のベンが元気で活躍しております。
酒ばかり飲んでいないで健康に気をつけて元気な爺さんになろうと目論見ながらやはりお酒を飲んでいるのです。いやあハハハ・・・
久しぶりにチャーリー冷奴が担当致しましたです。
PR
- トラックバックURLはこちら