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Groovin'

東京は神田神保町のオールディーズバーです。アナログレコードを中心に涙なしには語れないBGMと美味しい洋酒。エレキギターを弾いたり歌ったり。 お気軽にドアを開けて下さいね。
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  • 07/18/01:28


今回もモリモリ盛り沢山、梅雨なんかつゆ知らず!

●お客様を待つ事
当店は8割程度サラリーマンさんやOLさんがお客様なのでやはり特に月曜は皆さん気持ちがのらないのか常連さんでもドアを開ける事が少なくなるようです。
こういう時にありがたいのが初めておいでになる方達がふらりと入っていらっしゃる事がよくあるのです。やはり古いロックミュージックに興味がある方が多いようで特に男性は店内のエレキギターを弾いたり・・・
特に最近、初来店の方が多くなってきて本当に嬉しく思います。

天気が悪く雨足が強くなると「結局自分はドアがオープンするのを待つのが一番の仕事なのかな」と深く考えさせられます。
しかし実際は月曜日だろうが雨が振ろうが仕事が終われば何時でもお酒を飲みたい人は常にいらっしゃるはずです。自分が会社員時代は夜になると張りきって飲みに行きました。

先日の話「今日は駄目な日だな・・・」と少々がっかりしていると0時過ぎに突然ドアが勢いよく開き、「どうも、今日は9人なんだよ!」
カウンターが埋まり「世界が変わる瞬間」です。大手町や神保町界隈は深夜まで会社で働く方々も多いのです。この時間じゃないと来れないのですもんね。
ここのところ午前3時でもドアが開き急に賑やかになる事も多々ございます。
朝方までお客様がいらした日は最後にお店の清掃等をしながらも何かとても充実した幸せな気分になります。
やはりねばり強く待つのがこの仕事なのでしょうね。ものごとなんでも諦めない事です。

●ロックンロール生誕60年記念その③「1950年代・60年代ポップアイドルを聴こう!」
5月中はGWで皆様もお疲れ気味のようでしたのでイベントはしませんでしたが6月以後はかなり拍車がかかります。
今回BGMでお楽しみ頂くのは50年代後半から60年代初期に全盛を誇ったアメリカンポップアイドル、ロッカバラード歌手の大特集です。
ポール・アンカ、ニール・セダカ、フランキー・アヴァロン、ボビー・ヴィー、ボビー・ライデル、フェビアン、コニー・フランシス、アネット、コニー・スティーブンス、レスリー・ゴーア、リンダ・スコット・・・もう沢山おりますね。当日は誰が飛び出しますかね。
アトランダムに基本アナログ盤で対応いたします。「オールディーズの鬼」グルーヴィンならではのイベントです。
この時間リクエスト等が困難になりますが何卒ご了承の程、お願い申し上げます。
日程は以下のとおりです。

・6月23日(火)オープン~クローズまで
「昔のアイドルポップなんてなぁ・・・」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうがビートルズ達以後のブリティッシュロッカーにも深い影響を与えた彼等のドリーミーなサウンド、ロックの源を侮る事は出来ませんよぉ!
ご来店お待ちしております。

●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
 その9 「このギターソロ、一緒に弾きましょうよ! ヒッピーヒッピーシェイク」
以前ブログの「よもやま話」にも登場した英国のスィンギングブルージーンズ
がカバーヒットさせた「ヒッピーヒッピーシェイク」
曲の途中のギターソロはロック史上に残る名演だと私は思います。
今回の採譜は本当に苦労しました。頼りのユーチューブでもこのブルージーンズのギターソロを扱ったレッスン動画はなく彼等の演奏を聴きながら「この音かな、このポジションかな」と時間がかかりました。実際のところ多少音が違っている事は間違いないですが、雰囲気はうまくつかめたと思います。コピーって完璧でなくたっていいじゃないですか。とりあえず私にはこのようにしかコピー出来ませんでした。
見苦しく聞き苦しい動画も相変わらず添付しました。
またこういうロックンロールっていつも同じ弾き方をしていたら「イモっぽい」ですから適当に好きなアレンジを加えて下さいね。ノリノリで弾いて下さい。
なお次回の書き込みで今回のギターソロ以外の部分をサラって全体を通して一曲頑張ってみましょうね。ロックンロールフォーエバーですぅ!


●ロックンロールよもやま話    -その54-
「この人が売れてなかったらロックはどうなった??? エルヴィス登場」
                                ご案内:チャーリー冷奴

1940年代米国のヒットチャートのひとつにレイスレコードチャートがありました。ビルボード誌が毎週トップ10を掲載してその後トップ15を発表するようになったそうです。
レイスってジャズやブルースといった主に黒人音楽をイメージした言葉なのでしょう。これが40年代後半にこういった呼び方を変えようと恐らくはビルボード内で起こったのでしょう。
リズム&ブルースというチャートに改まります。

40年代にはほとんど50年代のロックンロールの原型が出来上がっていたような気がします。白人のカントリーのアーティストもかなりリズム&ブルースよりの曲も発表しているようです。ただ黒人側も白人側さすがに50年代の激しいビートは完成されていない感もありますけど。両方ともなんとなくイモっぽいとこがいいし、どちらかというとやはり黒人側の方が垢抜けていてカッコいいかも。

メンフィスやシカゴで成長していったこの音楽に黒人だけではなく白人のファンが急増したそうです。レコード盤(恐らくはSP盤)の売上がこの時代倍増したそうです。
いわゆるポップチャートではカントリーが主流であったのでしょう。しかしそれだけでは物足りない音楽好きの白人達はリズム&ブルースに急激にはまっていったようです。
白人ディスクジョッキーのアラン・フリードは自身の番組で盛んにファッツ・ドミノ等の人気ミュージシャンのレコードをかけてロックンロールという言葉を普及していったと思います。白人社会に広くファン層を広げます。
こういう社会状況に強く影響されて少年時代を過ごした一人、エルヴィス・プレスリーでありました。
ハハハ!ようやく出てきた。本日から数回、主役はキング、エルヴィス・プレスリーです。

メンフィスでレコーディングスタジオを持っていたサム・フィリップスという人。ブルースに夢中になり若き無名の黒人アーティスト達にレコーディングの機会を与えその中にはB・B・キング等もおりました。しかしながら貧しかったサムは貸しスタジオとして素人達に安価でレコード盤を作るというビジネスも新たに始めました。やがて「サン」という会社にします。サンではリズム&ブルースのアーティストのレコードを製作していきます。
段々とサンのサウンドが確立されてカントリーが混じるいわゆるロカビリーの原型が出来つつあったのでしょうか。サムは常々、白人で黒人のフィーリングでリズム&ブルースが歌えれば成功すると考えていたようです。

53年の夏、一人の若者が仕事の休憩中にレコードを母にプレゼントする為の録音にサンを訪れます。エルヴィスでした。
「心のうずくとき」「マイハピネス」の2曲を自分でギターをかき鳴らし歌ったそうです。
この録音をその後サムが聴いてすぐにはピンとこなかったのでしょう。
時間をおいて54年春にサムはエルヴィスを呼び出しカントリーソングを歌わせますがうまくいかなかったようです。もう一度後日バンドをつけてやらせてみようと考えたらしいです。
バンド練習(ヴォーカル、アコースティックギターはエルヴィス、エレキギターはスコッティ・ムーア、ウッドベースにビル・ブラック)を重ねたエルヴィスは7月にサンで数曲を録音、数週間で「ザッツオールライトママ/ケンタッキーの青い月」が発売され地元ラジオで大反響となり、スターへの第一歩をしるします。まさに彼は黒人のフィーリングでビートの激しいロカビリーの原型を歌い出したのです。
この後はコンサートツアーに明け暮れる事になりました。

エルヴィスがサン時代に特に印象を残したのは「ベビーレッツプレイハウス」「ミステリートレイン」あたりか。カントリーチャートで全米にアピールしています。これらにより彼の存在が知れ渡りました。いかにもロカビリーサウンドでした。
そして55年末にはRCAに移籍、一気に大スターへの道を歩む事になります。
今から60年も前の出来事。しかしこの人がいなかったらポピュラー音楽の歴史はまったく変わっていたのでしょう。
さて次回は50年代エルヴィスのシングル発表曲を中心にお話を進めましょう。
時代はロックンロール全盛時代へ!
チャーリー・冷奴でした。


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