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Groovin'

東京は神田神保町のオールディーズバーです。アナログレコードを中心に涙なしには語れないBGMと美味しい洋酒。エレキギターを弾いたり歌ったり。 お気軽にドアを開けて下さいね。
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  • 07/18/07:11


夏も終わりのグルーヴィン、9月連休もグルーヴィン

●前回もお知らせ致しましたがシツコク9月定休日のお知らせを

・9月 6日(日)
・9月13日(日)
・9月20日(日)
・9月27日(日)
※9月は26日間の営業となります。

●オープン3周年記念特別営業「夕方からグルーヴィン」及びロックンロール生誕60年記念その⑤⑥⑦

・9月21日(月・敬老の日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑤「バディ・ホリー特集・伝説の天才ロックンローラー」

・9月22日(火・国民の休日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑥「エルヴィス・プレスリー特集・ロックンロール黄金時代」

・9月23日(水・秋分の日) 夕方5時オープン夜11時クローズ
⑦「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう。パート2」

一気に3日間を突っ走ります。
秋からは3周年記念企画とロック生誕60年がリンクしてまいります。お楽しみに。

●タバコとグルーヴィン

時代の流れに反するようですがグルーヴィンでは喫煙が出来ます。
「なんて店だ、このご時勢に」って憤る方もいるでしょう。実は私、平子はまったくタバコをたしなみません。タバコはガンの発症を高めるとか受動喫煙も唱えられる時代ですがなんとタバコの良い面もあるようです。

・ストレスの軽減
・ボケの防止

ガンの発症の問題にしても実はさほどの害はないという説も強いようです。受動喫煙も同様で数字的にはあまり危険性はないという説も出ています。私には嫌煙家が少し騒ぎすぎとも思えます。それをまた支持した方が安全という公の施設。大手企業。

時代の流れで愛煙家をまるで犯罪でも犯したようにきつく縛り挙げているような気もしないでもありません。どぎついオーデコロンや車やオートバイの意味の無い騒音。私から見たらもっと迷惑な感じもするところです。現代人の自己主張の強さは嫌気がさす時が多々あるかと思います。
あくまでも嗜好品、他人を思いやる気持ちを持ち喫煙マナーを守ればさして問題ないと考えております。

何よりも煙や匂いが嫌だという方も多いでしょうがタバコをまったく吸わない私、実はあまり気になりません。というよりほのかな上品な香りが好きな方です。またお酒特にウイスキーとタバコはこりゃなかなかピタリとあうものって感じがします。

ご来店のお客さんでタバコをたしなまれる方は約40パーセント少しだと思います。女性も楽しみながら喫煙される方も多いと感じます。
健康のために吸いすぎには注意され適宜にお楽しみ頂ければさほど問題はないと私は考えております。要はお酒も一緒では。

バーとタバコ・・・。こりゃ現代でも切り離せないものでしょうか。
ストレスを癒し、人生のひと時に潤いをもたらすならばまわりが目くじらを立てるのはいかがなものなのでしょう。

●ロックンロールよもやま話    -その63-
               「夢を掴んだドリーミン」
                                ご案内:チャーリー・冷奴

日毎に秋の色が強まります。
暑さも治まりつつあり逆にこの時期に他の皆さんと交代に夏休みをとられる方もいらっしゃるでしょう。
秋、いやまだ少し早いかもしれませんが秋刀魚が恋しくなってまいります。大根おろしに醤油をかけて・・・ゴクッ。

話は変わりますがグルーヴィンに保管されているオールディーズ音源で大スターではないがなかなか侮れずポップスの歴史の中に生き続けているアーティストのレコードが多数あります。本日の主役はまさにそんな中の一人であります。ロカビリー時代を経てマイルドなポップロックサウンドで人気者になったジョニー・バーネットです。

少年時代ふいにラジオの懐メロポップス番組で紹介されいっぺんでとりこになった曲があります。1960年の大ヒット「ドリーミン(夢に見る恋)」でした。恐らくはバイオリンであろうとおぼしきイントロにまず引きこまれました。まさにアメリカンポップ、リバティーレコードのサウンドでした。続いて男らしい甘い声のヴォーカル。それがジョニーとの初めての出会いでした。

ジョニーは34年3月25日メンフィス出身。メンフィスはブルース等黒人音楽の中心地ですね。
彼は大変なスポーツマンでボクシングと音楽が大好きな少年でした。兄はドーシー・バーネットでこちらもその後に弟同様にヒットソングを飛ばす歌手になりました。

ドーシーも音楽とボクシングが得意でありました。高校時代こちらもまた音楽とボクシングが趣味(ハハハ!)のポール・バーリソンと3人でバンドを組みました。後にロカビリーの歴史に名が残るジョニー・バーネットトリオの原型です。ジョニーがギターとヴォーカル、ドーシーがベース、ポールがギターという編成。

最初は恐らくカントリーを演奏していたかと考えます。エルヴィスに影響を受けながら活動を続けますがなかなか成功しません。56年には「ティアイットアップ」等、旬なロカビリーを発表しますがヒットという訳にはいかなかったようです。その後も活動は長く続けますが陽の目をみず解散に至ります。時代はもうロカビリーでもなく。
ウウッ・・・ (ノ_・。)

だけど悪い事ばかりではなかったようです。リバティーレコードに入ったジョニーは60年「森に火をつけて」でソロ歌手スタートです。古いカントリーをロックに仕立てたのですがヒットはしませんでした。次の「ドントドゥーイット」も同様でした。
そして3枚目に発表した「ドリーミン」でとうとう火がつきます。バリー・デヴォーゾン達が書き上げたこの歴史に残る名曲はスナッフ・ギャレットがプロデュースし60年8月米国で11位まで上がる大ヒット。ジョニーが栄光を掴んだのです。

この曲の後のシングル「ユアシックスティーン」が前作を上回る大ヒットでなんと8位まで上りつめ彼の人生最大の成功作となります。(73年にリンゴ・スターが取り上げ1位を獲得しています。)
その後は安定してチャートに曲が出てまいります。特に成功作は「リトルボーイサッド」(61年17位)、「ビッグワールド」(61年58位)「カントリーアンドマイベイビー」(61年18位)。
ロカビリー時代はほとんど売れませんでしたがその後に62年まで在籍したリバティーでスターダムに上がりました。日本では62年に「片目のジャック」が好評でかなりのヒットとなりましたね。この曲マーロン・ブランドの西部劇を反映させたものだと思います。なぜか私の家に兄弟が買ったシングル盤がありました。

ジョニーはその後63年にキャピトルに移籍します。
まだまだこれからという時期でしたが、残酷な運命の悪戯が待っていました。
64年8月14日の夜にクリアレイクにて小船に乗り一人で釣りを楽しんでいた彼、船に追突され亡くなりました。
ジョニー・バーネット30年の生涯でした。

70年代の映画「アメリカングラフィティ」で効果的に「ユアシックスティーン」が使われ久しぶりにジョニーに脚光があたりました。この時名前を知られた方もいらっしゃるでしょう。また80年に米国で「愛は風にのせて」を大ヒットさせたロッキー・バーネットはジョニーの息子さんであります。
ジョニーの野太くしかし甘い歌声、グルーヴィンでは2枚のアナログLPで全盛期のリバティー時代の音源を中心にお聴き頂けます。

なお冒頭にも書きましたが兄のドーシーも60年代初期からヒット曲をいくつか発表しており、アメリカングラフティボリューム3というアルバムで「ヘイリトルワン」(60年48位)が選曲されております。ドーシーは70年代までカントリー畑で名を残しましたが79年8月に49歳の若さでこの世を去っております。またジョニー・バーネットトリオ時代にエレキギターを担当したポール・バーリソンも2003年に亡くなっております。

ロカビリーが大好きな方はジョニーのトリオ時代にとっても興味を持たれていると思います。この20年ほどその彼等の音源は手に入りやすくなっております。ただ私はどうしてもジョニーが栄光を掴んだリバティー時代が気になるのです。何しろ苦労し続けた彼がようやく全米いや世界で脚光を浴びた「ドリーミン」
私の人生の中でも大切なフェイバリットソングであります。お若い方々もどうぞ一度お聴きになって下さいね。夢をもらって元気になる曲です。
私は今日はグルーヴィンでジョニーの歌声を聴きながらハーパーのハイボールでもグビッと飲もうっと。チャーリーが担当しました。

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