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秋爛漫、「散歩の達人」10月号に掲載して頂きました。&またもやよもやま話で。。。
●交通新聞社「散歩の達人」2015年10月号にお取り上げ頂きました。
有難い事に掲載して頂きました。交通新聞社編集スタッフの方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
10月号は神田神保町界隈の特集です。売切れも予想される人気雑誌でございますので是非お早めにお買い求め下さいませ。税込700円です。安い!
http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/
また日経BP社「大人のロック」創刊10周年記念特別号のロック酒場訪問ページにも昨年掲載して頂いております。まだ購入が可能のようですのでどうぞお早めに。1000円+税です。
http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/rock/
●しつこいですけど再度10月の営業について
お休みは以下の予定です。
・10月 4日(日)
・10月11日(日)、12日(祝)
・10月18日(日)
・10月25日(日)
計26回の営業となります。ご来店お待ちしております。
●ロックンロールよもやま話 -その66-
「70年代の懐メロスター達」
ご案内:チャーリー・冷奴
自分は70年代に学生時代を送っております。
この頃の世界のポップス界はちょっとした50年代60年代のサウンド回顧のブームがありました。グルーヴィンがお得意とするロックンロールのオールディーズ時代の甘酸っぱいサウンドが70年代に見直されたという感じ。これは特に70年代初期から中期位であったかなとおぼろげながら記憶しております。もちろん日本のアイドル達もその渦に巻き込まれておりました。
カーペンターズがファンの人気を集めていた時期で、そろそろ北欧からアバが登場し始めた頃ですが彼等のような大スターではないかもしれませんが同様に甘く懐かしくて心に残る。そんな素敵なサウンドを持ったアーティストを綴ってみますね。
① トニー・オーランドとドーン
トニーは米国60年代初期のアイドルスターでした。
「ブレスユー」「ハーフウェイトゥパラダイス」のヒットを持つ彼、私も大好きな歌手です。
さてドーンというグループ、実体不明であったようです。元は白人の4人組でスタートしたらしいのです。突然なんと全員がメンバーチェンジという事が発表されました。新しいメンバーはかつてのスターのトニーをボーカルにした6人のバンドです。ところがどっこい、どうも実際にドーンとしてどぉ~んと姿を現したのはたった3人でした。話が長くなるので<はしょり>ますがトニーが「恋するキャンディダ」という曲を気に入りレコード会社に売り込んでいると「いいじゃん、これ。でも歌う奴がいないんだよね。」という感じでした。
結局デモテープを歌ったトニーが本録音も担当する事になりレコードは70年に発売されました。
どうもトニーは自分の名前を出したくなかったらしくドーンという既存のグループ名を使用したらしいです。この曲なんと全米中の大ヒット、続いて発売の「ノックは3回」に至ると輝く第1位を獲得する事となってしまうのです。ゲゲッ、想定外が起こってしまいました。
「まいったな。コンサートもしなきゃなんないし、偉いこった。」
その後も歴史に残る名曲「幸せの黄色いリボン」や「嘆きのジプシーローズ」「イチゴ畑のサリーちゃん」「恋のシーソーゲーム」等多数のヒットを放つ事になりました。こうなるとメンバー構成等はもうどうでもいいようなもので楽曲そのものの出来の素晴らしさを楽しむのが一番かと…ありゃりゃ、この人達アバやカーペンターズに全然負けてないや。
② マッド
こちらは英国のバンドです。実は日本では曲が流行したという事はなかったと思います。ボーカルのレス・グレイ他計4人組のバンドです。
このよもやま話でも以前ご紹介したルベッツと同じのりのオールディーズ風のややハードなバンドでした。
60年代後半にスタートしているのですがすぐにヒットは出ませんでした。
73年「クレージー」が英国チャートの好成績を収めると「ダイナマイト」「タイガーフィート」「恋のロケット」等が大ヒットとなります。
レスのボーカルは完全に全盛時代のエルヴィスを意識したものでしょう。70年代中盤までは常に英国チャートを賑わすトップのオールディーズバンドでした。しかしながら米国や日本ではほとんど無名であったのは残念です。
なおボーカルを担当したレスは2004年、ドラム担当のデイブ・マウントは2006年にこの世を去っています。
③ パイロット
やはり英国のバンド、元はベイシティローラーズに在籍していた人が中心になり結成されたようです。
私が彼等のサウンドを初めて聴いたのは75年に日本でもヒットした「コールミーラウンド」という曲です。66年位のビートルズのようなメロウな感じがとっても切なく気に入ってしまいました。
さかのぼりますが74年に英国、米国で「マジック」が大ヒット。
他にも「ジャニュアリー」といった大ヒットがあります。ただ人気が続かず徐々にヒットチャートから離れていきました。
キーボード、ドラムス、ベース、ギターの4人編成、彼等のプロデュースはアラン・パースンズが担当しました。
なおバンドでキーボードを担当したビル・ライアルは89年にこの世を去っております。
④ アラン・シャンフォー
おや珍しいフランチポップのスターです。
ピアニスト、シンガーソングライター。
74年の秋に突然日本の洋楽チャートで大ヒットしたのが「初恋にボンジュール」。早いテンポの曲で日本人好みの哀愁がたっぷりのナンバーでした。
次のシングルは更にオールディーズぽい「気まぐれな恋」でこちらもかなりのヒットとなりました。
75年に東京音楽祭で来日、センチメンタルでやはりオールディーズ風の「そよ風のセレナーデ」を熱唱、日本の若い女性をとりこにしました。この時は私もテレビで彼のカッコいいステージ姿を拝見しました。若い頃の川崎麻世さんといった感じでしょうか。
180センチを軽く超える長身で細身、あり得ない程ハンサムな青年でした。当時22歳位でしょう。
日本ではその後カネボウのCMで「ボンジュールお目目さん」を歌いヒットさせております。テニスや空手が好きなスポーツマンでもありました。
話が飛びますけど同系統の歌手に「ギンザレッドウィウィ」のデイブがおりました。やはり化粧品のCMで使用されヒットしたのでこのアランと混同する方も多いのでは。
アランは今も変わらぬ素敵なおじさんでフランスでは人気者、まだまだライブ活動をしております。
1950年代のオールディーズロック。その後のポップスの歴史に大きな影響を与え続けています。特に70年代は日本でもオールディーズブームが起こり今でも有名なライブハウス「ケントス」はそのあたりから営業されていると思います。
さて本日ご紹介した音源はグルーヴィンに大事に保管されております。リクエストされてみたらいかがでしょう。
それにしても再びオールディーズブームが起きないでしょうか。グルーヴィンの景気も随分違ってくるとは思いますが。ハイ、本日もチャーリー・冷奴が担当しました。
有難い事に掲載して頂きました。交通新聞社編集スタッフの方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
10月号は神田神保町界隈の特集です。売切れも予想される人気雑誌でございますので是非お早めにお買い求め下さいませ。税込700円です。安い!
http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/
また日経BP社「大人のロック」創刊10周年記念特別号のロック酒場訪問ページにも昨年掲載して頂いております。まだ購入が可能のようですのでどうぞお早めに。1000円+税です。
http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/rock/
●しつこいですけど再度10月の営業について
お休みは以下の予定です。
・10月 4日(日)
・10月11日(日)、12日(祝)
・10月18日(日)
・10月25日(日)
計26回の営業となります。ご来店お待ちしております。
●ロックンロールよもやま話 -その66-
「70年代の懐メロスター達」
ご案内:チャーリー・冷奴
自分は70年代に学生時代を送っております。
この頃の世界のポップス界はちょっとした50年代60年代のサウンド回顧のブームがありました。グルーヴィンがお得意とするロックンロールのオールディーズ時代の甘酸っぱいサウンドが70年代に見直されたという感じ。これは特に70年代初期から中期位であったかなとおぼろげながら記憶しております。もちろん日本のアイドル達もその渦に巻き込まれておりました。
カーペンターズがファンの人気を集めていた時期で、そろそろ北欧からアバが登場し始めた頃ですが彼等のような大スターではないかもしれませんが同様に甘く懐かしくて心に残る。そんな素敵なサウンドを持ったアーティストを綴ってみますね。
① トニー・オーランドとドーン
トニーは米国60年代初期のアイドルスターでした。
「ブレスユー」「ハーフウェイトゥパラダイス」のヒットを持つ彼、私も大好きな歌手です。
さてドーンというグループ、実体不明であったようです。元は白人の4人組でスタートしたらしいのです。突然なんと全員がメンバーチェンジという事が発表されました。新しいメンバーはかつてのスターのトニーをボーカルにした6人のバンドです。ところがどっこい、どうも実際にドーンとしてどぉ~んと姿を現したのはたった3人でした。話が長くなるので<はしょり>ますがトニーが「恋するキャンディダ」という曲を気に入りレコード会社に売り込んでいると「いいじゃん、これ。でも歌う奴がいないんだよね。」という感じでした。
結局デモテープを歌ったトニーが本録音も担当する事になりレコードは70年に発売されました。
どうもトニーは自分の名前を出したくなかったらしくドーンという既存のグループ名を使用したらしいです。この曲なんと全米中の大ヒット、続いて発売の「ノックは3回」に至ると輝く第1位を獲得する事となってしまうのです。ゲゲッ、想定外が起こってしまいました。
「まいったな。コンサートもしなきゃなんないし、偉いこった。」
その後も歴史に残る名曲「幸せの黄色いリボン」や「嘆きのジプシーローズ」「イチゴ畑のサリーちゃん」「恋のシーソーゲーム」等多数のヒットを放つ事になりました。こうなるとメンバー構成等はもうどうでもいいようなもので楽曲そのものの出来の素晴らしさを楽しむのが一番かと…ありゃりゃ、この人達アバやカーペンターズに全然負けてないや。
② マッド
こちらは英国のバンドです。実は日本では曲が流行したという事はなかったと思います。ボーカルのレス・グレイ他計4人組のバンドです。
このよもやま話でも以前ご紹介したルベッツと同じのりのオールディーズ風のややハードなバンドでした。
60年代後半にスタートしているのですがすぐにヒットは出ませんでした。
73年「クレージー」が英国チャートの好成績を収めると「ダイナマイト」「タイガーフィート」「恋のロケット」等が大ヒットとなります。
レスのボーカルは完全に全盛時代のエルヴィスを意識したものでしょう。70年代中盤までは常に英国チャートを賑わすトップのオールディーズバンドでした。しかしながら米国や日本ではほとんど無名であったのは残念です。
なおボーカルを担当したレスは2004年、ドラム担当のデイブ・マウントは2006年にこの世を去っています。
③ パイロット
やはり英国のバンド、元はベイシティローラーズに在籍していた人が中心になり結成されたようです。
私が彼等のサウンドを初めて聴いたのは75年に日本でもヒットした「コールミーラウンド」という曲です。66年位のビートルズのようなメロウな感じがとっても切なく気に入ってしまいました。
さかのぼりますが74年に英国、米国で「マジック」が大ヒット。
他にも「ジャニュアリー」といった大ヒットがあります。ただ人気が続かず徐々にヒットチャートから離れていきました。
キーボード、ドラムス、ベース、ギターの4人編成、彼等のプロデュースはアラン・パースンズが担当しました。
なおバンドでキーボードを担当したビル・ライアルは89年にこの世を去っております。
④ アラン・シャンフォー
おや珍しいフランチポップのスターです。
ピアニスト、シンガーソングライター。
74年の秋に突然日本の洋楽チャートで大ヒットしたのが「初恋にボンジュール」。早いテンポの曲で日本人好みの哀愁がたっぷりのナンバーでした。
次のシングルは更にオールディーズぽい「気まぐれな恋」でこちらもかなりのヒットとなりました。
75年に東京音楽祭で来日、センチメンタルでやはりオールディーズ風の「そよ風のセレナーデ」を熱唱、日本の若い女性をとりこにしました。この時は私もテレビで彼のカッコいいステージ姿を拝見しました。若い頃の川崎麻世さんといった感じでしょうか。
180センチを軽く超える長身で細身、あり得ない程ハンサムな青年でした。当時22歳位でしょう。
日本ではその後カネボウのCMで「ボンジュールお目目さん」を歌いヒットさせております。テニスや空手が好きなスポーツマンでもありました。
話が飛びますけど同系統の歌手に「ギンザレッドウィウィ」のデイブがおりました。やはり化粧品のCMで使用されヒットしたのでこのアランと混同する方も多いのでは。
アランは今も変わらぬ素敵なおじさんでフランスでは人気者、まだまだライブ活動をしております。
1950年代のオールディーズロック。その後のポップスの歴史に大きな影響を与え続けています。特に70年代は日本でもオールディーズブームが起こり今でも有名なライブハウス「ケントス」はそのあたりから営業されていると思います。
さて本日ご紹介した音源はグルーヴィンに大事に保管されております。リクエストされてみたらいかがでしょう。
それにしても再びオールディーズブームが起きないでしょうか。グルーヴィンの景気も随分違ってくるとは思いますが。ハイ、本日もチャーリー・冷奴が担当しました。
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