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オープン3周年企画その①「モヒートフェスティバル」
オープン記念日10月18日(日)は定休日でした。のんびり眠り、午後より家を出てジムで筋トレなんかしてまったり、その後家に戻り夕食と一緒にビールや焼酎でしんみりと自分にお祝いしました。
ずっとお店を支えて頂いたお客様に心より感謝申し上げます。
さて3年間の営業で当店の中では人気のメニューがモヒートです。
ラムのほのかな甘み、すがすがしいミントの香り。ウイスキーの前の一杯にもぴったりです。実は使用しているスペアミントは私の家で栽培しているものです。
3周年企画の第一弾は「モヒートフェスティバル」と銘打ち10月26日(月)から29日(木)までの間モヒートをワンコイン500円にてご提供させて頂きます。(バカルディゴールド使用)
何杯飲んでもかまいませんが度数が強いものですからそこはご注意下さいね。ハイ!!
さあ年末まで企画は続きますよ。お楽しみに。
●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
その15 「抱きしめたい」を楽しもう
64年米国にて大爆発したザ・ビートルズ。
そのきっかけがこの曲でした。
本日は一人でも弾き語りが出来るようにコピーしてみました。
いやあ本当に若さ一杯の名曲です。ギターコードも単純なのですぐに弾けてしまうと思います。
さて次回以後は新コーナーとして初心者からのドラム奏法を一緒に探っていこうという企画「目指せ、イカす親父ドラマー」と交互に掲載して行こうと思います。そちらもお楽しみにね。
「抱きしめたい」
ザ・ビートルズ
C D C D C D
G D
Oh yeah, I'll tell you something,
Em B7
I think you'll understand.
G D
When I'll say that something
Em B7
I want to hold your hand,
C D G Em
I want to hold your hand,
C D G
I want to hold your hand.
G D
Oh please, say to me
Em B7
You'll let me be your man
G D
And please, say to me
Em B7
You'll let me hold your hand.
C D G Em
Now let me hold your hand,
C D G
I want to hold your hand.
Dm G C Am
And when I touch you I feel happy inside.
Dm G C
It's such a feeling that my love
D C D C D
I can't hide, I can't hide, I can't hide.
G D
Yeh you, got that something,
Em B7
I think you'll understand.
G D
When I'll say that something
Em B7
I want to hold your hand,
C D G Em
I want to hold your hand,
C D G
I want to hold your hand.
Dm G C Am
And when I touch you I feel happy inside.
Dm G C
It's such a feeling that my love
D C D C D
I can't hide, I can't hide, I can't hide.
G D
Yeh you, got that something,
Em B7
I think you'll understand.
G D
When I'll say that something
Em B7
I want to hold your hand,
C D G Em
I want to hold your hand,
C D Em
I want to hold your hand.
C D G
I want to hold your hand
●ロックンロールよもやま話 -その68-
「ニール・セダカに有難う」
ご案内:チャーリー・冷奴
ロックンロールが甘いポップサウンドにそろそろ移ろうという頃、日本を含む世界各国の若者の心を捉えた米国の若手歌手、その一人にニール・セダカがおります。
1939年3月13日ニューヨーク生まれ。
ピアニストの祖母の影響で幼くしてピアノを始め、その才能は飛び抜けていて十代にはショパン演奏で歴史的なピアニストのあのルービンシュタインに認められる程であったそうです。
高校時代はその後有名になるザ・トーケンズに在籍していました。
高校を卒業してジュリアード音楽院に進みピアノの研鑽はもちろん作曲の勉強もします。
この頃はピアニストを目指していたでしょう。
時代はブルースやカントリーから派生したロックンロール熱が米国を襲っていました。彼も当然強い影響を受けた訳です。
そしてそろそろハードなロックンロールからロッカバラードへ。
作詞家ハワード・グリーンフィールドと組んでロックの曲を書きコニー・フランシス等に曲を送る程になりました。
ニールは歌手でシングル盤を少し出していましたが、さほど注目は浴びていなかったと思います。
最初に成功を収めたのが「恋の日記」でした。58年にRCAより発売されたこの曲、14位まで上がる大ヒットでした。この曲をもってデヴューと考えてもいいかもしれません。
続く「アイゴークレイジー」も42位とスマッシュヒットでした。
彼の最初のベスト10内ヒット曲は59年「おおキャロル」です。9位まで上がります。なおB面は日本で爆発的な人気となった「恋の片道切符」でした。
彼が米国で安定してヒットチャートに曲を送り込み出すのはむしろ60年からでしょう。
「星へのきざはし」が60年9位の大ヒット、「君こそすべて」「ランサムソンラン」は両面でスマッシュヒット、61年は名曲「カレンダーガール」が4位です。次の「小さな悪魔」も11位でした。「スイートリトルユー」がスマッシュヒットの後は「すてきな16歳」が6位となります。
彼が初めて1位を獲得するのは62年「悲しき慕情」です。その後「可愛いあの娘」が5位まで上がります。(60年代後半、日本のGSアングラグループのザ・ダーツやジャイアンツの「ケメ子の歌」の元歌で有名ですね。)
ニールはロッカバラードの時代を大スターとして駆け抜けました。
この後やはり他の同世代の歌手同様人気に陰りが…
63年に入り、やはりまわりのサウンドが変わってきていたのでしょう。「不思議の国のアリス」は17位と好調でしたが「よりを戻そうよ」が少しランクを下げて26位「ドリーマー」は素晴らしい楽曲なのに47位でした。
「バッドガール」33位と健闘しますが全盛時の勢いはもうありません。
しかしながらこのオールディーズの時代に20曲近いヒットを出しているのですから大したものです。
その後しばらくヒットチャートから遠のいても活発に活動を続け74年「雨に微笑を」で1位をとり見事に復活です。その後は再びヒットチャートの常連となり75年「バッドブラッド」は脅威的な大ヒットで3週連続の1位となりました。また「悲しき慕情」をスロウバラードで再録音、これは8位まで上がりました。
楽曲提供も素晴らしいものでキャプテン&テニールはニールの「愛ある限り」をカバーして75年に1位をとりました。
さてオールディーズ時代、同じシンガーソングライターとしてポール・アンカと比べる事が日本ではよくあると思います。実際2度の黄金期を持つのも共通していますが最初の全盛期にポールはニールよりヒットが多い事とアイドル性がニールよりかなり高い感じがありイメージが違うと思います。ニールはハンサムですが背もあまり高くなく若い頃からやや小太りであった感じで大人びた感じがします。アイドルというよりヒットメーカーかな。
ただ二人とも日本の歌謡曲に与えた影響は多大なものだと私は思います。
60年代に日本で流行した歌謡曲は3連譜のスロウバラードが多くなっております。やや専門的になってしまいますが一つの拍をゆっくりと3等分にするものですがニールでいうと「恋の日記」「きみこそすべて」、ポールでいえば「クレイジーラブ」「君は我が運命」等。
彼らにしても黒人のドゥーワップのスロウバラードに強く影響を受けたものでしょうがこのリズムが日本人にぴったりあったのでしょう。(タタタ・タタタ・タタタ・タタタ)
「硝子のジョニー」「アカシアの雨がやむ時」「柳ヶ瀬ブルース」「君こそ我が命」「港町ブルース」「長崎は今日も雨だった」「バスストップ」「旅の終わりに」等、恐らくはニール達が日本で脚光を浴びていなければこの手のヒット曲はいくつ存在していたのでしょうか。
昭和30年代から以後の歌謡曲は違ったものになっていたのではないでしょうか。いかにアメリカンポップが日本に与えた影響が大きかったか。
ニールは現在70代ですがまだまだ元気でライブ活動を行っております。それもオールディーズ歌手の枠を完全に飛び越えてエンターテイナーです。
やや太り気味なのは心配ですが…
いつまでも笑顔が素敵で明るい歌声…軽くステップを踏みながらのパフォーマンス。重厚なピアノ演奏。
そんな彼と同時代に存在できる幸せ。日本音楽史の大恩人でしょう。日本人として本当に彼に心より有難うと伝えたいものです。本日もチャーリーが担当しました。
ずっとお店を支えて頂いたお客様に心より感謝申し上げます。
さて3年間の営業で当店の中では人気のメニューがモヒートです。
ラムのほのかな甘み、すがすがしいミントの香り。ウイスキーの前の一杯にもぴったりです。実は使用しているスペアミントは私の家で栽培しているものです。
3周年企画の第一弾は「モヒートフェスティバル」と銘打ち10月26日(月)から29日(木)までの間モヒートをワンコイン500円にてご提供させて頂きます。(バカルディゴールド使用)
何杯飲んでもかまいませんが度数が強いものですからそこはご注意下さいね。ハイ!!
さあ年末まで企画は続きますよ。お楽しみに。
●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
その15 「抱きしめたい」を楽しもう
64年米国にて大爆発したザ・ビートルズ。
そのきっかけがこの曲でした。
本日は一人でも弾き語りが出来るようにコピーしてみました。
いやあ本当に若さ一杯の名曲です。ギターコードも単純なのですぐに弾けてしまうと思います。
さて次回以後は新コーナーとして初心者からのドラム奏法を一緒に探っていこうという企画「目指せ、イカす親父ドラマー」と交互に掲載して行こうと思います。そちらもお楽しみにね。
「抱きしめたい」
ザ・ビートルズ
C D C D C D
G D
Oh yeah, I'll tell you something,
Em B7
I think you'll understand.
G D
When I'll say that something
Em B7
I want to hold your hand,
C D G Em
I want to hold your hand,
C D G
I want to hold your hand.
G D
Oh please, say to me
Em B7
You'll let me be your man
G D
And please, say to me
Em B7
You'll let me hold your hand.
C D G Em
Now let me hold your hand,
C D G
I want to hold your hand.
Dm G C Am
And when I touch you I feel happy inside.
Dm G C
It's such a feeling that my love
D C D C D
I can't hide, I can't hide, I can't hide.
G D
Yeh you, got that something,
Em B7
I think you'll understand.
G D
When I'll say that something
Em B7
I want to hold your hand,
C D G Em
I want to hold your hand,
C D G
I want to hold your hand.
Dm G C Am
And when I touch you I feel happy inside.
Dm G C
It's such a feeling that my love
D C D C D
I can't hide, I can't hide, I can't hide.
G D
Yeh you, got that something,
Em B7
I think you'll understand.
G D
When I'll say that something
Em B7
I want to hold your hand,
C D G Em
I want to hold your hand,
C D Em
I want to hold your hand.
C D G
I want to hold your hand
●ロックンロールよもやま話 -その68-
「ニール・セダカに有難う」
ご案内:チャーリー・冷奴
ロックンロールが甘いポップサウンドにそろそろ移ろうという頃、日本を含む世界各国の若者の心を捉えた米国の若手歌手、その一人にニール・セダカがおります。
1939年3月13日ニューヨーク生まれ。
ピアニストの祖母の影響で幼くしてピアノを始め、その才能は飛び抜けていて十代にはショパン演奏で歴史的なピアニストのあのルービンシュタインに認められる程であったそうです。
高校時代はその後有名になるザ・トーケンズに在籍していました。
高校を卒業してジュリアード音楽院に進みピアノの研鑽はもちろん作曲の勉強もします。
この頃はピアニストを目指していたでしょう。
時代はブルースやカントリーから派生したロックンロール熱が米国を襲っていました。彼も当然強い影響を受けた訳です。
そしてそろそろハードなロックンロールからロッカバラードへ。
作詞家ハワード・グリーンフィールドと組んでロックの曲を書きコニー・フランシス等に曲を送る程になりました。
ニールは歌手でシングル盤を少し出していましたが、さほど注目は浴びていなかったと思います。
最初に成功を収めたのが「恋の日記」でした。58年にRCAより発売されたこの曲、14位まで上がる大ヒットでした。この曲をもってデヴューと考えてもいいかもしれません。
続く「アイゴークレイジー」も42位とスマッシュヒットでした。
彼の最初のベスト10内ヒット曲は59年「おおキャロル」です。9位まで上がります。なおB面は日本で爆発的な人気となった「恋の片道切符」でした。
彼が米国で安定してヒットチャートに曲を送り込み出すのはむしろ60年からでしょう。
「星へのきざはし」が60年9位の大ヒット、「君こそすべて」「ランサムソンラン」は両面でスマッシュヒット、61年は名曲「カレンダーガール」が4位です。次の「小さな悪魔」も11位でした。「スイートリトルユー」がスマッシュヒットの後は「すてきな16歳」が6位となります。
彼が初めて1位を獲得するのは62年「悲しき慕情」です。その後「可愛いあの娘」が5位まで上がります。(60年代後半、日本のGSアングラグループのザ・ダーツやジャイアンツの「ケメ子の歌」の元歌で有名ですね。)
ニールはロッカバラードの時代を大スターとして駆け抜けました。
この後やはり他の同世代の歌手同様人気に陰りが…
63年に入り、やはりまわりのサウンドが変わってきていたのでしょう。「不思議の国のアリス」は17位と好調でしたが「よりを戻そうよ」が少しランクを下げて26位「ドリーマー」は素晴らしい楽曲なのに47位でした。
「バッドガール」33位と健闘しますが全盛時の勢いはもうありません。
しかしながらこのオールディーズの時代に20曲近いヒットを出しているのですから大したものです。
その後しばらくヒットチャートから遠のいても活発に活動を続け74年「雨に微笑を」で1位をとり見事に復活です。その後は再びヒットチャートの常連となり75年「バッドブラッド」は脅威的な大ヒットで3週連続の1位となりました。また「悲しき慕情」をスロウバラードで再録音、これは8位まで上がりました。
楽曲提供も素晴らしいものでキャプテン&テニールはニールの「愛ある限り」をカバーして75年に1位をとりました。
さてオールディーズ時代、同じシンガーソングライターとしてポール・アンカと比べる事が日本ではよくあると思います。実際2度の黄金期を持つのも共通していますが最初の全盛期にポールはニールよりヒットが多い事とアイドル性がニールよりかなり高い感じがありイメージが違うと思います。ニールはハンサムですが背もあまり高くなく若い頃からやや小太りであった感じで大人びた感じがします。アイドルというよりヒットメーカーかな。
ただ二人とも日本の歌謡曲に与えた影響は多大なものだと私は思います。
60年代に日本で流行した歌謡曲は3連譜のスロウバラードが多くなっております。やや専門的になってしまいますが一つの拍をゆっくりと3等分にするものですがニールでいうと「恋の日記」「きみこそすべて」、ポールでいえば「クレイジーラブ」「君は我が運命」等。
彼らにしても黒人のドゥーワップのスロウバラードに強く影響を受けたものでしょうがこのリズムが日本人にぴったりあったのでしょう。(タタタ・タタタ・タタタ・タタタ)
「硝子のジョニー」「アカシアの雨がやむ時」「柳ヶ瀬ブルース」「君こそ我が命」「港町ブルース」「長崎は今日も雨だった」「バスストップ」「旅の終わりに」等、恐らくはニール達が日本で脚光を浴びていなければこの手のヒット曲はいくつ存在していたのでしょうか。
昭和30年代から以後の歌謡曲は違ったものになっていたのではないでしょうか。いかにアメリカンポップが日本に与えた影響が大きかったか。
ニールは現在70代ですがまだまだ元気でライブ活動を行っております。それもオールディーズ歌手の枠を完全に飛び越えてエンターテイナーです。
やや太り気味なのは心配ですが…
いつまでも笑顔が素敵で明るい歌声…軽くステップを踏みながらのパフォーマンス。重厚なピアノ演奏。
そんな彼と同時代に存在できる幸せ。日本音楽史の大恩人でしょう。日本人として本当に彼に心より有難うと伝えたいものです。本日もチャーリーが担当しました。
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