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Groovin'

東京は神田神保町のオールディーズバーです。アナログレコードを中心に涙なしには語れないBGMと美味しい洋酒。エレキギターを弾いたり歌ったり。 お気軽にドアを開けて下さいね。
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  • 07/18/15:50


オープン2周年:蜂蜜フレーバーのジャックダニエルを超低価格でご提供します。

グルーヴィンも10月18日(土)で丁度2周年となります。またこの日より3年目の営業に入っていくわけです。
山あり谷あり・・・いやいやまだまだ発展途上、修行が必要です。
本当の意味でオールディーズ・ロックバーとして神保町に溶け込むまではかなりの時間がかかりそうです。
それでもこの2年の間に沢山のお客様にご来店頂きました。ありがとうございました。
2年くらいで大きな顔も出来ないのですが以下のお酒を下記の日程でご来店のお客様に特別価格で提供させて頂きます。


                                         記

★10月18日(土)~31日(金)の期間にご来店のお客様に以下のようご提供申し上げます。

  ジャック ダニエル テネシーハニー  (シングル価格800円)を
            特別プライス    (シングル価格500円)にてお召し上がり頂けます。(税込み価格です。)

当店ではもっとも人気の高いテネシーウイスキーのジャックダニエルですがこれに蜂蜜を加えたウイスキーリキュールといった趣向でしょうか。
ストレートでもよし、オンザロック、ハイボールもよし。アルコール度数もやや低めですので女子にも人気だそうです。
秋も深まります。一日の仕上げに勢いよく当店の扉を開けて下さい。待ってますよ。

                                    GROOVIN’
                                      平子 千治


               ロックンロールよもやま話  その27
                 -1974年 涙の反戦歌-
                  ご案内:チャーリー冷奴

グルーヴィンにはオールディーズのレコード音源だけではなくマスターの平子が主に高校時代に集めた70年代のシングルレコード盤があります。
彼は1974年のヒットポップスが特にオキニらしいのです。
ギルバート・オ・サリバンやポール・マッカートニー&ウィングス、エルトン・ジョン、バリー・ホワイト、カーペンターズ等が大活躍していました。
この時期に英国で人気のあったバンドにペーパーレースがありました。彼らの作品のひとつに「悲しみのヒーロー」という曲があります。今日はこの曲のお話を。

英国では大ヒットしたのですがこれを米国ではボー・ドナルドソン&ヘイウッズというバンドがカバーしました。米国ではペーパーレース盤より少し早く発売されたようです。
曲の構成はほぼ同じでしたが、やや重めのサウンドのペーパーレース盤より軽快なドラムのロール奏法を多用してマーチング風にアレンジ、なおかつイケメン揃いのヘイウッズの方が大ヒットし74年6月に第1位に輝いています。
この曲は米国でもいけると考えていたであろうペーパーレースの連中は相当落胆してしまったでしょう。彼らの方は極小ヒットという感じでした。そして遅れて秋に日本でも話題になったのはやはりヘイウッズの方でした。当時のラジオではリクエストでよくかかり私もこのセンチメンタルな曲が大好きになりました。

私はこの曲の歌詞はベトナム戦争を題材にしていて恋人を故郷の町において戦場に赴き残念な事に死してしまう若い兵隊の話と考えていました。
大筋は合っているのですが、お恥ずかしい事に最近になって19世紀中盤の南北戦争の話である事を知りました。オリジナルのペーパーレース盤のジャケットは確かに当時の兵隊の衣装を着ているようにも思います。

下記のように簡単に訳してみました。(英語がダメなのでどこまでうまく伝えられるかな。)


       「悲しみのヒーロー」  Billy Don't Be A Hero


マーチングバンドが通りに来た。兵隊達(北軍と思います。)も続いて歩いて来る。
そして整列に加わろうしたビリーの姿を見つけたんだ。
ビリーの肩にもたれ泣きじゃくっている女の子
彼の可愛いフィアンセだ。彼女はこう叫んでいたよ。
「ビリー、ヒーローなんかにならないで。あなたの人生大事にしてよ。ヒーローなんかにならないで。戻って来て私を奥さんにして。」
それでも行進に加わる彼。彼女はさらに叫んだ。
「体勢を低くして(弾に当たらないよう)避けているのよ。ヒーローになんかならないで!元気で戻って来て。」

丘陵での戦い、戦は広がりまさに極まってしまう。
上官は叫んだ「お前ら負けるな。今が大事だ、この場所を守りぬけ。」
そして「頼みがあるんだ。誰かここから馬で抜け出し味方に知らせ、仲間を大勢連れて戻って来てくれ。」と続けた。
そしてビリーが手を挙げた。彼女の言葉はもう考えていなかったのかな。
彼女はこう叫んでいたよね。
「ビリー、ヒーローなんかにならないで。あなたの人生大事にしてよ。ヒーローなんかにならないで。戻って来て私を奥さんにして。体勢を低くしていて。(弾に当たらないよう)私のところへ戻って来てちょうだい。」

そして・・・彼女に手紙が届いた。悲しい知らせだった。手紙にはその時のビリーの様子が記されていた。
そして「悲しいでしょうが誇って下さい。ビリーは我らのヒーローなのです。」と綴られていた。
彼女は手紙を投げ捨てて悲しみくれたそうだ。

なんと・・・なんと泣けてしまう歌でしょうか。グスッ・・・(/_;)

ヘイウッズの当時の映像を見ていて曲の最後にボーカル担当(マイク・ギボンズかリック・ジョスウィックのどちらか)の目が少し潤んでいるのを見るとこちらも泣けてきてしまいました。名曲です。

さて米国でのビックチャンスを逃した失意のペーパーレース、気を取り直して再チャレンジ!
ヘイウッズの大ヒットのなんとたった2ヵ月後の74年8月に「ザ・ナイト・シカゴ・ダイ」という曲で米国1位を獲得します。凄いな。こちらも何か泣ける話ですね。でもよかった・・・別に米国のヘイウッズが悪いわけでもなんでもありません。
私は最近までよくある話なんだろうなと思っていたのですが米国ヒットパレードの長い歴史にも語り継がれるレベルのようです。(また他のブログにも結構この曲関連の記事があるもんですね。今回初めて知りました。)

その「悲しみのヒーロー」はグルーヴィンでは両バンドのバージョン、(ヘイウッズは当時のシングル盤、ペーパーレースはオムニバスCD)でお楽しみ頂けますので興味のある方は「聴き比べをさせてよ」と言うとよいかと思います。

写真:左は英国オリジナルのペーパーレース、右が米国ボー・ドナルドソン&ヘイウッズ


70年代初頭から英国ではペ-パーレースのようなオールディーズフレーバーなバンドが数多く登場しています。

ただ米国で成功したのはベイシティローラーズが第二のビートルズとして大きなヒットを飛ばし続けた位かと記憶しています。
当時ロンドンポップとか日本では言われていたような気もします。
1950年代、60年代のオールディーズ・パークのグールーヴィンですが70年代のサウンドもかけがいのないものです。自分も平子も十代の頃の切ない想いでが甦るのです。
さて今日は久しぶりに70年代にスポットをあてました。しかし本当に胸が熱くなりましたです。
今回もチャーリー冷奴が担当致しました。

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