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オープン2周年です。
心より感謝申し上げます。
平成24年10月18日(土)の夜7時にグルーヴィンは産声をあげました。
当初は現在と異なり2名体制で営業を行いました。
オープンの数週間は案の定知り合いばかり100%。
当然これではいずれ成り立たなくなります。ここからが店舗の始まりでした。
表通りに出てチラシ配り。受け取って頂けないのは当たり前、でもそこで諦めたら負けです。
配布するのもコツがあり体勢を低くして通行される方の目を見てお渡しする。慣れてくると約一時間で48枚受け取って頂くこともありました。
地道なことですぐに結果が出るものではありませんが、そのうちに少しずつチラシを持って入っていらっしゃるお客様が。このチラシ配りは10ヶ月続けました。
その結果、今でも続けてご来店して頂いている方が多数いらっしゃいます。
初めの頃はBGMにどんな音楽をかけていようが別にお客様には関係がないのかなと痛感していたのですが少しずつ当店のコンセプト(オールディーズロックやエレキギターを弾いて歌を唄う等)をご理解頂くようになり、それを楽しみに初来店される方も多数いらっしゃるようになりました。今ではレコードやCDをご持参される方もいらっしゃいます。
「焦らず、コツコツと」これが肝要なようです。売上が悪くても「必ず自分にも良い時期が来る。」と自分自身を励ましたものです。いやお恥ずかしいことに今でもですが。
日によって20人近くもご来店がある日もあれば悪天候、いや晴れていたってまったくご来店がない日だってあります。それでも店を開けてお待ちするのも仕事なのかもしれません。
うまくいかなくてもふて腐れていたら自分が損しますよね。
早くからブログも開始して新メニューの紹介や併せてロック音楽話を掲載、その記事をご覧になってご来店される方、また有難いことにいくつかの雑誌にもお取り上げ頂くようになりました。
「石の上にも3年」と申しますが、ようやくこれからその3年目に入って行くわけです。
とはいってもまだまだ新参者、先の道は険しいものです。「七転び八起き」の精神が大事なようです。
神保町はサラリーマンの街、深夜までお仕事をされてお疲れで帰宅される前に「あそこで古くさい音楽聴いてウイスキー少し飲んでくか。」とお気軽にドアを開けてくだされば幸いです。そんな店が目標なのです。
今後もより一層の工夫、そして店舗の更なるスキルアップを図って行く所存です。
どうぞ今までと変わらぬご指導・ご鞭撻のほどお願いを申し上げます。
●ロックンロールよもやま話 その28
-お店のBGM-
ご案内:チャーリー冷奴
グルーヴィンで飲んでいると音量はやや控えめにいつも相当古いヒット曲がかかっています。
マスターの平子に初来店のお客様がこう話しかけていました。
「クイーンありますか。」
すると平子が「すみません。うちにはないのです。」と謝りました。
70年代~90年代等のロック等のご希望が出る事があるのですが都度彼は「60年代半ばくらいまでしかないんですよ。」と答えています。これはお客様にとっては「結構有名なアーティストなのにないの」という感じでしょう。
私、チャーリーは実はグルーヴィンの意図していることはそれなりに理解できます。
この店でかける音楽は基本オールディーズミュージックと強くコンセプトを固めているのだと思います。もっといろんな時代の音楽をかければいいのにという方もいらっしゃるでしょう。
ロックバー、オールディーズバーは東京近郊にいくつか老舗もございます。
1940年代のブルースやカントリー、50年代ロカビリー、60年代リバプールサウンド、70年代ソウル、ハードロック等を広くかけるお店もございます。これは素晴らしいことですね。
それをグルーヴィンでは1950年代中期から60年代中期の十年少しに絞っているわけです。この時代だってジャズは流行っています。またフォークソングだってありカントリーも人気がありました。しかしながら頑固にコンセプトを守っているのはある意味それなりに認めてあげたいなと私は考えています。もちろんお客様に合わせて日本のグループサウンズをかける時もあり場合によっては昭和50年前後の歌謡曲もかけている時があります。そこはかなり柔軟にやっているようです。またお客様がCD等を持参される場合はなんでもウェルカムとしています。メタルもあればフュージョンもある。邦楽だってあり。
お客様とギターで歌って楽しむ時はJポップも登場します。
それでも基本線はオールディーズミュージックとぶれないのはやはりコンセプトを守ることが大事と考えているからでしょう。
エルヴィスがいなければロックの歴史はなくなっていたのかもしれません。ビートルズがアメリカで旋風を起こさなかったら今のポピュラー音楽は相当雰囲気が違っていたと思います。
更に言ってしまえばオールディーズの時代の楽曲は現在の流行音楽の基になっているわけでしょう。そんな貴重な歴史的楽曲を大事にして楽しみたい。
さてこのお店も3年目の営業に入っています。私もそばにいてとても長い時間だったような気がします。
深夜の東京神保町に今も古臭いロックンロールが響いています。しかしながらこれがまたウイスキーに実に似合うようで・・・
今回もチャーリー冷奴が担当致しました。
10月18日(土)の営業について
●10月18日(土)の営業について
(この日の夜の営業時間の変更がございます。)
18日はオープン2周年でございます。
これまで温かく応援して頂きまして誠にありがとうございます。
当方の都合で18日の夜の通常営業の開始時間を変更させて頂くようになってしまいました。
大変申し訳ございません。下記のよう、お知らせ致します。
①午後1時より「お昼からバーで楽しみませんか」を開催致します。
1時オープン夕方5時にクローズとなります。(この催しはノーチャージとなっております。)
②夜の通常営業はこの日のみ一時間遅らせて夜9時~朝4時半までさせて頂きます。
(通常は夜8時オープン、こちらの勝手な都合で申し訳ございません。)
またこの日より10月31日(金)までジャック・ダニエル・テネシーハニーを特別価格500円でご提供申し上げます。(通常価格800円)
皆様、どうぞお気軽にドアを開けて下さいね。
おかげさまで2周年。
グルーヴィン
平子 千治
オープン2周年:蜂蜜フレーバーのジャックダニエルを超低価格でご提供します。
山あり谷あり・・・いやいやまだまだ発展途上、修行が必要です。
本当の意味でオールディーズ・ロックバーとして神保町に溶け込むまではかなりの時間がかかりそうです。
それでもこの2年の間に沢山のお客様にご来店頂きました。ありがとうございました。
2年くらいで大きな顔も出来ないのですが以下のお酒を下記の日程でご来店のお客様に特別価格で提供させて頂きます。
記
★10月18日(土)~31日(金)の期間にご来店のお客様に以下のようご提供申し上げます。
ジャック ダニエル テネシーハニー (シングル価格800円)を
特別プライス (シングル価格500円)にてお召し上がり頂けます。(税込み価格です。)
当店ではもっとも人気の高いテネシーウイスキーのジャックダニエルですがこれに蜂蜜を加えたウイスキーリキュールといった趣向でしょうか。
ストレートでもよし、オンザロック、ハイボールもよし。アルコール度数もやや低めですので女子にも人気だそうです。
秋も深まります。一日の仕上げに勢いよく当店の扉を開けて下さい。待ってますよ。
GROOVIN’
平子 千治
ロックンロールよもやま話 その27
-1974年 涙の反戦歌-
ご案内:チャーリー冷奴
グルーヴィンにはオールディーズのレコード音源だけではなくマスターの平子が主に高校時代に集めた70年代のシングルレコード盤があります。
彼は1974年のヒットポップスが特にオキニらしいのです。
ギルバート・オ・サリバンやポール・マッカートニー&ウィングス、エルトン・ジョン、バリー・ホワイト、カーペンターズ等が大活躍していました。
この時期に英国で人気のあったバンドにペーパーレースがありました。彼らの作品のひとつに「悲しみのヒーロー」という曲があります。今日はこの曲のお話を。
英国では大ヒットしたのですがこれを米国ではボー・ドナルドソン&ヘイウッズというバンドがカバーしました。米国ではペーパーレース盤より少し早く発売されたようです。
曲の構成はほぼ同じでしたが、やや重めのサウンドのペーパーレース盤より軽快なドラムのロール奏法を多用してマーチング風にアレンジ、なおかつイケメン揃いのヘイウッズの方が大ヒットし74年6月に第1位に輝いています。
この曲は米国でもいけると考えていたであろうペーパーレースの連中は相当落胆してしまったでしょう。彼らの方は極小ヒットという感じでした。そして遅れて秋に日本でも話題になったのはやはりヘイウッズの方でした。当時のラジオではリクエストでよくかかり私もこのセンチメンタルな曲が大好きになりました。
私はこの曲の歌詞はベトナム戦争を題材にしていて恋人を故郷の町において戦場に赴き残念な事に死してしまう若い兵隊の話と考えていました。
大筋は合っているのですが、お恥ずかしい事に最近になって19世紀中盤の南北戦争の話である事を知りました。オリジナルのペーパーレース盤のジャケットは確かに当時の兵隊の衣装を着ているようにも思います。
下記のように簡単に訳してみました。(英語がダメなのでどこまでうまく伝えられるかな。)
「悲しみのヒーロー」 Billy Don't Be A Hero
マーチングバンドが通りに来た。兵隊達(北軍と思います。)も続いて歩いて来る。
そして整列に加わろうしたビリーの姿を見つけたんだ。
ビリーの肩にもたれ泣きじゃくっている女の子
彼の可愛いフィアンセだ。彼女はこう叫んでいたよ。
「ビリー、ヒーローなんかにならないで。あなたの人生大事にしてよ。ヒーローなんかにならないで。戻って来て私を奥さんにして。」
それでも行進に加わる彼。彼女はさらに叫んだ。
「体勢を低くして(弾に当たらないよう)避けているのよ。ヒーローになんかならないで!元気で戻って来て。」
丘陵での戦い、戦は広がりまさに極まってしまう。
上官は叫んだ「お前ら負けるな。今が大事だ、この場所を守りぬけ。」
そして「頼みがあるんだ。誰かここから馬で抜け出し味方に知らせ、仲間を大勢連れて戻って来てくれ。」と続けた。
そしてビリーが手を挙げた。彼女の言葉はもう考えていなかったのかな。
彼女はこう叫んでいたよね。
「ビリー、ヒーローなんかにならないで。あなたの人生大事にしてよ。ヒーローなんかにならないで。戻って来て私を奥さんにして。体勢を低くしていて。(弾に当たらないよう)私のところへ戻って来てちょうだい。」
そして・・・彼女に手紙が届いた。悲しい知らせだった。手紙にはその時のビリーの様子が記されていた。
そして「悲しいでしょうが誇って下さい。ビリーは我らのヒーローなのです。」と綴られていた。
彼女は手紙を投げ捨てて悲しみくれたそうだ。
なんと・・・なんと泣けてしまう歌でしょうか。グスッ・・・(/_;)
ヘイウッズの当時の映像を見ていて曲の最後にボーカル担当(マイク・ギボンズかリック・ジョスウィックのどちらか)の目が少し潤んでいるのを見るとこちらも泣けてきてしまいました。名曲です。
さて米国でのビックチャンスを逃した失意のペーパーレース、気を取り直して再チャレンジ!
ヘイウッズの大ヒットのなんとたった2ヵ月後の74年8月に「ザ・ナイト・シカゴ・ダイ」という曲で米国1位を獲得します。凄いな。こちらも何か泣ける話ですね。でもよかった・・・別に米国のヘイウッズが悪いわけでもなんでもありません。
私は最近までよくある話なんだろうなと思っていたのですが米国ヒットパレードの長い歴史にも語り継がれるレベルのようです。(また他のブログにも結構この曲関連の記事があるもんですね。今回初めて知りました。)
その「悲しみのヒーロー」はグルーヴィンでは両バンドのバージョン、(ヘイウッズは当時のシングル盤、ペーパーレースはオムニバスCD)でお楽しみ頂けますので興味のある方は「聴き比べをさせてよ」と言うとよいかと思います。
写真:左は英国オリジナルのペーパーレース、右が米国ボー・ドナルドソン&ヘイウッズ
70年代初頭から英国ではペ-パーレースのようなオールディーズフレーバーなバンドが数多く登場しています。
ただ米国で成功したのはベイシティローラーズが第二のビートルズとして大きなヒットを飛ばし続けた位かと記憶しています。
当時ロンドンポップとか日本では言われていたような気もします。
1950年代、60年代のオールディーズ・パークのグールーヴィンですが70年代のサウンドもかけがいのないものです。自分も平子も十代の頃の切ない想いでが甦るのです。
さて今日は久しぶりに70年代にスポットをあてました。しかし本当に胸が熱くなりましたです。
今回もチャーリー冷奴が担当致しました。
臨時営業のお知らせ
すっかり涼しくなって・・・
さてお休みを予定していた下記の日ですがオープン2周年記念の一環として臨時営業させて頂きます。
記
お休みを予定していた下記でございますが臨時営業させて頂きます。
●10月12日(日)夜8時~朝4時半まで通常営業
連休中ですが頑張って営業させて頂きます。どうぞご来店下さいね。
(なお翌日13日(月・祝)はお休みでございます。)
GROOVIN’
平子 千治
ロックンロールよもやま話 その26
-バディ・ホリーの影響力-
私、チャーリー冷奴が生まれたのは昭和34年です。(1959年)
私が生まれる少し前ロックの歴史を大きく変えてしまったとんでもない事件(事故)がアメリカで起こりました。
ロックスター、バディ・ホリーが巡業先に向かう途中の軽飛行機の墜落事故で命を落としてしまいました。またこれからのロック界を背負っていったであろうリッチー・ヴァレンス、すでに活躍していたビック・ボッパーもこの飛行機に同乗していてパイロットを含め4人の命が絶たれてしまうのです。
先日お店でお客様とバディ・ホリーの最初のLPを聴いていたのですが、ほぼ100パーセントのロカビリー色豊かなものと感じてしまいました。
しかしながらこの後、わずかな活躍期間しかないのに彼の音楽は短期間で変化していったように感じるのです。50年代後半から60年代初期のロッカバラード全盛時代を予知していたのかオーケストラを使用した柔らかいバラードや、ややポップな感じのロックンロール等に変化したように思うのです。
短期間に変化・発展していくのは後のビートルズと同じですかね。
さて本日はそんな天才バディ・ホリーの影響を強く感じられる歌手、曲のお話をしてみましょうかね。
① ボビー・ヴィー
ボビーはバディらの事故後にコンサートの穴埋めするため発掘されたとのようですがその後の彼の活躍は凄まじいものでしたね。
私が知る限りボビーが一番バディの歌唱法を反映した歌手ではないかと考えています。
ボビーの「ワンラストキッス」を聴いているといかに影響を受けたかが感じ取れるような気がします。甘い声なのですがしっかりとロックンロールも歌える実力派。
「ラバーボール」「天使か悪魔か」「さよならベイビー」「もゆる瞳」等多数のヒット曲。
レオ・セイヤーも歌った名曲「モアザンアイキャンセイ」はボビーの大ヒット曲でした。
② トミー・ロウ
62年に発表され大ヒットした「シェイラ」を聴くと、まさにバディの作風そのまんまですがそれでもこの曲自体、出来栄えが素晴らしく歴史に残る名曲となりました。
トミーはオールディーズの時代より60年代中盤から後半の方にヒット曲が集中しているようです。
「スウィートピー」「デイジー」等、愛らしい名曲がなんかとてもいい感じ。
ナンバーワンヒットも多くじっくりと聴き込んでみたいアーティストです。
なお声の質はバディには似てはいないとは私は思います。
さて59年のバディ達の事故は遠く離れた英国でも大変衝撃的であったようで当時学生であったローリングストーンズのキース・リチャーズによると当日の学校の先生が「今日はもう授業はなしだ。皆さっさと帰れ」といって学生を帰宅させてしまったとの話を何かのフィルムで見た事があります。
③ アダム・フェイス
英国でビートルズ以前の大人気歌手
彼のヒット作品を聴いているとバディのしゃくりあげる例のテクニックが顕著に使用されています。
「ホワットドゥユーウォント」「プアーミー」「ロンリーポップ」等多数のヒット曲を持っています。バディの声をかなり甘くした感じで愛らしいロッカバラードが得意であったような感じがします。
英国ではクリフ・リチャード、ビリー・フューリー、マーティ・ワイルド(キム・ワイルドのお父さん)同様に50年代からのビックアイドルでした。
なんとレオ・セイヤーのマネージメントも後年していたそうです。
大変残念な事に2003年この世を去っています。
④ ハーマンズハーミッツ
最後に60年代中盤にアメリカでも大人気を博したブリティッシュインベンジョンの猛者!ハーマンズハーミッツ
ボーカルはアメリカの女の子達を狂気乱舞させたイケメンアイドルのピーター・ヌーンです。
このバンドはヒット曲も多数ありピーターの歌い方はバディの影響を強く受けたかは他の歌手と違って私には強く感じられないのですが65年のヒット「恋はハートで」を聴いているとお馴染みのバディの歌唱法が逐一みられますね。
事実かどうかはわかりませんがレコーディングではほとんど演奏をしていないような・・・
ただ当時のライブ映像を見ると実際の演奏は相当ハイレベルでした。
彼らはアメリカでの人気も凄まじくレコーディング演奏はスタジオミュージシャン達にまかしたのでしょう。あのジミー・ペイジも録音時に参加していたようです。
さて私がオールディーズ音楽を聴きまくっていた学生時代(70年代)はバディ・ホリーのレコードは発売がなくまさに伝説の人でした。全盛の50年代でもロックマニアでもなければ日本では知られていなかったのではないでしょうか。
バディはギターの名手でもあり名曲「ペギースー」の間奏のギターソロで和音(ギターコード)をかき鳴らして終始するジャングル奏法?は実に画期的でかっこいいものでありました。
グルーヴィンでマスターの平子がお客様の前で平気でド下手なギターを弾くのを聴いていると物事には才能や天分というものが必ずあるのだなと痛感致しますです。
さて今回以降は基本的に映像を使わずにお話をすすめていこうと思います。
むしろ文章で読んで想像して楽しむのもロックの醍醐味のひとつかなと私は考えています。これは平子の方もまったく同意見だそうです。
昨今ネットであまりに映像が氾濫して簡単に見れてしまいます。
今の方々は本当に幸せなのでしょうが古い世代の私達はロック音楽の本を読み学習するのも大好きでした。
実際の音源はやはりステレオ等オーディオ装置の前で楽しむのがクセになってしまっているのでしょうね。(テレビや映画以外に映像はない時代でした。でもそれもまたよかった。)
平子によるとグルーヴィンでは映像装置は今後も取り入れないそうです。
レコード盤でアナログな音を中心に音のみで体感してもらう、洋酒を飲みながら昔ながらのレコードの楽しみ方を若い方にも是非味わって頂こうと考えているそうです。
この意見、実は私も大賛成なのです。
ロックの原点、オールディーズミュージック。
音を聴いて心の中で想像する。うん、うん。いいな!
この躍動がロックンロールではなかったか。
今回もグルーヴィンの常連でマスターの幼友達、チャーリー冷奴が担当しました。
2周年記念カクテルフェスティバル他、話題満載!
平成24年10月にオープンしました当店ですがどうにかこうにか2年が経ちました。
お店はオープンしてから3年経たないと存在を理解してもらえないという話を先輩達からから教えられます。
確かに今でも初来店の方々から「このお店っていつからあったの?」と必ず聞かれます。
いくら電飾看板があっても通行される方々のほとんどは意識していないものですね。
また店があるのがわかっていても当店が地下にあるため入って行く勇気がなかったり・・・
あるお客様が「地下のバーってちょっと怖いかもしれないね。初めてだとなんか入りづらいよね。」とお話されていました。
なるほどな~、とにかく私としては気軽にドアを開けてほしいなといつも考えています。
さてそんな願いもあり10月はいろいろイベントを考えているのですがまずはバーの花!各種カクテルをお楽しみ頂こういうわけで来る10月1日(水)~3日(金)の3日間のみ下記のようカクテルフェスティバルを企画致します。
●「2周年記念カクテルフェスティバル」
10月1日(水)から3日(金)の3日間、当店のメニューブックに記載してあるカクテル(700円~800円)をオール550円でご提供させて頂きます。
とにかく気軽にドアを元気良く開けて下さいね。待ってますよ~!
●10月の営業日のご連絡
お休みは以下のとおりです。
10月5日(日)
10月12日(日)
10月13日(祝)
10月19日(日)
10月26日(日)
また10月の各土曜日は9月に続き「お昼からバーで楽しみませんか」を開催致します。
お昼1時オープン夕方5時にクローズとなります。(この催しはノーチャージ)
夜の通常営業は8時からとなります。チャージ料1,000円は頂戴致します。
(11時でノーゲストの場合はクローズとする時がございますのでご来店ご希望の方はお電話でご連絡下さいませ。)
●ロックンロールよもやま話 その25
-またもやウンチク-
さて前回まで長きにわたりこの「よもやま話」をオーナーバーテンダーの平子が担当していたのですが今回より彼の幼なじみで謎の怪人、ロックンロール好きの酒飲みで国籍不明の私、チャーリー・冷奴が担当致します。どうぞよろしく。
なにしろ平子の方も知識が乏しく話が尽きてしまい、もういい加減業務に専念したいと泣きが入ったようです。ハハハ、ど素人め!
さて、まずは私の最初の書き込みをさせて頂きますね。
50年代から60年代の中盤までのオールディーズの時代はもちろんアナログレコード盤の全盛時代ですね。
私も詳しくないのですがレコードは最初のマスターディスクよりプレス用のマスターディスクを作りそれを利用して型を作成し、その型で販売用レコードをプレスして作るそうなのです。
レコード会社の原盤保存ってとてつもなく大変な作業なのでしょうね。
また今から50~60年近くも前の録音方法なのですが現在と違った苦労があったでしょうね。
当時は一発取りに近い形で録音されたのではないでしょうか。歌唱ミス・演奏ミスがあればもう一度・・・
さて自分が高校生の頃、ラジオでかかっていたイギリスのクリフ・リチャードとシャドウズ「オンザビーチ」をカセットテープに録音、楽しく聞いていたところ曲の途中でクリフ本人だと思うのですが咳をする部分があったのです。ただしこの演奏時のノリが素晴らしくこのテイクをそのまま採用したのだと思います。(現在発売されているCD等では不思議に聞き取れない感じがするのですが・・・)
下の動画では別テイクですがこの名曲お楽しみ下さい。
この曲は1964年東京オリンピックの年、イギリスを始め欧州各国で大ヒットとなりました
さて同様な事例がアメリカにもあるもんですね。
同じく1964年、4曲入りのEP盤で発売されスマッシュヒットとなったビーチボーイズの「ウェンディ」なのですがやはり豪快に咳ばらいが録音されています。ブライアン・ウィルソンであろうと思いますがファルセットが続き咳きこんだのかな。
ただやはりこの時の出来がいいのであえてこのまま採用したのでしょう。
上記2曲の「咳きこみ録音」は結構有名なようですが、これらはマスターディスクの保存管理とはまったく関係ない話なのですが50年代の中期・後期の録音は60年代と比べ音質がかなり劣るものも多いようです。また60年以後に脚光を浴びたアイドル、ゲーリー・US・ボンズのヒット曲(擬似ライブ的なパーティーサウンド)も結構荒っぽく録音されているような気もします。
これはワイルドに感じさせる効果をわざと狙ったものではないでしょうか。
さてグルーヴィンにはオールディーズのアナログレコードがLPを中心に多数あります。(平子コレクション)
中にはもともとの録音状態があまり良くないもの、保存状態が良くないもの(これは平子が悪い)も多少あります。録音技術が発達した60年代後期から70年代のハードロック世代やディスコフリークにはとても考えられない事かもしれませんね。しかしながらオールディーズ音楽の楽曲はまさに「歴史的な録音」と言っても過言ではないでしょう。
多少音がぼやけて不明瞭であったり音程が不安定に感じるもの、また雑音や音とびがしたりもあるかもしれません。しかしながらそれはそれでオールディーズ音楽の特色。肩肘はらずお楽しみ頂ければ私も幸いに存じます。
(もちろん洋酒とともにお楽しみ下さいね!)
レコード盤でもう一つこんな話。
LPレコードに針を落とすと当たり前なのですが1曲、2曲と進むとだんだん中央に寄って行きます。片面の最後の曲はかなり中心に近くなり音質のクウォリティーは悪くなるそうです。だんだんと一周の距離(円周)が短くなりその中に音の記録を刻みこむので致し方ない事だそうです。
またレコード針の話なのですが基本的にはダイヤモンドを使っています。(昔はサファイヤもありましたね。)従って摩擦で針が減る事はまずは考えられないという説があります。ようするに交換する必要性がないだろうという話になってしまうのでしょうか。劣化するのは針以外の付属部分なのでその時は買い替えが必要だろうというのですがどうなのでしょうか。
確かに平子によるとオープンしてから針を変えたのはただの一度だけ。現在使用中の針は一年半もそのままらしいのですが音の劣化は私には感じられません。
レコード本体も何回もかければ音が劣化すると通常言われていますが近年のターンテーブルはアーム針圧(重さ)がかなり軽いので磨り減りはあまり考えられない・・・針とレコード盤の溝の接触による摩擦熱は若干発生するのでしょうが。
むしろ私はレコード盤につく埃を取るほうが重要に思えて仕方がありません。
自分は昔から水道水でレコードを洗って埃を落としています。これをすると針とびがなくなると考えております。皆さんはいかがですか。もっともレコード持ってないか・・・
ありゃありゃ、前任の平子同様激しいウンチクとなってしまいました。彼に笑われそうです。
まずは私、チャーリー冷奴が担当させて頂きました。