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秋爛漫、「散歩の達人」10月号に掲載して頂きました。&またもやよもやま話で。。。
●交通新聞社「散歩の達人」2015年10月号にお取り上げ頂きました。
有難い事に掲載して頂きました。交通新聞社編集スタッフの方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
10月号は神田神保町界隈の特集です。売切れも予想される人気雑誌でございますので是非お早めにお買い求め下さいませ。税込700円です。安い!
http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/
また日経BP社「大人のロック」創刊10周年記念特別号のロック酒場訪問ページにも昨年掲載して頂いております。まだ購入が可能のようですのでどうぞお早めに。1000円+税です。
http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/rock/
●しつこいですけど再度10月の営業について
お休みは以下の予定です。
・10月 4日(日)
・10月11日(日)、12日(祝)
・10月18日(日)
・10月25日(日)
計26回の営業となります。ご来店お待ちしております。
●ロックンロールよもやま話 -その66-
「70年代の懐メロスター達」
ご案内:チャーリー・冷奴
自分は70年代に学生時代を送っております。
この頃の世界のポップス界はちょっとした50年代60年代のサウンド回顧のブームがありました。グルーヴィンがお得意とするロックンロールのオールディーズ時代の甘酸っぱいサウンドが70年代に見直されたという感じ。これは特に70年代初期から中期位であったかなとおぼろげながら記憶しております。もちろん日本のアイドル達もその渦に巻き込まれておりました。
カーペンターズがファンの人気を集めていた時期で、そろそろ北欧からアバが登場し始めた頃ですが彼等のような大スターではないかもしれませんが同様に甘く懐かしくて心に残る。そんな素敵なサウンドを持ったアーティストを綴ってみますね。
① トニー・オーランドとドーン
トニーは米国60年代初期のアイドルスターでした。
「ブレスユー」「ハーフウェイトゥパラダイス」のヒットを持つ彼、私も大好きな歌手です。
さてドーンというグループ、実体不明であったようです。元は白人の4人組でスタートしたらしいのです。突然なんと全員がメンバーチェンジという事が発表されました。新しいメンバーはかつてのスターのトニーをボーカルにした6人のバンドです。ところがどっこい、どうも実際にドーンとしてどぉ~んと姿を現したのはたった3人でした。話が長くなるので<はしょり>ますがトニーが「恋するキャンディダ」という曲を気に入りレコード会社に売り込んでいると「いいじゃん、これ。でも歌う奴がいないんだよね。」という感じでした。
結局デモテープを歌ったトニーが本録音も担当する事になりレコードは70年に発売されました。
どうもトニーは自分の名前を出したくなかったらしくドーンという既存のグループ名を使用したらしいです。この曲なんと全米中の大ヒット、続いて発売の「ノックは3回」に至ると輝く第1位を獲得する事となってしまうのです。ゲゲッ、想定外が起こってしまいました。
「まいったな。コンサートもしなきゃなんないし、偉いこった。」
その後も歴史に残る名曲「幸せの黄色いリボン」や「嘆きのジプシーローズ」「イチゴ畑のサリーちゃん」「恋のシーソーゲーム」等多数のヒットを放つ事になりました。こうなるとメンバー構成等はもうどうでもいいようなもので楽曲そのものの出来の素晴らしさを楽しむのが一番かと…ありゃりゃ、この人達アバやカーペンターズに全然負けてないや。
② マッド
こちらは英国のバンドです。実は日本では曲が流行したという事はなかったと思います。ボーカルのレス・グレイ他計4人組のバンドです。
このよもやま話でも以前ご紹介したルベッツと同じのりのオールディーズ風のややハードなバンドでした。
60年代後半にスタートしているのですがすぐにヒットは出ませんでした。
73年「クレージー」が英国チャートの好成績を収めると「ダイナマイト」「タイガーフィート」「恋のロケット」等が大ヒットとなります。
レスのボーカルは完全に全盛時代のエルヴィスを意識したものでしょう。70年代中盤までは常に英国チャートを賑わすトップのオールディーズバンドでした。しかしながら米国や日本ではほとんど無名であったのは残念です。
なおボーカルを担当したレスは2004年、ドラム担当のデイブ・マウントは2006年にこの世を去っています。
③ パイロット
やはり英国のバンド、元はベイシティローラーズに在籍していた人が中心になり結成されたようです。
私が彼等のサウンドを初めて聴いたのは75年に日本でもヒットした「コールミーラウンド」という曲です。66年位のビートルズのようなメロウな感じがとっても切なく気に入ってしまいました。
さかのぼりますが74年に英国、米国で「マジック」が大ヒット。
他にも「ジャニュアリー」といった大ヒットがあります。ただ人気が続かず徐々にヒットチャートから離れていきました。
キーボード、ドラムス、ベース、ギターの4人編成、彼等のプロデュースはアラン・パースンズが担当しました。
なおバンドでキーボードを担当したビル・ライアルは89年にこの世を去っております。
④ アラン・シャンフォー
おや珍しいフランチポップのスターです。
ピアニスト、シンガーソングライター。
74年の秋に突然日本の洋楽チャートで大ヒットしたのが「初恋にボンジュール」。早いテンポの曲で日本人好みの哀愁がたっぷりのナンバーでした。
次のシングルは更にオールディーズぽい「気まぐれな恋」でこちらもかなりのヒットとなりました。
75年に東京音楽祭で来日、センチメンタルでやはりオールディーズ風の「そよ風のセレナーデ」を熱唱、日本の若い女性をとりこにしました。この時は私もテレビで彼のカッコいいステージ姿を拝見しました。若い頃の川崎麻世さんといった感じでしょうか。
180センチを軽く超える長身で細身、あり得ない程ハンサムな青年でした。当時22歳位でしょう。
日本ではその後カネボウのCMで「ボンジュールお目目さん」を歌いヒットさせております。テニスや空手が好きなスポーツマンでもありました。
話が飛びますけど同系統の歌手に「ギンザレッドウィウィ」のデイブがおりました。やはり化粧品のCMで使用されヒットしたのでこのアランと混同する方も多いのでは。
アランは今も変わらぬ素敵なおじさんでフランスでは人気者、まだまだライブ活動をしております。
1950年代のオールディーズロック。その後のポップスの歴史に大きな影響を与え続けています。特に70年代は日本でもオールディーズブームが起こり今でも有名なライブハウス「ケントス」はそのあたりから営業されていると思います。
さて本日ご紹介した音源はグルーヴィンに大事に保管されております。リクエストされてみたらいかがでしょう。
それにしても再びオールディーズブームが起きないでしょうか。グルーヴィンの景気も随分違ってくるとは思いますが。ハイ、本日もチャーリー・冷奴が担当しました。
有難い事に掲載して頂きました。交通新聞社編集スタッフの方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
10月号は神田神保町界隈の特集です。売切れも予想される人気雑誌でございますので是非お早めにお買い求め下さいませ。税込700円です。安い!
http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/
また日経BP社「大人のロック」創刊10周年記念特別号のロック酒場訪問ページにも昨年掲載して頂いております。まだ購入が可能のようですのでどうぞお早めに。1000円+税です。
http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/rock/
●しつこいですけど再度10月の営業について
お休みは以下の予定です。
・10月 4日(日)
・10月11日(日)、12日(祝)
・10月18日(日)
・10月25日(日)
計26回の営業となります。ご来店お待ちしております。
●ロックンロールよもやま話 -その66-
「70年代の懐メロスター達」
ご案内:チャーリー・冷奴
自分は70年代に学生時代を送っております。
この頃の世界のポップス界はちょっとした50年代60年代のサウンド回顧のブームがありました。グルーヴィンがお得意とするロックンロールのオールディーズ時代の甘酸っぱいサウンドが70年代に見直されたという感じ。これは特に70年代初期から中期位であったかなとおぼろげながら記憶しております。もちろん日本のアイドル達もその渦に巻き込まれておりました。
カーペンターズがファンの人気を集めていた時期で、そろそろ北欧からアバが登場し始めた頃ですが彼等のような大スターではないかもしれませんが同様に甘く懐かしくて心に残る。そんな素敵なサウンドを持ったアーティストを綴ってみますね。
① トニー・オーランドとドーン
トニーは米国60年代初期のアイドルスターでした。
「ブレスユー」「ハーフウェイトゥパラダイス」のヒットを持つ彼、私も大好きな歌手です。
さてドーンというグループ、実体不明であったようです。元は白人の4人組でスタートしたらしいのです。突然なんと全員がメンバーチェンジという事が発表されました。新しいメンバーはかつてのスターのトニーをボーカルにした6人のバンドです。ところがどっこい、どうも実際にドーンとしてどぉ~んと姿を現したのはたった3人でした。話が長くなるので<はしょり>ますがトニーが「恋するキャンディダ」という曲を気に入りレコード会社に売り込んでいると「いいじゃん、これ。でも歌う奴がいないんだよね。」という感じでした。
結局デモテープを歌ったトニーが本録音も担当する事になりレコードは70年に発売されました。
どうもトニーは自分の名前を出したくなかったらしくドーンという既存のグループ名を使用したらしいです。この曲なんと全米中の大ヒット、続いて発売の「ノックは3回」に至ると輝く第1位を獲得する事となってしまうのです。ゲゲッ、想定外が起こってしまいました。
「まいったな。コンサートもしなきゃなんないし、偉いこった。」
その後も歴史に残る名曲「幸せの黄色いリボン」や「嘆きのジプシーローズ」「イチゴ畑のサリーちゃん」「恋のシーソーゲーム」等多数のヒットを放つ事になりました。こうなるとメンバー構成等はもうどうでもいいようなもので楽曲そのものの出来の素晴らしさを楽しむのが一番かと…ありゃりゃ、この人達アバやカーペンターズに全然負けてないや。
② マッド
こちらは英国のバンドです。実は日本では曲が流行したという事はなかったと思います。ボーカルのレス・グレイ他計4人組のバンドです。
このよもやま話でも以前ご紹介したルベッツと同じのりのオールディーズ風のややハードなバンドでした。
60年代後半にスタートしているのですがすぐにヒットは出ませんでした。
73年「クレージー」が英国チャートの好成績を収めると「ダイナマイト」「タイガーフィート」「恋のロケット」等が大ヒットとなります。
レスのボーカルは完全に全盛時代のエルヴィスを意識したものでしょう。70年代中盤までは常に英国チャートを賑わすトップのオールディーズバンドでした。しかしながら米国や日本ではほとんど無名であったのは残念です。
なおボーカルを担当したレスは2004年、ドラム担当のデイブ・マウントは2006年にこの世を去っています。
③ パイロット
やはり英国のバンド、元はベイシティローラーズに在籍していた人が中心になり結成されたようです。
私が彼等のサウンドを初めて聴いたのは75年に日本でもヒットした「コールミーラウンド」という曲です。66年位のビートルズのようなメロウな感じがとっても切なく気に入ってしまいました。
さかのぼりますが74年に英国、米国で「マジック」が大ヒット。
他にも「ジャニュアリー」といった大ヒットがあります。ただ人気が続かず徐々にヒットチャートから離れていきました。
キーボード、ドラムス、ベース、ギターの4人編成、彼等のプロデュースはアラン・パースンズが担当しました。
なおバンドでキーボードを担当したビル・ライアルは89年にこの世を去っております。
④ アラン・シャンフォー
おや珍しいフランチポップのスターです。
ピアニスト、シンガーソングライター。
74年の秋に突然日本の洋楽チャートで大ヒットしたのが「初恋にボンジュール」。早いテンポの曲で日本人好みの哀愁がたっぷりのナンバーでした。
次のシングルは更にオールディーズぽい「気まぐれな恋」でこちらもかなりのヒットとなりました。
75年に東京音楽祭で来日、センチメンタルでやはりオールディーズ風の「そよ風のセレナーデ」を熱唱、日本の若い女性をとりこにしました。この時は私もテレビで彼のカッコいいステージ姿を拝見しました。若い頃の川崎麻世さんといった感じでしょうか。
180センチを軽く超える長身で細身、あり得ない程ハンサムな青年でした。当時22歳位でしょう。
日本ではその後カネボウのCMで「ボンジュールお目目さん」を歌いヒットさせております。テニスや空手が好きなスポーツマンでもありました。
話が飛びますけど同系統の歌手に「ギンザレッドウィウィ」のデイブがおりました。やはり化粧品のCMで使用されヒットしたのでこのアランと混同する方も多いのでは。
アランは今も変わらぬ素敵なおじさんでフランスでは人気者、まだまだライブ活動をしております。
1950年代のオールディーズロック。その後のポップスの歴史に大きな影響を与え続けています。特に70年代は日本でもオールディーズブームが起こり今でも有名なライブハウス「ケントス」はそのあたりから営業されていると思います。
さて本日ご紹介した音源はグルーヴィンに大事に保管されております。リクエストされてみたらいかがでしょう。
それにしても再びオールディーズブームが起きないでしょうか。グルーヴィンの景気も随分違ってくるとは思いますが。ハイ、本日もチャーリー・冷奴が担当しました。
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間もなくオープン3年です。
●10月の営業について
お休みは以下の予定です。
・10月 4日(日)
・10月11日(日)、12日(祝)
・10月18日(日)
・10月25日(日)
計26回の営業となります。ご来店をお待ちしております。
●間もなくオープン3周年です。
もう10月、秋本番ですね。さてGROOVIN’はオープン3周年となります。
平成24年10月18日(木)の夜7時が初営業でした。当時最初の数週間は大半知り合いが中心の来店であったと思います。有難いものでした。
しかしながら肝心の一般の方々に存在が知られて来るまでに相当時間が必要だとすぐに認識しました。何しろビルの地下のショットバー、ちょっと入り辛いです。いかに気軽に扉を開いてもらえるか。そして何よりここにミュージックバーがある事がまったく知られていないのが大問題でした。とにかく目立たないのです。
まずはブログを開設して時間をみては記事を更新したり工夫をしました。
意外と効果が出たのはチラシ巻きであったと覚えております。随分長い期間店舗ビル前の靖国通りで配布したので受け取って頂かなくても「あの親父また配ってるな」と認識はされていたのでしょう。
そのうちに顔を覚えてもらい受け取ってもらえるようになるとそのチラシを持ってお店に入って頂けるようになりました。この頃のお客様は現在でも多数続けてご来店頂いています。
また25年8月に思いきって電飾看板を購入したのは長い目で見てとってもPR効果がありました。
それでもそうそうお客様は増えるものではありません。1年目、2年目とかなりシビアなものでしたが今から半年ほど前からご常連のお客様が急に増えてまいりました。昨年同時期に比べほぼ倍になった感じです。
ここ一年で有難い事に有名雑誌等に計3回お取り上げ頂きそれが大きく周知につながっていったのでしょう。
嬉しいのは若い女性の方がお一人やお二人とかでドアを開けて頂く事が多くなりこれは当店の数少ない自慢です。
しかしながら私の目標は現在の倍のお客様にご来店頂き、もっとお客様同士カウンターで交流して頂く事なのです。お友達になってもらったり、趣味のサークル、バンド等に発展していったらどんなに素晴らしいでしょう。
当店のコンセプトはオールディーズロック、これは今後も変わる事はございません。ギターを弾いたり歌ったり、BGMでウンチクを楽しんだり。洋酒がそれらをつつみ込んでくれる、そんなミュージックバーをこれからも目指しています。
3周年記念の日、10月18日は日曜ですので営業は行いませんが年末までは記念企画をしていこうと考えています。なにしろロック60年の節目の年でもあります。
さあいよいよ4年目の営業に入ってまいります。どうぞ今後も変わらぬご支援の程、お願い申し上げます。
●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
その14 「ヴィーナス ロマンチックな名曲を弾いてみよう」
はい、お久です。
今月はフランキー・アヴァロン59年の名作「ヴィーナス」です。近年はショッキングブルーの同名曲(異曲)が有名ですがこれ以上ロマンチックな曲が他にあるのかという程の歴史的な作品です。
今回はコードのかき鳴らしで終始しますので左手のコードの形を覚えてしまえば後は右手のストロークがスムーズに出来ればすぐ完成です。
私が弾いている映像、またもや音質最悪ですみません。
右手ストロークはルンバのイメージで弾いていますが現在はあまり使用しないリズムパターンなのでゆったりしたエイトビート等で代用して演奏されてよいと思います。
「ヴィーナス」
フランキー・アヴァロン
カポタスト 3フレット
イントロ&コーラス
Gmaj7 Am7 D (2回)
Gmaj7 Cmaj7 D7
Hey, Venus! Oh, Venus!
Gmaj7
Venus if you will,
Am7 D Gmaj7
Please send a little girl for me to thrill.
Am7 D Bm7 E7
A girl who wants my kisses and my arms,
Am7 D7 Gmaj7 Am7 D7
A girl with all the charms of you.
Gmaj7
Venus, make her fair,
Am7 D Gmaj7
A lovely girl with sunlight in her hair.
Am7 D Bm7 E7
And take the brightest stars up in the skies,
Am7 D7 Gmaj7 Am7 D7
And place them in her eyes for me.
Cmaj7 Am7 D7 Gmaj7
Venus, goddess of love that you are,
Em7 A7 Dmaj7
Surely the things I ask,
Em7 A7 Am7 D7
Can't be too great a task?
Gmaj7
Venus, if you do,
Am7 D Gmaj7
I promise that I always will be true.
Am7 D Bm7 E7
I'll give her all the love I have to give,
Am7 D7 Gmaj7 Am7 D7
As long as we both shall live.
Cmaj7 Am7 D7 Gmaj7
Venus, goddess of love that you are,
Em7 A7 Dmaj7
Surely the things I ask,
Em7 A7 Am7 D7
Can't be too great a task?
Gmaj7
Venus, if you do,
Am7 D Gmaj7
I promise that I always will be true.
Am7 D Bm7 E7
I'll give her all the love I have to give,
Am7 D7 Gmaj7 Am7 D7
As long as we both shall live.
Gmaj7 Cmaj7 D
Hey, Venus! Oh, Ve-nus...
D7 Gmaj7 Am7 D, Gmaj7 Am7 D, Gmaj7
Make my wish come true...
●ロックンロールよもやま話 -その65-
「ロッカバラードとカントリー、そして歴史に残るポエトリー」
ご案内:チャーリー・冷奴
何回か前の書き込みでコニー・フランシスを取り上げましたが彼女は日本語での楽曲を数多く録音発表しています。日本でコニーが大成功した事もありその他海外の一流歌手も60年代初期から中期に随分日本語での録音を試みていて日本のポップスファンを喜ばせてくれました。
今日はそんな有難いアーティストの中から一人を選んでお話したいな。誰がいいのだろう。
そうだ、この人にしようという訳で本日のよもやま話の主役は米国の人気歌手、ソングライターであり今でも元気なジョニー・ティロットソンです。
1940年フロリダのジャクソンビル出身。小さな頃よりカントリーに興味を持ち程なくしてギターやウクレレを習得したようです。高校時代には自身のバンドでローカルのテレビ番組に出演していたようです。
大学時代にはいよいよケーデンスレコードと契約するのです。ケーデンスはあのグレートなエヴァリーブラザースがすでに大活躍しておりました。
デヴューは58年甘いロッカバラード「夢見る瞳」
この曲はジョニーの自作でした。B面はやはり自作でアップテンポのロック「ウェルアイムユアマン」でいきなり両面ヒットとなります。(「夢見る」は63位、「ウェルアイム」87位)
幸先よいスタートでした。その後も大ヒットではないですが数曲をチャートに送り続ける安定した活躍でした。ゆったりしたロッカバラードが多く甘い歌唱がとても魅力的でした。アイドル性もかなりあったと思います。
さて60年に入りある曲に出会います。ややアップテンポの「ポエトリーインモーション」です。本人もスタッフも録音時に大ヒットの感触を持っていたでしょう。
伸びやかな甘い歌声、サックスのからみ、女性コーラス隊のかっこよさ。幻想的とも言える歌詞。ロックンロール史上に残る歴史的な作品が誕生したのです。
さあいよいよ発売されたこの曲、あっという間にチャートを駆け上り10月31日付でベスト10内の9位に登場、11月14日付で最高2位まで上がるミリオンセラーとなりました。レイ・チャールズの名作「我が心のジョージア」を追い抜けなかったのが残念でした。しかし完全に全米のスターになったのです。
次の「ジミーズガール」もヒットしその後「ウィズアウトユー」が7位まで上がる大ヒットです。
さてロッカバラード歌手として大成功した彼、「夢見る瞳」を再発売し再ヒットの後大変な方向修正をします。なんと「涙ながらに」というカントリーの曲を自身で作り発表。これが62年6月16日付で3位まで上がります。凄い事になりました。この後もカントリーの作品「夢の枕を」をヒットさせます。これでもかとカントリー作品「アイキャンヘルプイット」「アウトオブマイマインド」等をヒットさせます。この後一度ロッカバラード路線に戻り「ユーキャンネバーストップミーラビングユー」をヒットさせます。
程なく会社が解散する事になったケーデンスレコードを去りMGMに移籍しても65年位まではヒットを連ねます。ロッカバラードもカントリーフレーバーのあるものもうまく取り入れて長い人気を保ちました。
さて私がそんなジョニーのベストアルバムを手に入れたのがずっと後の70年代中頃の高校時代。
針を落として聴いた時ややイメージが違っていたのです。結構カントリー色の強い人だったのかなと思いました。それでも楽曲の良さのため聴き込むうちにすっかり違和感は消えてしまいましたが。
ジョニーが日本で脚光を浴びたのは米国の成功からだいぶ経った63年「キューティーパイ」という愛らしいアップテンポのロックでした。
60年代初期の日本ではあまりにカントリー色が強くなっていったジョニーの米国でのヒット曲を売るのは難しいなと思ったのでしょう。その後も甘いロッカバラードの「プリンセスプリンセス」「うつろなハート」「素敵なガールハント」といった米国シングルのB面曲をA面として発売をしてそれが功を奏して人気を得ていったのです。彼をスターダムに押し上げた「ポエトリーインモーション」もこの時期「ポエトリー」という邦題で発売されヒットしたそうです。
結局カントリー色を薄め、アイドル路線とした方が得策であったのでしょう。日本と米国では少し彼のイメージに差があるのではないでしょうか。
さて冒頭の日本語録音ですが「涙くんさよなら」「ユーアンドミー」「バラが咲いた」がグルーヴィンに保管されております。(日本語、英語の両方で録音されています。)
コニー・フランシス同様に相当な熱演です。是非お聴きになってみて下さい。
またなによりもケーデンス時代の大半のシングル発表曲がお楽しみ頂けます。しかもアナログ盤のベストLPで2枚です。針音で当時のサウンドが聴けるわけですね。ハイ。
少年時代から心底カントリーが好きだった彼、しかし50年代後半の世界中のロック熱がそれを阻んだのでしょう。スタートは当然ロックだったのです。
60年代初期に入り米国でカントリーを見直す動きが出てレイ・チャールズ、スキータ・デイビス等がヒット作品を残しております。
こうしたこの時代の動きの中において先ほどご紹介したジョニーの一連のカントリー作品の存在は非常に大きなものだそうです。
ロックアイドルとしてもカントリー歌手としても愛されたジョニー・ティロットソン、そして貴重な日本語録音。
いやあ古くたっていいものはいい。現在70代のジョニーは今も元気でライブ活動を行っております。万歳ィ。。。
お休みは以下の予定です。
・10月 4日(日)
・10月11日(日)、12日(祝)
・10月18日(日)
・10月25日(日)
計26回の営業となります。ご来店をお待ちしております。
●間もなくオープン3周年です。
もう10月、秋本番ですね。さてGROOVIN’はオープン3周年となります。
平成24年10月18日(木)の夜7時が初営業でした。当時最初の数週間は大半知り合いが中心の来店であったと思います。有難いものでした。
しかしながら肝心の一般の方々に存在が知られて来るまでに相当時間が必要だとすぐに認識しました。何しろビルの地下のショットバー、ちょっと入り辛いです。いかに気軽に扉を開いてもらえるか。そして何よりここにミュージックバーがある事がまったく知られていないのが大問題でした。とにかく目立たないのです。
まずはブログを開設して時間をみては記事を更新したり工夫をしました。
意外と効果が出たのはチラシ巻きであったと覚えております。随分長い期間店舗ビル前の靖国通りで配布したので受け取って頂かなくても「あの親父また配ってるな」と認識はされていたのでしょう。
そのうちに顔を覚えてもらい受け取ってもらえるようになるとそのチラシを持ってお店に入って頂けるようになりました。この頃のお客様は現在でも多数続けてご来店頂いています。
また25年8月に思いきって電飾看板を購入したのは長い目で見てとってもPR効果がありました。
それでもそうそうお客様は増えるものではありません。1年目、2年目とかなりシビアなものでしたが今から半年ほど前からご常連のお客様が急に増えてまいりました。昨年同時期に比べほぼ倍になった感じです。
ここ一年で有難い事に有名雑誌等に計3回お取り上げ頂きそれが大きく周知につながっていったのでしょう。
嬉しいのは若い女性の方がお一人やお二人とかでドアを開けて頂く事が多くなりこれは当店の数少ない自慢です。
しかしながら私の目標は現在の倍のお客様にご来店頂き、もっとお客様同士カウンターで交流して頂く事なのです。お友達になってもらったり、趣味のサークル、バンド等に発展していったらどんなに素晴らしいでしょう。
当店のコンセプトはオールディーズロック、これは今後も変わる事はございません。ギターを弾いたり歌ったり、BGMでウンチクを楽しんだり。洋酒がそれらをつつみ込んでくれる、そんなミュージックバーをこれからも目指しています。
3周年記念の日、10月18日は日曜ですので営業は行いませんが年末までは記念企画をしていこうと考えています。なにしろロック60年の節目の年でもあります。
さあいよいよ4年目の営業に入ってまいります。どうぞ今後も変わらぬご支援の程、お願い申し上げます。
●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
その14 「ヴィーナス ロマンチックな名曲を弾いてみよう」
はい、お久です。
今月はフランキー・アヴァロン59年の名作「ヴィーナス」です。近年はショッキングブルーの同名曲(異曲)が有名ですがこれ以上ロマンチックな曲が他にあるのかという程の歴史的な作品です。
今回はコードのかき鳴らしで終始しますので左手のコードの形を覚えてしまえば後は右手のストロークがスムーズに出来ればすぐ完成です。
私が弾いている映像、またもや音質最悪ですみません。
右手ストロークはルンバのイメージで弾いていますが現在はあまり使用しないリズムパターンなのでゆったりしたエイトビート等で代用して演奏されてよいと思います。
「ヴィーナス」
フランキー・アヴァロン
カポタスト 3フレット
イントロ&コーラス
Gmaj7 Am7 D (2回)
Gmaj7 Cmaj7 D7
Hey, Venus! Oh, Venus!
Gmaj7
Venus if you will,
Am7 D Gmaj7
Please send a little girl for me to thrill.
Am7 D Bm7 E7
A girl who wants my kisses and my arms,
Am7 D7 Gmaj7 Am7 D7
A girl with all the charms of you.
Gmaj7
Venus, make her fair,
Am7 D Gmaj7
A lovely girl with sunlight in her hair.
Am7 D Bm7 E7
And take the brightest stars up in the skies,
Am7 D7 Gmaj7 Am7 D7
And place them in her eyes for me.
Cmaj7 Am7 D7 Gmaj7
Venus, goddess of love that you are,
Em7 A7 Dmaj7
Surely the things I ask,
Em7 A7 Am7 D7
Can't be too great a task?
Gmaj7
Venus, if you do,
Am7 D Gmaj7
I promise that I always will be true.
Am7 D Bm7 E7
I'll give her all the love I have to give,
Am7 D7 Gmaj7 Am7 D7
As long as we both shall live.
Cmaj7 Am7 D7 Gmaj7
Venus, goddess of love that you are,
Em7 A7 Dmaj7
Surely the things I ask,
Em7 A7 Am7 D7
Can't be too great a task?
Gmaj7
Venus, if you do,
Am7 D Gmaj7
I promise that I always will be true.
Am7 D Bm7 E7
I'll give her all the love I have to give,
Am7 D7 Gmaj7 Am7 D7
As long as we both shall live.
Gmaj7 Cmaj7 D
Hey, Venus! Oh, Ve-nus...
D7 Gmaj7 Am7 D, Gmaj7 Am7 D, Gmaj7
Make my wish come true...
●ロックンロールよもやま話 -その65-
「ロッカバラードとカントリー、そして歴史に残るポエトリー」
ご案内:チャーリー・冷奴
何回か前の書き込みでコニー・フランシスを取り上げましたが彼女は日本語での楽曲を数多く録音発表しています。日本でコニーが大成功した事もありその他海外の一流歌手も60年代初期から中期に随分日本語での録音を試みていて日本のポップスファンを喜ばせてくれました。
今日はそんな有難いアーティストの中から一人を選んでお話したいな。誰がいいのだろう。
そうだ、この人にしようという訳で本日のよもやま話の主役は米国の人気歌手、ソングライターであり今でも元気なジョニー・ティロットソンです。
1940年フロリダのジャクソンビル出身。小さな頃よりカントリーに興味を持ち程なくしてギターやウクレレを習得したようです。高校時代には自身のバンドでローカルのテレビ番組に出演していたようです。
大学時代にはいよいよケーデンスレコードと契約するのです。ケーデンスはあのグレートなエヴァリーブラザースがすでに大活躍しておりました。
デヴューは58年甘いロッカバラード「夢見る瞳」
この曲はジョニーの自作でした。B面はやはり自作でアップテンポのロック「ウェルアイムユアマン」でいきなり両面ヒットとなります。(「夢見る」は63位、「ウェルアイム」87位)
幸先よいスタートでした。その後も大ヒットではないですが数曲をチャートに送り続ける安定した活躍でした。ゆったりしたロッカバラードが多く甘い歌唱がとても魅力的でした。アイドル性もかなりあったと思います。
さて60年に入りある曲に出会います。ややアップテンポの「ポエトリーインモーション」です。本人もスタッフも録音時に大ヒットの感触を持っていたでしょう。
伸びやかな甘い歌声、サックスのからみ、女性コーラス隊のかっこよさ。幻想的とも言える歌詞。ロックンロール史上に残る歴史的な作品が誕生したのです。
さあいよいよ発売されたこの曲、あっという間にチャートを駆け上り10月31日付でベスト10内の9位に登場、11月14日付で最高2位まで上がるミリオンセラーとなりました。レイ・チャールズの名作「我が心のジョージア」を追い抜けなかったのが残念でした。しかし完全に全米のスターになったのです。
次の「ジミーズガール」もヒットしその後「ウィズアウトユー」が7位まで上がる大ヒットです。
さてロッカバラード歌手として大成功した彼、「夢見る瞳」を再発売し再ヒットの後大変な方向修正をします。なんと「涙ながらに」というカントリーの曲を自身で作り発表。これが62年6月16日付で3位まで上がります。凄い事になりました。この後もカントリーの作品「夢の枕を」をヒットさせます。これでもかとカントリー作品「アイキャンヘルプイット」「アウトオブマイマインド」等をヒットさせます。この後一度ロッカバラード路線に戻り「ユーキャンネバーストップミーラビングユー」をヒットさせます。
程なく会社が解散する事になったケーデンスレコードを去りMGMに移籍しても65年位まではヒットを連ねます。ロッカバラードもカントリーフレーバーのあるものもうまく取り入れて長い人気を保ちました。
さて私がそんなジョニーのベストアルバムを手に入れたのがずっと後の70年代中頃の高校時代。
針を落として聴いた時ややイメージが違っていたのです。結構カントリー色の強い人だったのかなと思いました。それでも楽曲の良さのため聴き込むうちにすっかり違和感は消えてしまいましたが。
ジョニーが日本で脚光を浴びたのは米国の成功からだいぶ経った63年「キューティーパイ」という愛らしいアップテンポのロックでした。
60年代初期の日本ではあまりにカントリー色が強くなっていったジョニーの米国でのヒット曲を売るのは難しいなと思ったのでしょう。その後も甘いロッカバラードの「プリンセスプリンセス」「うつろなハート」「素敵なガールハント」といった米国シングルのB面曲をA面として発売をしてそれが功を奏して人気を得ていったのです。彼をスターダムに押し上げた「ポエトリーインモーション」もこの時期「ポエトリー」という邦題で発売されヒットしたそうです。
結局カントリー色を薄め、アイドル路線とした方が得策であったのでしょう。日本と米国では少し彼のイメージに差があるのではないでしょうか。
さて冒頭の日本語録音ですが「涙くんさよなら」「ユーアンドミー」「バラが咲いた」がグルーヴィンに保管されております。(日本語、英語の両方で録音されています。)
コニー・フランシス同様に相当な熱演です。是非お聴きになってみて下さい。
またなによりもケーデンス時代の大半のシングル発表曲がお楽しみ頂けます。しかもアナログ盤のベストLPで2枚です。針音で当時のサウンドが聴けるわけですね。ハイ。
少年時代から心底カントリーが好きだった彼、しかし50年代後半の世界中のロック熱がそれを阻んだのでしょう。スタートは当然ロックだったのです。
60年代初期に入り米国でカントリーを見直す動きが出てレイ・チャールズ、スキータ・デイビス等がヒット作品を残しております。
こうしたこの時代の動きの中において先ほどご紹介したジョニーの一連のカントリー作品の存在は非常に大きなものだそうです。
ロックアイドルとしてもカントリー歌手としても愛されたジョニー・ティロットソン、そして貴重な日本語録音。
いやあ古くたっていいものはいい。現在70代のジョニーは今も元気でライブ活動を行っております。万歳ィ。。。
9月の特別営業、当店のBGM、話題も豊富です。
9月の当店のお休みは日曜日のみです。
それでは繰り返し9月の祝日特別営業をシツコクお知らせ致します。
☆ オープン3周年記念特別営業「夕方からグルーヴィン」及びロックンロール生誕60年記念その⑤⑥⑦
・9月21日(月・敬老の日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑤「バディ・ホリー特集・伝説の天才ロックンローラー」
・9月22日(火・国民の休日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑥「エルヴィス・プレスリー特集・ロックンロール黄金時代」
・9月23日(水・秋分の日) 夕方5時オープン夜11時クローズ
⑦「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう。パート2」
●古臭いBGMが今日も流れます。
夜8時にオープンするとすぐにお客様がいらっしゃる時と相当時間がたってからドアが開く時といろいろです。お店を始める前は想像もしていなかったのですがバーは早い時間から賑わうものではないのですね。ですから大概のショットバーは7時オープンが多いと思います。お仕事が終了して一軒目のお店は恐らく居酒屋さんという事になりますね。となると7時から飲み始めれば2軒目以後のバーに来るのは必然的に9時・10時という事が自然になります。
むしろグルーヴィンは朝まで営業するのが売りですのでいわゆる真夜中に賑わう事がよくあります。
さてさて早目の時間にお客様がいない状況でもBGMのオールディーズロックを流しています。3年近く営業しているのですがコンセプトのBGMは変わりません。
お客様のご希望で70年代以後のロックやポピュラーソングをかける事もあります。
ただせっかくこのお店に来ているのだから是非とも多少無理をしてもオールディーズロックを聴いて欲しいのです。ハードロックやディスコ・ソウルは他店舗の音源が充実したミュージックバーでいくらでも味わえます。むしろ当店なんかお話になりません。
最近男性のお客様が実に面白い発想でご来店されました。
「ハードロック以前のロックをさかのぼって聴いてみたいのですけど」
これは素晴らしい考え方だと思います。ブリティッシュグループ等がカヴァー演奏した曲のオリジナルを聴くと「オオッ~、これは凄いな。」
一例をあげるとザ・フー「サマータイムブルース」。オリジナルは当然若くしてこの世を去ったエディ・コクランです。この曲は熱心なロックファンでもエディが最初に大ヒットさせたものだと知られていない事が多いのです。
ストーンズ、ビートルズをさかのぼればリトル・リチャードやチャック・ベリーに到達したり、ロイド・プライスやラリー・ウィリアムスとか。
最初のハードロックはなんだろうと言われたのですが「キンクスのユーリアリーガットミーに雰囲気が感じられます。」と答えました。実はキングスメン「ルイルイ」あたりもありかなと思います。
エレキギター奏者のリンク・レイの58年のヒット「ランブル」もすでにハードロック感が出ております。
結構知識が豊富な方でもことロックになると拘ってしまう事も多いようです。
「俺は●●以外はと聴かない。」とか「○○は感性にあわない。」とか、ジャンル分けや決めつけがお好きな方も多いのですね。
新しいものを聴くのは自然なのでしょうが、どんなに古いものだって初めて聴けば新鮮な発見なのです。実は古いからかっこ悪いのではなく結構かっこいいのです。ご自分のお好きな時代だけに拘る事もないのでは。
さて屁理屈はともかく、のんびりとさかのぼって聴いてみてください。あなたの好きなロックアーティストはさかのぼれば恐らくビートルズに行きつくのかもしれません。決めつけるのは嫌いですが、これは避けて通れないでしょう。そしてそこから更にさかのぼるとロックンロールやロカビリー、ブルース、カントリー&ウェスタンとなるのかもしれません。
せっかく都内にこんな変な店があるのですからどうぞ皆様、昭和30年代のロック音楽を体感してみて下さい。
あなたにとってただの古い不要な音源なのでしょうか。それとも・・・そうでないとしたらその興奮は計り知れないもの。言い方は良くないですがエクスタシーになってしまうかもしれません。
あっ、もちろん美味しい洋酒がお供させて頂きます。
●ロックンロールよもやま話 -その64-
「超セクシーなロカビリー・一瞬の煌き」
ご案内:チャーリー・冷奴
ロックがカントリーミュージックとブルースのシャッフルとすると特に白人歌手側は当然カントリー歌手がブルースに傾斜していったのですね。ロカビリー音楽は特に白人側の味わいが強い楽曲という事でしょうか。
エルヴィスが台頭する頃、やはり同系統の歌手は多数いましたがじゃあ皆ヒットを飛ばせたかというとそうでもないようです。ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンスあたりは大成功例です。彼等よりやや後輩のバディ・ホリー、エディ・コクラン、バディ・ノックスもそうでしょう。そして本日の主役もその一人、ジーン・ヴィンセントです。
35年2月11日バージニア州ノーフォークで生まれました。本名はヴィンセント・ユージン・クラドック。実家は貧しい家庭だったそうです。
ハイスクール時代ブルースとカントリーが好きであったそうでどうもこのへんもロカビリー構築に関係があるのでしょう。
ハイスクールは途中で退学、なんと海軍に入るのですがどうも年齢を偽っていたようなのです。得意のギターはこの時あたりから磨きがかかったようですね。
53年(55年説もあり)運命を左右するオートバイ事故により一生左足が曲がらなくなる程の重症を負います。
除隊後は故郷でラジオ番組に出演、歌っていたりしていましたがこの時に仲のよかったDJと一緒に曲を書いたのが歴史に残る名曲「ビーバップアルーラ」だそうです。作曲はジーンのようです。
この曲をまずはテープに録音してみてキャピトルレコードに持ち込みました。あまりに衝撃的な曲、セクシーすぎてこんなのまずいというところかキャピトルは「駄目だよ」と反発したようです。しかしその中でもこの曲の魅力を認めた重役が一人いてなんとか契約が出来たようです。最初は「ビーバップアルーラ」はどうもB面であったのですがなんと56年6月に9位まで上がる空前の大ヒットになりました。バックには名ギタリストのクリフ・ギャラップを配するブルーキャップスを従えており彼等の衣装はツナギや皮ジャンにハンチング帽をかぶり、まさにバイク乗り、ゴロツキのイメージです。何よりギターをかき鳴らしながらのジーンの歌唱が何かを連想させる吐息でマイクロフォンにからむ放送禁止もの、実にセンセーショナルであったようです。まさに初期のロックは悪魔の音楽であったかもしれません。特にこのロックのイメージはジーンとジェリー・リー・ルイスによって強められた感がありますがいかがなもんでしょう。
さて人気はこの時期が最高であったようです。その後発表するシングルはなんとヒットランクを下げてしまいます。セカンドの「レースウィズザデビル」は96位の小ヒット、6枚目の「ロッタラヴィン」は14位とかなり大きなヒットになりましたが7枚目の「ダンストゥザバップ」は43位のスマッシュヒット。ようするにその他のシングルはヒットしなかったのでしょう。ただなかなかの名曲もあり「ブルージーンバップ」「セイママ」「シルヴァリームーン」等は歴史に残る名演とも私は思いますです。
59年6月には来日して東京有楽町の日本劇場のステージ「日劇ウェスタンカーニバル」に客演、不自由な左足をひきづりながら熱演をした記録が残っております。
米国での人気もかげったものですが英国等ヨーロッパでは相変わらず評価が高くエディ・コクランと組んで60年にツアーを行い好評を博します。この時英国でまたもや彼を交通事故が襲います。ツアーが程よくかたづいてしばし休暇に入るかという事でエディ達とタクシーで空港に向かう途中、追突で車が大破、この事故でエディは亡くなり、ジーンは怪我を負います。しかし英国での活動していた時代は事故はともかく彼の一番輝いていた時期なのかもしれません。
その後も彼は演奏活動を続けます。時代はアイドルポップの時代、彼も「ミスターロンリネス」や「ラッキースター」といったポップな曲を録音しています。それもなかなかクールな出来になっています。
そして数年、時代はブリティッシュバンドの時代に。
71年10月31日ロスの病院にて胃潰瘍でこの世を去ります。お酒の飲み過ぎが影響したという話も聞いた事がありますがどうなのでしょう。36歳でありました。
ロカビリーは非常に短い期間の一瞬の煌きだと思えます。他のロカビリアンは結局エルヴィスを凌ぐ事はなくブームの後、元のカントリー界で大成功した例も多いです。
コンウェイ・トゥイッティ、ジェリー・リー・ルイス等は黄金時代を二度持っていると思います。カール・パーキンスもそうでしょう。ジーンには「ビーバップアルーラ」の成功の後どうしても激しい尻すぼみのイメージがついてしまいます。何か寂しい感じがします。
ジーンはカントリーではなく死の直前までロックを貫いたようです。ただ時代はもう新しいロックの時代、56年、57年以上の成功はもう訪れる事はなかったのも仕方ないです。
「ビーバップアルーラ」は世界中のロッカーにカヴァーされ後年ジョン・レノンも取り上げています。
ジーンは大変短い全盛時代、またその生涯でしたがその代わりに彼の音源は2015年の今でも世界中で発売されて数多くの音楽ファンに親しまれています。
それでも現代の若い世代にはまったくお馴染みのない歌手かもしれません。
歴史に残る彼の作品達は東京神保町のこのちっぽけなお店でもLPアナログ盤数枚でお楽しみ頂けます。
レコード針がとんでもなくセクシーな声を再現しています。60年近く前のこのヴォーカルは今の若い女性が聴いても相当刺激的でしょう。彼のスタイルを今の男性歌手が行ったら紅白歌合戦に出られないかもしれませんです。NHKお出入り禁止か。
冗談は置いといて、どうぞグルーヴィンにてウイスキー等美味しい洋酒と一緒にそんなジーンのエモーショナルなサウンドをお楽しみ下さい。古き昭和の30年代、今の暗い時代にない躍動がきっとあなたの心に蘇りますから。
ロック60年・・・本当に万歳。。。ウウッ(T_T)/~~~
それでは繰り返し9月の祝日特別営業をシツコクお知らせ致します。
☆ オープン3周年記念特別営業「夕方からグルーヴィン」及びロックンロール生誕60年記念その⑤⑥⑦
・9月21日(月・敬老の日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑤「バディ・ホリー特集・伝説の天才ロックンローラー」
・9月22日(火・国民の休日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑥「エルヴィス・プレスリー特集・ロックンロール黄金時代」
・9月23日(水・秋分の日) 夕方5時オープン夜11時クローズ
⑦「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう。パート2」
●古臭いBGMが今日も流れます。
夜8時にオープンするとすぐにお客様がいらっしゃる時と相当時間がたってからドアが開く時といろいろです。お店を始める前は想像もしていなかったのですがバーは早い時間から賑わうものではないのですね。ですから大概のショットバーは7時オープンが多いと思います。お仕事が終了して一軒目のお店は恐らく居酒屋さんという事になりますね。となると7時から飲み始めれば2軒目以後のバーに来るのは必然的に9時・10時という事が自然になります。
むしろグルーヴィンは朝まで営業するのが売りですのでいわゆる真夜中に賑わう事がよくあります。
さてさて早目の時間にお客様がいない状況でもBGMのオールディーズロックを流しています。3年近く営業しているのですがコンセプトのBGMは変わりません。
お客様のご希望で70年代以後のロックやポピュラーソングをかける事もあります。
ただせっかくこのお店に来ているのだから是非とも多少無理をしてもオールディーズロックを聴いて欲しいのです。ハードロックやディスコ・ソウルは他店舗の音源が充実したミュージックバーでいくらでも味わえます。むしろ当店なんかお話になりません。
最近男性のお客様が実に面白い発想でご来店されました。
「ハードロック以前のロックをさかのぼって聴いてみたいのですけど」
これは素晴らしい考え方だと思います。ブリティッシュグループ等がカヴァー演奏した曲のオリジナルを聴くと「オオッ~、これは凄いな。」
一例をあげるとザ・フー「サマータイムブルース」。オリジナルは当然若くしてこの世を去ったエディ・コクランです。この曲は熱心なロックファンでもエディが最初に大ヒットさせたものだと知られていない事が多いのです。
ストーンズ、ビートルズをさかのぼればリトル・リチャードやチャック・ベリーに到達したり、ロイド・プライスやラリー・ウィリアムスとか。
最初のハードロックはなんだろうと言われたのですが「キンクスのユーリアリーガットミーに雰囲気が感じられます。」と答えました。実はキングスメン「ルイルイ」あたりもありかなと思います。
エレキギター奏者のリンク・レイの58年のヒット「ランブル」もすでにハードロック感が出ております。
結構知識が豊富な方でもことロックになると拘ってしまう事も多いようです。
「俺は●●以外はと聴かない。」とか「○○は感性にあわない。」とか、ジャンル分けや決めつけがお好きな方も多いのですね。
新しいものを聴くのは自然なのでしょうが、どんなに古いものだって初めて聴けば新鮮な発見なのです。実は古いからかっこ悪いのではなく結構かっこいいのです。ご自分のお好きな時代だけに拘る事もないのでは。
さて屁理屈はともかく、のんびりとさかのぼって聴いてみてください。あなたの好きなロックアーティストはさかのぼれば恐らくビートルズに行きつくのかもしれません。決めつけるのは嫌いですが、これは避けて通れないでしょう。そしてそこから更にさかのぼるとロックンロールやロカビリー、ブルース、カントリー&ウェスタンとなるのかもしれません。
せっかく都内にこんな変な店があるのですからどうぞ皆様、昭和30年代のロック音楽を体感してみて下さい。
あなたにとってただの古い不要な音源なのでしょうか。それとも・・・そうでないとしたらその興奮は計り知れないもの。言い方は良くないですがエクスタシーになってしまうかもしれません。
あっ、もちろん美味しい洋酒がお供させて頂きます。
●ロックンロールよもやま話 -その64-
「超セクシーなロカビリー・一瞬の煌き」
ご案内:チャーリー・冷奴
ロックがカントリーミュージックとブルースのシャッフルとすると特に白人歌手側は当然カントリー歌手がブルースに傾斜していったのですね。ロカビリー音楽は特に白人側の味わいが強い楽曲という事でしょうか。
エルヴィスが台頭する頃、やはり同系統の歌手は多数いましたがじゃあ皆ヒットを飛ばせたかというとそうでもないようです。ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンスあたりは大成功例です。彼等よりやや後輩のバディ・ホリー、エディ・コクラン、バディ・ノックスもそうでしょう。そして本日の主役もその一人、ジーン・ヴィンセントです。
35年2月11日バージニア州ノーフォークで生まれました。本名はヴィンセント・ユージン・クラドック。実家は貧しい家庭だったそうです。
ハイスクール時代ブルースとカントリーが好きであったそうでどうもこのへんもロカビリー構築に関係があるのでしょう。
ハイスクールは途中で退学、なんと海軍に入るのですがどうも年齢を偽っていたようなのです。得意のギターはこの時あたりから磨きがかかったようですね。
53年(55年説もあり)運命を左右するオートバイ事故により一生左足が曲がらなくなる程の重症を負います。
除隊後は故郷でラジオ番組に出演、歌っていたりしていましたがこの時に仲のよかったDJと一緒に曲を書いたのが歴史に残る名曲「ビーバップアルーラ」だそうです。作曲はジーンのようです。
この曲をまずはテープに録音してみてキャピトルレコードに持ち込みました。あまりに衝撃的な曲、セクシーすぎてこんなのまずいというところかキャピトルは「駄目だよ」と反発したようです。しかしその中でもこの曲の魅力を認めた重役が一人いてなんとか契約が出来たようです。最初は「ビーバップアルーラ」はどうもB面であったのですがなんと56年6月に9位まで上がる空前の大ヒットになりました。バックには名ギタリストのクリフ・ギャラップを配するブルーキャップスを従えており彼等の衣装はツナギや皮ジャンにハンチング帽をかぶり、まさにバイク乗り、ゴロツキのイメージです。何よりギターをかき鳴らしながらのジーンの歌唱が何かを連想させる吐息でマイクロフォンにからむ放送禁止もの、実にセンセーショナルであったようです。まさに初期のロックは悪魔の音楽であったかもしれません。特にこのロックのイメージはジーンとジェリー・リー・ルイスによって強められた感がありますがいかがなもんでしょう。
さて人気はこの時期が最高であったようです。その後発表するシングルはなんとヒットランクを下げてしまいます。セカンドの「レースウィズザデビル」は96位の小ヒット、6枚目の「ロッタラヴィン」は14位とかなり大きなヒットになりましたが7枚目の「ダンストゥザバップ」は43位のスマッシュヒット。ようするにその他のシングルはヒットしなかったのでしょう。ただなかなかの名曲もあり「ブルージーンバップ」「セイママ」「シルヴァリームーン」等は歴史に残る名演とも私は思いますです。
59年6月には来日して東京有楽町の日本劇場のステージ「日劇ウェスタンカーニバル」に客演、不自由な左足をひきづりながら熱演をした記録が残っております。
米国での人気もかげったものですが英国等ヨーロッパでは相変わらず評価が高くエディ・コクランと組んで60年にツアーを行い好評を博します。この時英国でまたもや彼を交通事故が襲います。ツアーが程よくかたづいてしばし休暇に入るかという事でエディ達とタクシーで空港に向かう途中、追突で車が大破、この事故でエディは亡くなり、ジーンは怪我を負います。しかし英国での活動していた時代は事故はともかく彼の一番輝いていた時期なのかもしれません。
その後も彼は演奏活動を続けます。時代はアイドルポップの時代、彼も「ミスターロンリネス」や「ラッキースター」といったポップな曲を録音しています。それもなかなかクールな出来になっています。
そして数年、時代はブリティッシュバンドの時代に。
71年10月31日ロスの病院にて胃潰瘍でこの世を去ります。お酒の飲み過ぎが影響したという話も聞いた事がありますがどうなのでしょう。36歳でありました。
ロカビリーは非常に短い期間の一瞬の煌きだと思えます。他のロカビリアンは結局エルヴィスを凌ぐ事はなくブームの後、元のカントリー界で大成功した例も多いです。
コンウェイ・トゥイッティ、ジェリー・リー・ルイス等は黄金時代を二度持っていると思います。カール・パーキンスもそうでしょう。ジーンには「ビーバップアルーラ」の成功の後どうしても激しい尻すぼみのイメージがついてしまいます。何か寂しい感じがします。
ジーンはカントリーではなく死の直前までロックを貫いたようです。ただ時代はもう新しいロックの時代、56年、57年以上の成功はもう訪れる事はなかったのも仕方ないです。
「ビーバップアルーラ」は世界中のロッカーにカヴァーされ後年ジョン・レノンも取り上げています。
ジーンは大変短い全盛時代、またその生涯でしたがその代わりに彼の音源は2015年の今でも世界中で発売されて数多くの音楽ファンに親しまれています。
それでも現代の若い世代にはまったくお馴染みのない歌手かもしれません。
歴史に残る彼の作品達は東京神保町のこのちっぽけなお店でもLPアナログ盤数枚でお楽しみ頂けます。
レコード針がとんでもなくセクシーな声を再現しています。60年近く前のこのヴォーカルは今の若い女性が聴いても相当刺激的でしょう。彼のスタイルを今の男性歌手が行ったら紅白歌合戦に出られないかもしれませんです。NHKお出入り禁止か。
冗談は置いといて、どうぞグルーヴィンにてウイスキー等美味しい洋酒と一緒にそんなジーンのエモーショナルなサウンドをお楽しみ下さい。古き昭和の30年代、今の暗い時代にない躍動がきっとあなたの心に蘇りますから。
ロック60年・・・本当に万歳。。。ウウッ(T_T)/~~~
夏も終わりのグルーヴィン、9月連休もグルーヴィン
●前回もお知らせ致しましたがシツコク9月定休日のお知らせを
・9月 6日(日)
・9月13日(日)
・9月20日(日)
・9月27日(日)
※9月は26日間の営業となります。
●オープン3周年記念特別営業「夕方からグルーヴィン」及びロックンロール生誕60年記念その⑤⑥⑦
・9月21日(月・敬老の日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑤「バディ・ホリー特集・伝説の天才ロックンローラー」
・9月22日(火・国民の休日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑥「エルヴィス・プレスリー特集・ロックンロール黄金時代」
・9月23日(水・秋分の日) 夕方5時オープン夜11時クローズ
⑦「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう。パート2」
一気に3日間を突っ走ります。
秋からは3周年記念企画とロック生誕60年がリンクしてまいります。お楽しみに。
●タバコとグルーヴィン
時代の流れに反するようですがグルーヴィンでは喫煙が出来ます。
「なんて店だ、このご時勢に」って憤る方もいるでしょう。実は私、平子はまったくタバコをたしなみません。タバコはガンの発症を高めるとか受動喫煙も唱えられる時代ですがなんとタバコの良い面もあるようです。
・ストレスの軽減
・ボケの防止
ガンの発症の問題にしても実はさほどの害はないという説も強いようです。受動喫煙も同様で数字的にはあまり危険性はないという説も出ています。私には嫌煙家が少し騒ぎすぎとも思えます。それをまた支持した方が安全という公の施設。大手企業。
時代の流れで愛煙家をまるで犯罪でも犯したようにきつく縛り挙げているような気もしないでもありません。どぎついオーデコロンや車やオートバイの意味の無い騒音。私から見たらもっと迷惑な感じもするところです。現代人の自己主張の強さは嫌気がさす時が多々あるかと思います。
あくまでも嗜好品、他人を思いやる気持ちを持ち喫煙マナーを守ればさして問題ないと考えております。
何よりも煙や匂いが嫌だという方も多いでしょうがタバコをまったく吸わない私、実はあまり気になりません。というよりほのかな上品な香りが好きな方です。またお酒特にウイスキーとタバコはこりゃなかなかピタリとあうものって感じがします。
ご来店のお客さんでタバコをたしなまれる方は約40パーセント少しだと思います。女性も楽しみながら喫煙される方も多いと感じます。
健康のために吸いすぎには注意され適宜にお楽しみ頂ければさほど問題はないと私は考えております。要はお酒も一緒では。
バーとタバコ・・・。こりゃ現代でも切り離せないものでしょうか。
ストレスを癒し、人生のひと時に潤いをもたらすならばまわりが目くじらを立てるのはいかがなものなのでしょう。
●ロックンロールよもやま話 -その63-
「夢を掴んだドリーミン」
ご案内:チャーリー・冷奴
日毎に秋の色が強まります。
暑さも治まりつつあり逆にこの時期に他の皆さんと交代に夏休みをとられる方もいらっしゃるでしょう。
秋、いやまだ少し早いかもしれませんが秋刀魚が恋しくなってまいります。大根おろしに醤油をかけて・・・ゴクッ。
話は変わりますがグルーヴィンに保管されているオールディーズ音源で大スターではないがなかなか侮れずポップスの歴史の中に生き続けているアーティストのレコードが多数あります。本日の主役はまさにそんな中の一人であります。ロカビリー時代を経てマイルドなポップロックサウンドで人気者になったジョニー・バーネットです。
少年時代ふいにラジオの懐メロポップス番組で紹介されいっぺんでとりこになった曲があります。1960年の大ヒット「ドリーミン(夢に見る恋)」でした。恐らくはバイオリンであろうとおぼしきイントロにまず引きこまれました。まさにアメリカンポップ、リバティーレコードのサウンドでした。続いて男らしい甘い声のヴォーカル。それがジョニーとの初めての出会いでした。
ジョニーは34年3月25日メンフィス出身。メンフィスはブルース等黒人音楽の中心地ですね。
彼は大変なスポーツマンでボクシングと音楽が大好きな少年でした。兄はドーシー・バーネットでこちらもその後に弟同様にヒットソングを飛ばす歌手になりました。
ドーシーも音楽とボクシングが得意でありました。高校時代こちらもまた音楽とボクシングが趣味(ハハハ!)のポール・バーリソンと3人でバンドを組みました。後にロカビリーの歴史に名が残るジョニー・バーネットトリオの原型です。ジョニーがギターとヴォーカル、ドーシーがベース、ポールがギターという編成。
最初は恐らくカントリーを演奏していたかと考えます。エルヴィスに影響を受けながら活動を続けますがなかなか成功しません。56年には「ティアイットアップ」等、旬なロカビリーを発表しますがヒットという訳にはいかなかったようです。その後も活動は長く続けますが陽の目をみず解散に至ります。時代はもうロカビリーでもなく。
ウウッ・・・ (ノ_・。)
だけど悪い事ばかりではなかったようです。リバティーレコードに入ったジョニーは60年「森に火をつけて」でソロ歌手スタートです。古いカントリーをロックに仕立てたのですがヒットはしませんでした。次の「ドントドゥーイット」も同様でした。
そして3枚目に発表した「ドリーミン」でとうとう火がつきます。バリー・デヴォーゾン達が書き上げたこの歴史に残る名曲はスナッフ・ギャレットがプロデュースし60年8月米国で11位まで上がる大ヒット。ジョニーが栄光を掴んだのです。
この曲の後のシングル「ユアシックスティーン」が前作を上回る大ヒットでなんと8位まで上りつめ彼の人生最大の成功作となります。(73年にリンゴ・スターが取り上げ1位を獲得しています。)
その後は安定してチャートに曲が出てまいります。特に成功作は「リトルボーイサッド」(61年17位)、「ビッグワールド」(61年58位)「カントリーアンドマイベイビー」(61年18位)。
ロカビリー時代はほとんど売れませんでしたがその後に62年まで在籍したリバティーでスターダムに上がりました。日本では62年に「片目のジャック」が好評でかなりのヒットとなりましたね。この曲マーロン・ブランドの西部劇を反映させたものだと思います。なぜか私の家に兄弟が買ったシングル盤がありました。
ジョニーはその後63年にキャピトルに移籍します。
まだまだこれからという時期でしたが、残酷な運命の悪戯が待っていました。
64年8月14日の夜にクリアレイクにて小船に乗り一人で釣りを楽しんでいた彼、船に追突され亡くなりました。
ジョニー・バーネット30年の生涯でした。
70年代の映画「アメリカングラフィティ」で効果的に「ユアシックスティーン」が使われ久しぶりにジョニーに脚光があたりました。この時名前を知られた方もいらっしゃるでしょう。また80年に米国で「愛は風にのせて」を大ヒットさせたロッキー・バーネットはジョニーの息子さんであります。
ジョニーの野太くしかし甘い歌声、グルーヴィンでは2枚のアナログLPで全盛期のリバティー時代の音源を中心にお聴き頂けます。
なお冒頭にも書きましたが兄のドーシーも60年代初期からヒット曲をいくつか発表しており、アメリカングラフティボリューム3というアルバムで「ヘイリトルワン」(60年48位)が選曲されております。ドーシーは70年代までカントリー畑で名を残しましたが79年8月に49歳の若さでこの世を去っております。またジョニー・バーネットトリオ時代にエレキギターを担当したポール・バーリソンも2003年に亡くなっております。
ロカビリーが大好きな方はジョニーのトリオ時代にとっても興味を持たれていると思います。この20年ほどその彼等の音源は手に入りやすくなっております。ただ私はどうしてもジョニーが栄光を掴んだリバティー時代が気になるのです。何しろ苦労し続けた彼がようやく全米いや世界で脚光を浴びた「ドリーミン」
私の人生の中でも大切なフェイバリットソングであります。お若い方々もどうぞ一度お聴きになって下さいね。夢をもらって元気になる曲です。
私は今日はグルーヴィンでジョニーの歌声を聴きながらハーパーのハイボールでもグビッと飲もうっと。チャーリーが担当しました。
・9月 6日(日)
・9月13日(日)
・9月20日(日)
・9月27日(日)
※9月は26日間の営業となります。
●オープン3周年記念特別営業「夕方からグルーヴィン」及びロックンロール生誕60年記念その⑤⑥⑦
・9月21日(月・敬老の日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑤「バディ・ホリー特集・伝説の天才ロックンローラー」
・9月22日(火・国民の休日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑥「エルヴィス・プレスリー特集・ロックンロール黄金時代」
・9月23日(水・秋分の日) 夕方5時オープン夜11時クローズ
⑦「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう。パート2」
一気に3日間を突っ走ります。
秋からは3周年記念企画とロック生誕60年がリンクしてまいります。お楽しみに。
●タバコとグルーヴィン
時代の流れに反するようですがグルーヴィンでは喫煙が出来ます。
「なんて店だ、このご時勢に」って憤る方もいるでしょう。実は私、平子はまったくタバコをたしなみません。タバコはガンの発症を高めるとか受動喫煙も唱えられる時代ですがなんとタバコの良い面もあるようです。
・ストレスの軽減
・ボケの防止
ガンの発症の問題にしても実はさほどの害はないという説も強いようです。受動喫煙も同様で数字的にはあまり危険性はないという説も出ています。私には嫌煙家が少し騒ぎすぎとも思えます。それをまた支持した方が安全という公の施設。大手企業。
時代の流れで愛煙家をまるで犯罪でも犯したようにきつく縛り挙げているような気もしないでもありません。どぎついオーデコロンや車やオートバイの意味の無い騒音。私から見たらもっと迷惑な感じもするところです。現代人の自己主張の強さは嫌気がさす時が多々あるかと思います。
あくまでも嗜好品、他人を思いやる気持ちを持ち喫煙マナーを守ればさして問題ないと考えております。
何よりも煙や匂いが嫌だという方も多いでしょうがタバコをまったく吸わない私、実はあまり気になりません。というよりほのかな上品な香りが好きな方です。またお酒特にウイスキーとタバコはこりゃなかなかピタリとあうものって感じがします。
ご来店のお客さんでタバコをたしなまれる方は約40パーセント少しだと思います。女性も楽しみながら喫煙される方も多いと感じます。
健康のために吸いすぎには注意され適宜にお楽しみ頂ければさほど問題はないと私は考えております。要はお酒も一緒では。
バーとタバコ・・・。こりゃ現代でも切り離せないものでしょうか。
ストレスを癒し、人生のひと時に潤いをもたらすならばまわりが目くじらを立てるのはいかがなものなのでしょう。
●ロックンロールよもやま話 -その63-
「夢を掴んだドリーミン」
ご案内:チャーリー・冷奴
日毎に秋の色が強まります。
暑さも治まりつつあり逆にこの時期に他の皆さんと交代に夏休みをとられる方もいらっしゃるでしょう。
秋、いやまだ少し早いかもしれませんが秋刀魚が恋しくなってまいります。大根おろしに醤油をかけて・・・ゴクッ。
話は変わりますがグルーヴィンに保管されているオールディーズ音源で大スターではないがなかなか侮れずポップスの歴史の中に生き続けているアーティストのレコードが多数あります。本日の主役はまさにそんな中の一人であります。ロカビリー時代を経てマイルドなポップロックサウンドで人気者になったジョニー・バーネットです。
少年時代ふいにラジオの懐メロポップス番組で紹介されいっぺんでとりこになった曲があります。1960年の大ヒット「ドリーミン(夢に見る恋)」でした。恐らくはバイオリンであろうとおぼしきイントロにまず引きこまれました。まさにアメリカンポップ、リバティーレコードのサウンドでした。続いて男らしい甘い声のヴォーカル。それがジョニーとの初めての出会いでした。
ジョニーは34年3月25日メンフィス出身。メンフィスはブルース等黒人音楽の中心地ですね。
彼は大変なスポーツマンでボクシングと音楽が大好きな少年でした。兄はドーシー・バーネットでこちらもその後に弟同様にヒットソングを飛ばす歌手になりました。
ドーシーも音楽とボクシングが得意でありました。高校時代こちらもまた音楽とボクシングが趣味(ハハハ!)のポール・バーリソンと3人でバンドを組みました。後にロカビリーの歴史に名が残るジョニー・バーネットトリオの原型です。ジョニーがギターとヴォーカル、ドーシーがベース、ポールがギターという編成。
最初は恐らくカントリーを演奏していたかと考えます。エルヴィスに影響を受けながら活動を続けますがなかなか成功しません。56年には「ティアイットアップ」等、旬なロカビリーを発表しますがヒットという訳にはいかなかったようです。その後も活動は長く続けますが陽の目をみず解散に至ります。時代はもうロカビリーでもなく。
ウウッ・・・ (ノ_・。)
だけど悪い事ばかりではなかったようです。リバティーレコードに入ったジョニーは60年「森に火をつけて」でソロ歌手スタートです。古いカントリーをロックに仕立てたのですがヒットはしませんでした。次の「ドントドゥーイット」も同様でした。
そして3枚目に発表した「ドリーミン」でとうとう火がつきます。バリー・デヴォーゾン達が書き上げたこの歴史に残る名曲はスナッフ・ギャレットがプロデュースし60年8月米国で11位まで上がる大ヒット。ジョニーが栄光を掴んだのです。
この曲の後のシングル「ユアシックスティーン」が前作を上回る大ヒットでなんと8位まで上りつめ彼の人生最大の成功作となります。(73年にリンゴ・スターが取り上げ1位を獲得しています。)
その後は安定してチャートに曲が出てまいります。特に成功作は「リトルボーイサッド」(61年17位)、「ビッグワールド」(61年58位)「カントリーアンドマイベイビー」(61年18位)。
ロカビリー時代はほとんど売れませんでしたがその後に62年まで在籍したリバティーでスターダムに上がりました。日本では62年に「片目のジャック」が好評でかなりのヒットとなりましたね。この曲マーロン・ブランドの西部劇を反映させたものだと思います。なぜか私の家に兄弟が買ったシングル盤がありました。
ジョニーはその後63年にキャピトルに移籍します。
まだまだこれからという時期でしたが、残酷な運命の悪戯が待っていました。
64年8月14日の夜にクリアレイクにて小船に乗り一人で釣りを楽しんでいた彼、船に追突され亡くなりました。
ジョニー・バーネット30年の生涯でした。
70年代の映画「アメリカングラフィティ」で効果的に「ユアシックスティーン」が使われ久しぶりにジョニーに脚光があたりました。この時名前を知られた方もいらっしゃるでしょう。また80年に米国で「愛は風にのせて」を大ヒットさせたロッキー・バーネットはジョニーの息子さんであります。
ジョニーの野太くしかし甘い歌声、グルーヴィンでは2枚のアナログLPで全盛期のリバティー時代の音源を中心にお聴き頂けます。
なお冒頭にも書きましたが兄のドーシーも60年代初期からヒット曲をいくつか発表しており、アメリカングラフティボリューム3というアルバムで「ヘイリトルワン」(60年48位)が選曲されております。ドーシーは70年代までカントリー畑で名を残しましたが79年8月に49歳の若さでこの世を去っております。またジョニー・バーネットトリオ時代にエレキギターを担当したポール・バーリソンも2003年に亡くなっております。
ロカビリーが大好きな方はジョニーのトリオ時代にとっても興味を持たれていると思います。この20年ほどその彼等の音源は手に入りやすくなっております。ただ私はどうしてもジョニーが栄光を掴んだリバティー時代が気になるのです。何しろ苦労し続けた彼がようやく全米いや世界で脚光を浴びた「ドリーミン」
私の人生の中でも大切なフェイバリットソングであります。お若い方々もどうぞ一度お聴きになって下さいね。夢をもらって元気になる曲です。
私は今日はグルーヴィンでジョニーの歌声を聴きながらハーパーのハイボールでもグビッと飲もうっと。チャーリーが担当しました。
もうすぐオープン3周年
●9月の営業について
神保町のオールディーズロックバーのグルーヴィンも10月でオープン3周年となります。
とにかく先輩の方々から「3年は我慢するのだ」と教えられてきました。お店の存在が知れてくるのにそれだけかかるという事のようです。確かにここの所ふいにドアをオープンして頂き、その後も定期的にご来店頂く事が増えました。「石の上にも」と申しますがこのネット時代の現在でもこれは変わっていないようです。
さて早速ですがオープン3周年記念の特別企画の一つ目です。シルバーウィークの期間は題しまして「夕方からグルーヴィン」です。
9月21日(月・敬老の日)、22日(火・国民の休日)、23日(水・秋分の日)の3日間は夕方5時からオープン、11時クローズの特別営業となります。
(普段でしたら祝日はお休みなのですが。)
☆まずは9月定休日のお知らせを
・9月 6日(日)
・9月13日(日)
・9月20日(日)
・9月27日(日)
※9月は26日間の営業となります。
☆ オープン3周年記念特別営業「夕方からグルーヴィン」及びロックンロール生誕60年記念その⑤⑥⑦
・9月21日(月・敬老の日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑤「バディ・ホリー特集・伝説の天才ロックンローラー」
・9月22日(火・国民の休日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑥「エルヴィス・プレスリー特集・ロックンロール黄金時代」
・9月23日(水・秋分の日) 夕方5時オープン夜11時クローズ
⑦「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう。パート2」
一気に3日間を突っ走ります。
秋からは3周年記念企画とロック生誕60年がリンクしてまいります。お楽しみに。
●ロックンロールよもやま話 -その62-
「ロックンロールの女王」
ご案内:チャーリー・冷奴
暑さもだいぶ和らいできたようですね。長期で夏休みをとりましたが久しぶりに登場させて頂きます。
さてロックンロールの創世記1955年~58年くらいはほぼ男性アーティストがメインでしたがいよいよポップなサウンドがロックの主流になってくると女性歌手がアイドルとして多数ヒットパレードを賑わします。その中でトップ一人を選ぶとするとやはりコニー・フランシスでしょう。
私が学生時代の70年代中盤はもうオールディーズのレコードはほぼ廃盤で手に入る歌手はエルヴィス、パット・ブーン、ニール・セダカ、ポール・アンカ(RCAビクターでの再録)、ペギー・マーチ、フランスのシルヴィー・バルタンとか・・・
そして本日の主役コニー・フランシスでした。それだけ日本人に愛されたという事でしょう。
コニーは1938年12月ニュージャージーで生まれました。コンチェッタ ロサ マリア フランコネロが本名のようです。イタリア系だそうです。かつてのマカロニウェスタンの大スターみたいな名前です。
少女時代にタレントショーで有名になり歌の世界へ。苦労してMGMと契約、ようやくレコードを多数発表しますがまったく話題になりません。数年が経ち、やや諦めもでていたと思います。父親のすすめもあり古いスタンダード「フーズソーリーナウ」を録音・発売します。ロッカバラードでややカントリーの味わいが素敵な曲で58年に4位まで上がる大ヒット。本人、父親等関係者はどんなに嬉しかった事でしょう。
その後は今までの不振が嘘のようにヒット曲を連発します。
62年に歴史に残る名曲「ヴァケーション」を9位までの大ヒット後はややチャートは下げていきますが65年位まではトップスターであったと思います。米国でも50曲ものヒット曲は持っている彼女、当時、世界中にファンが多くヨーロッパではドイツ、アジアでは日本で特に人気が高いようで日本語で録音された曲が沢山ヒットしました。そのためか日本では米国でヒットした曲が少々隠れてしまうような感もあったようです。「可愛いベイビー」「夢のデイト」「大人になりたい」「ボーイハント」「想い出の冬休み」「渚のデイト」等、日本語の発音が実に上手く本人の録音前の練習量は凄まじいものであったでしょう。彼女の成功がその後の他の人気歌手の日本語録音に拍車をかけてくれたのでしょう。ジョニー・ティロットソン、ペギー・マーチ、ポールとポーラ、ニール・セダカ、ジョニー・シンバル。
歌唱力が素晴らしくゆったりとしたバラードでは日本の八代亜紀さんが得意の泣きながらフレーズをつなげていくスタイルも彼女の特徴でしょうか。歌謡曲・演歌にもかなりの影響を与えたはずです。
またコニーが一人で多重録音で異なるパートを歌う事を多様しているのはやはり当時の他のアイドルよりも歌唱が抜きん出ていたとしか言いようがないと思います。
コニーはあまりにもレコーディングした曲が多くそれも世界的で各言語で録音をしているので彼女の全録音を揃えている人は相当少ないでしょう。私等彼女のヒット曲の半分くらいしか聴けていないと思います。
グルーヴィンではアナログ盤で全盛期の大半のシングルヒット、CDで日本語吹込みの貴重な録音がお聴き頂けます。
さてオールディーズロックンロールのキングはエルヴィスかチャック・ベリーか。それならばクイーンは間違いなくコニーだと私は思っております。後に次ぐのはブレンダ・リーか。
ロックの歴史の中で50年代末から60年代初期のロッカバラードの時代の歌手は軽く見られているのではないでしょうか。ロカビリー旋風の後、世界の家庭ではテレビやラジオで沢山のアイドル歌手を見て大人も子供も楽しんでいたと思います。このサウンドはその後のマージービート等のブリティッシュバンドにも多大な影響を与え、今現在活躍するアーティストもこれらのサウンドを基盤にしていると私は確信しています。特にコニーがいなければ現在の音楽界の女性の立場も違ったものになっていたのではないでしょうか。
今の音楽界は男性と女性は対等だと思います。しかし彼女が活躍し始めた頃はまったく違っていたと思います。しかも男優勢の当時のポピュラー音楽界。
現在の音楽ファンの方々、どうぞコニーの歴史的な楽曲と圧倒的な歌唱力を再確認されて下さい。
もしお酒がお好きなら神保町グルーヴィンでコニーとご一緒して下さいね。
神保町のオールディーズロックバーのグルーヴィンも10月でオープン3周年となります。
とにかく先輩の方々から「3年は我慢するのだ」と教えられてきました。お店の存在が知れてくるのにそれだけかかるという事のようです。確かにここの所ふいにドアをオープンして頂き、その後も定期的にご来店頂く事が増えました。「石の上にも」と申しますがこのネット時代の現在でもこれは変わっていないようです。
さて早速ですがオープン3周年記念の特別企画の一つ目です。シルバーウィークの期間は題しまして「夕方からグルーヴィン」です。
9月21日(月・敬老の日)、22日(火・国民の休日)、23日(水・秋分の日)の3日間は夕方5時からオープン、11時クローズの特別営業となります。
(普段でしたら祝日はお休みなのですが。)
☆まずは9月定休日のお知らせを
・9月 6日(日)
・9月13日(日)
・9月20日(日)
・9月27日(日)
※9月は26日間の営業となります。
☆ オープン3周年記念特別営業「夕方からグルーヴィン」及びロックンロール生誕60年記念その⑤⑥⑦
・9月21日(月・敬老の日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑤「バディ・ホリー特集・伝説の天才ロックンローラー」
・9月22日(火・国民の休日)夕方5時オープン夜11時クローズ
⑥「エルヴィス・プレスリー特集・ロックンロール黄金時代」
・9月23日(水・秋分の日) 夕方5時オープン夜11時クローズ
⑦「60年代初期のブリティッシュビートを楽しもう。パート2」
一気に3日間を突っ走ります。
秋からは3周年記念企画とロック生誕60年がリンクしてまいります。お楽しみに。
●ロックンロールよもやま話 -その62-
「ロックンロールの女王」
ご案内:チャーリー・冷奴
暑さもだいぶ和らいできたようですね。長期で夏休みをとりましたが久しぶりに登場させて頂きます。
さてロックンロールの創世記1955年~58年くらいはほぼ男性アーティストがメインでしたがいよいよポップなサウンドがロックの主流になってくると女性歌手がアイドルとして多数ヒットパレードを賑わします。その中でトップ一人を選ぶとするとやはりコニー・フランシスでしょう。
私が学生時代の70年代中盤はもうオールディーズのレコードはほぼ廃盤で手に入る歌手はエルヴィス、パット・ブーン、ニール・セダカ、ポール・アンカ(RCAビクターでの再録)、ペギー・マーチ、フランスのシルヴィー・バルタンとか・・・
そして本日の主役コニー・フランシスでした。それだけ日本人に愛されたという事でしょう。
コニーは1938年12月ニュージャージーで生まれました。コンチェッタ ロサ マリア フランコネロが本名のようです。イタリア系だそうです。かつてのマカロニウェスタンの大スターみたいな名前です。
少女時代にタレントショーで有名になり歌の世界へ。苦労してMGMと契約、ようやくレコードを多数発表しますがまったく話題になりません。数年が経ち、やや諦めもでていたと思います。父親のすすめもあり古いスタンダード「フーズソーリーナウ」を録音・発売します。ロッカバラードでややカントリーの味わいが素敵な曲で58年に4位まで上がる大ヒット。本人、父親等関係者はどんなに嬉しかった事でしょう。
その後は今までの不振が嘘のようにヒット曲を連発します。
62年に歴史に残る名曲「ヴァケーション」を9位までの大ヒット後はややチャートは下げていきますが65年位まではトップスターであったと思います。米国でも50曲ものヒット曲は持っている彼女、当時、世界中にファンが多くヨーロッパではドイツ、アジアでは日本で特に人気が高いようで日本語で録音された曲が沢山ヒットしました。そのためか日本では米国でヒットした曲が少々隠れてしまうような感もあったようです。「可愛いベイビー」「夢のデイト」「大人になりたい」「ボーイハント」「想い出の冬休み」「渚のデイト」等、日本語の発音が実に上手く本人の録音前の練習量は凄まじいものであったでしょう。彼女の成功がその後の他の人気歌手の日本語録音に拍車をかけてくれたのでしょう。ジョニー・ティロットソン、ペギー・マーチ、ポールとポーラ、ニール・セダカ、ジョニー・シンバル。
歌唱力が素晴らしくゆったりとしたバラードでは日本の八代亜紀さんが得意の泣きながらフレーズをつなげていくスタイルも彼女の特徴でしょうか。歌謡曲・演歌にもかなりの影響を与えたはずです。
またコニーが一人で多重録音で異なるパートを歌う事を多様しているのはやはり当時の他のアイドルよりも歌唱が抜きん出ていたとしか言いようがないと思います。
コニーはあまりにもレコーディングした曲が多くそれも世界的で各言語で録音をしているので彼女の全録音を揃えている人は相当少ないでしょう。私等彼女のヒット曲の半分くらいしか聴けていないと思います。
グルーヴィンではアナログ盤で全盛期の大半のシングルヒット、CDで日本語吹込みの貴重な録音がお聴き頂けます。
さてオールディーズロックンロールのキングはエルヴィスかチャック・ベリーか。それならばクイーンは間違いなくコニーだと私は思っております。後に次ぐのはブレンダ・リーか。
ロックの歴史の中で50年代末から60年代初期のロッカバラードの時代の歌手は軽く見られているのではないでしょうか。ロカビリー旋風の後、世界の家庭ではテレビやラジオで沢山のアイドル歌手を見て大人も子供も楽しんでいたと思います。このサウンドはその後のマージービート等のブリティッシュバンドにも多大な影響を与え、今現在活躍するアーティストもこれらのサウンドを基盤にしていると私は確信しています。特にコニーがいなければ現在の音楽界の女性の立場も違ったものになっていたのではないでしょうか。
今の音楽界は男性と女性は対等だと思います。しかし彼女が活躍し始めた頃はまったく違っていたと思います。しかも男優勢の当時のポピュラー音楽界。
現在の音楽ファンの方々、どうぞコニーの歴史的な楽曲と圧倒的な歌唱力を再確認されて下さい。
もしお酒がお好きなら神保町グルーヴィンでコニーとご一緒して下さいね。