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一番人気のカクテルって
お店を開いて随分経ちましたが今まで一番オーダーが多いカクテルってなんだとお考えですか。
それはおそらくジントニックでしょう。バーでは以外とビールをオーダーされないようです。それでも炭酸系のものを飲みたい方はかなり多いです。そうなるとやはりお馴染みさからいってジントニックという事になるようです。
お店によってレシピが多少違っている場合もありますでしょうが基本グラスに氷を数個入れジンを注ぎトニックウォーターで割ればよいのです。(もちろん作り方には工夫をしていますけど)
甘みを抑えたいというならビターズを垂らせばいいそうです。また飾りはレモンかライムのスライスをポンと入れる。
私の考え方ですがどんなカクテルでもオーソドックスなレシピが一番いいと思います。まずはこれでご提供、後はお客様のお好みやこだわりで変化させればいいのですから。
トニックウォーターは実に便利でウォッカでもテキーラでもOKですし、アルコールが駄目な人でもオレンジジュースやグレープフルーツジュースで割っても美味しいです。
ジントニック・・・程よい苦味もあり長い時間飲んでも飽きないし。なんと素晴らしいカクテルでしょう。
オーソドックスなジントニックが飲みたい時はどうぞ当店でご注文頂きお楽しみ頂ければ嬉しいです。
●ロックンロールよもやま話 -その39-
「ロックはこれで始まった。」
ご案内:チャーリー冷奴
1955年夏、ビル・ヘイリーと彼のコメッツ「ロックアラウンドザクロック」が爆発的にヒットをしました。
この曲を持ってロック時代が始まったという話が通常多いですね。
1955年は確かにロックンロールの人気が高まりました。ただそれより以前にもロックのヒットもありましたしビル・へイリー自身もヒット曲を飛ばしていました。55年はまだまだスタンダードなフォアエーセスやフランク・シナトラ、ビリー・ヴォーン等が人気を博していたようです。
ですが、その後の爆発的なロックブームに最初に火をつけ全世界に発信した歴史的な曲である事は間違いありません。
ビルは1925年生まれというのが一般的な説だそうです。すると彼の人気が爆発した55年は30歳という事になりますか。当時の30は今の40代のイメージでしょうか。
渋いおじさんというよりヘアースタイルはその後の漫画トリオの横山ノックさんによく似ております。今見てもロックアイドルという感じはしませんよね。
音楽一家の中で育った彼、子供の時からギターを与えられ近所のどの子よりも演奏がうまくなったようです。町のマーケットのステージ等でカントリーを歌ったりしてお小遣いを稼いだりしていたようです。
1940年代はカントリーを歌っていた彼はヨーデルの達人であったようです。ヨーデルってあのー・・・灰田勝彦さんが有名ですね。レイホー!
カントリーバンドを解散して当時人気が出だしていたR&Bの音楽をやればいいんじゃないかという事でコメッツを結成したようです。
大手のデッカレコードに54年に入り大成功を収めるようになりました。
(ジョー・ターナー「シェイクラトルアンドロール」をカバーして大ヒットさせました。)
コメッツは基本7人編成、今は珍しいアコーディオンが入る時もあったようです。
そのサウンドはその後のロカビリースター達よりスィングのムードもうまく混ざりあった独特の演奏ですよね。洒落ていて実にカッコいい。
多数のヒットを放つのですが数年のうちに他のロックスター達が人気を博し次第にヒットが出なくなっていったようです。
人がよかったせいかその後、全盛期に稼いだ財産をほとんどなくしてしまったそうです。
他国に渡り音楽を続けていましたが、ロックンロールのリバイバルショーで再度人気が沸騰します。
そして73年の映画「アメリカングラフィティー」では「ロックアラウンドザクロック」が映画のトップを飾るBGMで使用されるなど再び彼にかつての栄光が戻っていた事は間違いなさそうです。
そんな彼でしたが残酷にも病魔、脳腫瘍が襲います。
彼はひっそりと生活をしていたようですが81年2月に亡くなりました。まだ55歳の働き盛りであったのに・・・
ビルはエルヴィスやチャック・ベリーのように王様でも神様でもないかもしれません。バディホリーのようなカリスマ性もないかな。風貌もコミカルだし・・・・
しかし今から60年も前のロック創成期に煌いた元祖ロックスター、ビル・ヘイリー。
彼の全盛期のサウンドはグルーヴィンではデッカからのデビューLPとベストヒットを収録したCDでお楽しみ頂く事が出来ます。
エイトビートリズムが一般的になる前の原始的な「はねはね」のロカビリーサウンドは今でもカッコいい大人のロックリズムですね。ロックは「ロックアラウンドザクロック」で始まった。これでいいような気がします。ビルに感謝です。
チャーリー冷奴でした。
それはおそらくジントニックでしょう。バーでは以外とビールをオーダーされないようです。それでも炭酸系のものを飲みたい方はかなり多いです。そうなるとやはりお馴染みさからいってジントニックという事になるようです。
お店によってレシピが多少違っている場合もありますでしょうが基本グラスに氷を数個入れジンを注ぎトニックウォーターで割ればよいのです。(もちろん作り方には工夫をしていますけど)
甘みを抑えたいというならビターズを垂らせばいいそうです。また飾りはレモンかライムのスライスをポンと入れる。
私の考え方ですがどんなカクテルでもオーソドックスなレシピが一番いいと思います。まずはこれでご提供、後はお客様のお好みやこだわりで変化させればいいのですから。
トニックウォーターは実に便利でウォッカでもテキーラでもOKですし、アルコールが駄目な人でもオレンジジュースやグレープフルーツジュースで割っても美味しいです。
ジントニック・・・程よい苦味もあり長い時間飲んでも飽きないし。なんと素晴らしいカクテルでしょう。
オーソドックスなジントニックが飲みたい時はどうぞ当店でご注文頂きお楽しみ頂ければ嬉しいです。
●ロックンロールよもやま話 -その39-
「ロックはこれで始まった。」
ご案内:チャーリー冷奴
1955年夏、ビル・ヘイリーと彼のコメッツ「ロックアラウンドザクロック」が爆発的にヒットをしました。
この曲を持ってロック時代が始まったという話が通常多いですね。
1955年は確かにロックンロールの人気が高まりました。ただそれより以前にもロックのヒットもありましたしビル・へイリー自身もヒット曲を飛ばしていました。55年はまだまだスタンダードなフォアエーセスやフランク・シナトラ、ビリー・ヴォーン等が人気を博していたようです。
ですが、その後の爆発的なロックブームに最初に火をつけ全世界に発信した歴史的な曲である事は間違いありません。
ビルは1925年生まれというのが一般的な説だそうです。すると彼の人気が爆発した55年は30歳という事になりますか。当時の30は今の40代のイメージでしょうか。
渋いおじさんというよりヘアースタイルはその後の漫画トリオの横山ノックさんによく似ております。今見てもロックアイドルという感じはしませんよね。
音楽一家の中で育った彼、子供の時からギターを与えられ近所のどの子よりも演奏がうまくなったようです。町のマーケットのステージ等でカントリーを歌ったりしてお小遣いを稼いだりしていたようです。
1940年代はカントリーを歌っていた彼はヨーデルの達人であったようです。ヨーデルってあのー・・・灰田勝彦さんが有名ですね。レイホー!
カントリーバンドを解散して当時人気が出だしていたR&Bの音楽をやればいいんじゃないかという事でコメッツを結成したようです。
大手のデッカレコードに54年に入り大成功を収めるようになりました。
(ジョー・ターナー「シェイクラトルアンドロール」をカバーして大ヒットさせました。)
コメッツは基本7人編成、今は珍しいアコーディオンが入る時もあったようです。
そのサウンドはその後のロカビリースター達よりスィングのムードもうまく混ざりあった独特の演奏ですよね。洒落ていて実にカッコいい。
多数のヒットを放つのですが数年のうちに他のロックスター達が人気を博し次第にヒットが出なくなっていったようです。
人がよかったせいかその後、全盛期に稼いだ財産をほとんどなくしてしまったそうです。
他国に渡り音楽を続けていましたが、ロックンロールのリバイバルショーで再度人気が沸騰します。
そして73年の映画「アメリカングラフィティー」では「ロックアラウンドザクロック」が映画のトップを飾るBGMで使用されるなど再び彼にかつての栄光が戻っていた事は間違いなさそうです。
そんな彼でしたが残酷にも病魔、脳腫瘍が襲います。
彼はひっそりと生活をしていたようですが81年2月に亡くなりました。まだ55歳の働き盛りであったのに・・・
ビルはエルヴィスやチャック・ベリーのように王様でも神様でもないかもしれません。バディホリーのようなカリスマ性もないかな。風貌もコミカルだし・・・・
しかし今から60年も前のロック創成期に煌いた元祖ロックスター、ビル・ヘイリー。
彼の全盛期のサウンドはグルーヴィンではデッカからのデビューLPとベストヒットを収録したCDでお楽しみ頂く事が出来ます。
エイトビートリズムが一般的になる前の原始的な「はねはね」のロカビリーサウンドは今でもカッコいい大人のロックリズムですね。ロックは「ロックアラウンドザクロック」で始まった。これでいいような気がします。ビルに感謝です。
チャーリー冷奴でした。
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