忍者ブログ

Groovin'

東京は神田神保町のオールディーズバーです。アナログレコードを中心に涙なしには語れないBGMと美味しい洋酒。エレキギターを弾いたり歌ったり。 お気軽にドアを開けて下さいね。
07 2025/08 1 23 4 5 6 7 8 910 11 12 13 14 15 1617 18 19 20 21 22 2324 25 26 27 28 29 3031 09


[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • 08/13/20:36


夏も後半 おじさんの独り言

夏もいよいよ後半です。
この暑い中、私は自転車でお店まで通い、営業を終了して洗いもの等をして再び自転車で帰宅します。(もちろん雨等で地下鉄も結構利用します。)
私は足立区に住んでいますのでそこからお店のある千代田区神保町までは恐らく12キロ位、往復24キロでしょうか。ただ国道4号(日光街道・昭和通り)はほぼ平らなので運動量はさほどではないと思います。

それにしても痩せないのは不思議です。この私、一年中食欲が落ちないのです。食事時にビールを飲んだりするともう一杯ご飯をおかわりしてしまいます。
週に2,3回は早めに家を出て仕事前の夕方からジムに行って筋トレで身体を動かすのですがこれでまた食欲が更にすすむ事になるわけです。

さて千代田区は基本的に会社の街、お店のお客様は基本サラリーマンの方なので特にお盆はどうしてもお休みが多くご来店が出来なくなるのは致し方ないようで。
お盆の時期は我がグルーヴィンも静かです。まあ近くの他のお店も同様なのでこればっかりはどうしようもありません。最近は考え方を変えてこういう時だって仕事なんだと思っています。
そこで考えたのがお店のチラシを作り近場のホテルに置いてもらおうと考えたのです。
お店がオープンしたての頃、近場の数箇所のホテルに置いて頂いたところ結構宿泊の外人さんが大人数でドアを開けてくれたり、東京に旅行中の娘さんや出張の会社員の方に来て頂きました。面白いでしょ。ホテルのフロントの方々は結構近場の情報を知りたいようなのです。ですから必ずチラシは受け取って頂けます。また昨今は外国観光客の宿泊が相当数増えているそうです。ある老舗ホテルのフロントに訪ねると70パーセントは海外からのお客様だそうです。この状態は東京オリンピックまでは続きそうです。
さて結果をまたこのブログでご報告しますね。
もっともいつもご常連でお店が一杯でしたら一番良いのですがね。

バーは待つのも大事な仕事なんだと思います。営業方法を考えるって何かとっても前向きで楽しい事に感じがます。おじさんまだまだ老け込んでいられません。

●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
 その13 「もゆる瞳 歴史に残る永遠のロッカバラード」

このコーナー少し久しぶりです。あまり連発でやってしまうと一曲の練習が足りなくなりますもんね。一ヶ月に一曲位のペースがいいですよね。
今回は62年の大ヒット曲ボビー・ヴィーの「もゆる瞳」です。
コードのかき鳴らしでまとめました。
最後の方でキーが変わるのがやり辛いですがチャレンジしてみましょう。
いやあ涙が出るほどの名曲、70年代にカーペンターズも名作アルバム「ナウ&ゼン」にてメドレーでカヴァーしておりました。ロックンロールって本当に素晴らしいです。

とりあえず弾いてみました。今回は特に音が歪んで申し訳ございません。


        
        「もゆる瞳」

               ボビー・ヴィー

※カポタスト1フレットでプレイ

イントロ D   F G A  2回

D                Bm
They say that you're a runaround lover,
      Em A    D G A
though you say, it isn't so
D             Bm
But if you put me down for another,
E7           A
I'll know, believe me, I'll know
      Bm
'Cause the night has a thousand eyes,
        Em  A       D
and a thousand eyes, can't help but see
Em     A     D  Bm
if you,   are true to me
  Em       A       D     Bm
So remember when you tell those little white lies,
    Em  A          D
that the night,   has a thousand eyes

D                   Bm
You say that you're at home when you phone me,
Em    A        D  G A
and how much you really care
D                   Bm
Though you keep telling me that you're lonely,
E7           A
I'll know if someone is there
      Bm
'Cause the night has a thousand eyes,
        Em  A       D
and a thousand eyes, can't help but see
 Em  A     D Bm
if you, are true to me
  Em    A     D          Bm
So remember when you tell those little white lies,
    Em  A            D  ここでE♭
that the night,     has a thousand eyes

E♭                Cm
One of these days you're gonna be sorry,
      Fm   B♭   E♭  G♭ A♭
'cause your game I'm gonna play
E♭               Cm
And you'll find out without really trying,
F7            B♭
Each time that my kisses stray
     Cm         
Cause the night has a thousand eyes,
        Fm  B♭    E♭ Cm
And a thousand eyes will see me too,
  Fm  B♭    E♭ Cm
And no matter what I do,

    Fm  B♭      E♭    Cm
I could never disguise all my little white lies,

     Fm  B♭           E♭ Cm
Cause the night     has a thousand eyes.

  Fm      B♭      E♭    Cm   
So remember when you tell those little white lies,
     Fm  B♭        E♭  G♭ A♭ B♭
That the night    has a thousand eyes.
 
E♭  G♭ A♭ B♭ E♭ 終了


●ロックンロールよもやま話    -その61-

            「バディ・ホリー、そしてクリケッツ」

日本では50年代のロカビリーブーム時、恐らくバディ・ホリーを聴き込んでいた人は一部の音楽マニアでしょう。日本で彼の曲がヒットした形跡はないのではと思います。現在オールディーズ音楽が大好きな人でもバディの作品をあまり聴かない方だっていらっしゃいます。
さてそれはともかく伝説のロックスターである事は間違いありません。
英国のビートルズを始めとするマージービート等のグループがこぞって熱を上げて沢山カバーしているようです。さてバディの細かい経歴等は特にここでは記事にしませんがややこしいのは彼の作品がクリケッツ名義であるものとバディのソロ名義であるものがある事です。

私は実にいい加減で別にどちらでもいいや、どうでもいいよくらいなのですがそうはいかない方もおいででしょうから一応整理しておくと、バディは最初はデッカレコードで作品を発表しましたがほとんど話題にならなかったようです。その後ノーマン・ぺティに見出されクリケッツを結成してギターとボーカルを努める訳ですがそちらの作品はブランズウィックレコードから、ソロ作品はコーラルレコードからとなったようです。57年「ザットルビーザデイ」はクリケッツなのでブランズウィック、「ペギースー」はソロ名義でコーラルという感じ。どの曲がバンド名義でどれがソロ名義か・・・これはネットや書物で確認出来ますのと私自身がまったく拘らないのでここではカキコしませんです。ハハハ。

さてバディは59年2月に飛行機墜落事故でこの世を去っておりますので脚光を浴びていた期間って2年かそこいらですね。ヒット曲は十数曲です。ですからエルヴィスやチャック・ベリー等キャリアが長い人達と比較は出来ませんけど。

特に好調にセールスしたのは上記2曲と「オーボーイ」「メイビーベイビー」「イトダズントメターエニィモア」あたりで後はスマッシュヒット、小ヒットのようです。かといってその功績は多大なもの、彼が存命ならロック音楽がもっと変化していたでしょう。ビートルズのその後の作品にも変化があったかも知れません。
デビュー当初はロカビリー、その後はかなりノリのいいロックンロール、ロッカバラード等にも移っていくようにも思えました。その後のアイドルが歌った甘ったるいものでなく洒落とビートの効いた大人のロックといった・・・

さてバディの事はこれくらいで後に残ったクリケッツ。

私事ですけど80年代の中盤、恐らく池袋「メモリーレコード」だと思うのですが一枚の輸入盤LPを見つけ購入しました。
「ザ・コンプリート クリケッツ」全20曲です。当時1枚の中に20曲は異例であったようです。その楽曲の良さにとても魅かれ演奏能力の高さにびっくりしたものです。
収録曲はバディの死後、ブランズウィックとコーラルで残されたクリケッツのメンバーのシングル発表曲のA面、B面が網羅されたこのLPの価値は実はつい最近気がついたのです。お恥ずかしい・・・

ソニー・カーティス(ギター、ヴォーカル)ジェリー・アリソン(ドラム)が中心人物で特にドラム好きな私はジェリーのスピーディーで軽やかなスティックワークは大好きで今現在も目指すものです。


クリケッツ自体はバディの死後の活動ではヒットチャートに上がる曲はないようですが62年にゴフィン&キングの作品「ドントエヴァーチェンジ」が英国で大ヒットしていたのです。

この曲はビートルズにも取り上げられています。そちらでご存知のファンも多いでしょう。
この曲は上記のLPには選曲されていません。(リバティレコードでの作品)
ただこのLPを手に入れるずっと前の高校時代「ジュークボックスジャイブ40」という2枚組みのLPを購入していてこの中にオリジナルの録音で収録されており当時17歳の私は大好きな曲でした。ピアノ音が軽やかでセンチメンタルなメロディ・・・

中心人物のソニーとジェリーは元気で現在も演奏活動をしているようです。ソニーとジェリーで書き上げた曲は素晴らしく「モアザンアイキャンセイ」はボビー・ヴィー、レオ・セイヤーでヒットしています。またソニーが書き上げた「アイフォートザロウ」はボビー・フラー・フォー66年のヒットでクラッシュ等にも取り上げられているようです。最初に録音をしたのはやはりクリケッツでしょう。

しかし70歳をとうに過ぎているのに現役のミュージシャンというのは凄い事ですね。
もしバディが存命であったらクリケッツの活動も大きく変わっていたでしょう。今でもバディがメンバーであった可能性もありますもんね。

現在のバンドの要素、リズムギター、リードギター、ベース、ドラム等の確立はクリケッツによって行われたという説があります。凄い事を今から60年近く前に行っていたのですね。現在の世界中のアーティストも知らない内に彼等の強い影響を受けているわけです。確かにビートルズもストーンズも彼等の音楽に熱狂してコピー・カヴァーをしていたわけですから凄いバンドです。バディを含めてこのクリケッツ、もっともっと若い世代に耳にして欲しいのです。

いいものはいい、古かろうと新しかろうと・・・グルーヴィンにいらしたら是非リクエストして下さいね。ロック音楽60年・・・その中でも歴史に残るバンドであるはずです。

拍手[0回]

PR


夏はビアカクテル

はい、いつまでもアチッチな日が続いてます。9月上旬くらいまでは毎年こんな感じでしょうか。
当店ではそんな時期もあり、特にビール好きなお客様のためにビアカクテルの種類を増やし正式にメニューに加えました。以下のものです。

・ビターオレンジ(ビールとオレンジジュースのブレンド)
・パナシェ(ビールとレモン系炭酸ジュースのブレンド)
・ビアスプリッツァー(ビールと白ワインのブレンド)

いやあ実に美味しそうです。いや美味しいのです。ビアスプリッツァー以外はアルコール度数も低めですので健康にも良いですね。
今までメニューにあったシャンディーガフ、レッドアイ、ドッグスノーズも含めて是非この夏お楽しみ下さい。
各800円です。量もたっぷりですよ。

●グルーヴィンではボトルがキープ出来ます。

グルーヴィンはボトルキープが可能なのはご存知でしたか。
スナックでは多いのですがショットバーでは基本的にないシステムです。

もし是非キープしたいと思われましたらご希望のお酒(ウイスキー・焼酎に限ります。)の在庫があるか当方にご確認頂きお値段等をお聞き頂きたいと存じます。

例を挙げますとザ・グレンリベット12年をキープされた場合

・ザ・グレンリベット12年    7,000円
・セット料金(氷、炭酸、水込み)2,000円
合計9,000円のお会計です。(通常のチャージ1,000円は頂戴致しません。)
次回ご来場時のお会計はセット料金2,000円のみでお楽しみ頂けます。お得ですのでどうぞお申し出下さいね。
なおキープ期間は3ヶ月間です。ご注意下さい。

●ロックンロールよもやま話    -その60-
「音源がなかなか手に入らず苦労した思い出 メッチャ明るいアイドルスター」

現在グルーヴィンにあるオールディーズ歌手のアナログ音源は私が高校時代から社会人をしていた若い時期に大半を揃えました。

当時70年代から80年代、国内盤のアナログレコードで入手不可のアーティストは輸入盤を頼るのですが、よくお休みの日にふらりと出かけて行ったレコード屋さんが都内に2箇所ありました。

池袋「メモリーレコード」
渋谷「東邦生命ビル内 すみや」

さて80年代中頃、私が20代の頃たまたま渋谷のすみやさんにて見つけたのがゲイリーUSボンズのベストLPでした。
「何かいいレコードないかなぁ」と棚に重なったLP盤を探っていくのが当時このうえない楽しみでしたので見つけた時は胸がときめきました。「ガハハ、ようやく見つけたぞ」と。
まるでお気に入りの女子とようやくデートの約束が出来たがのようです。

「ザ・ベストオブ ゲイリーU.S.ボンズ」

A面
①ハヴィン ソー マッチ ファン
②ディア レディ ツイスト
③ニューオリンズ
④ホエア ディド ザ ノフティ リトルガール ゴー
⑤真夜中のロックパーティー

B面
①ノット ミー
②セブンデイ ウィークエンド
③スクール イズ アウト
④ツイストツイスト セノーラ
⑤スクール イズ イン

合計10曲と当時でも少ない曲数なのですが大満足でした。
彼の全盛時の基本的なヒット曲はこのレコード盤で揃ってしまいました。

その後やはり同じすみやさんで購入したと思うのですが「グレイテストヒッツ ゲイリーU.S.ボンズ」(全12曲)を購入して全盛期過ぎの66年の小ヒット「テークミー バック トゥ ニューオリンズ」を入手する事が出来ました。

ゲイリーの一連のヒット曲はとにかく明るくて基本的にバラードはありません。
私が一番好きな曲は61年に米国トップとなった「真夜中のロックパーティー」。
パーティー会場でのライブといった趣で歪み気味の荒々しいワイルドな録音に聞えます。確かに録音時の機材やスタジオの関係で致し方なかったようですがわざとそのように録音したと私は考えています。曲調はディオンの名作「浮気なスー」とよく似ていて体当たり的なボーカルもまったく同様に感じます。

60年のデビュー大ヒット曲「ニューオリンズ」はスピーディーで力強いサウンド。やはり歪み気味の録音ですが。
日本のフィンガー5の「個人授業」に影響を与えたのでしょう。お馴染み「ヘーイ ヘイ ヘイ ヘーイイェア」がフューチャーされ今聴いてもぜんぜん古さを感じさせないのです。
悪くいえば彼のヒット曲、どれもこれも同じに聴こえゆったりしたラブソングはまったくありません。
ドラムのロックビートが強調され同時代の白人歌手フレディ・キャノンに通じるものがあるようで。
またリズム&ブルースぽいサックスが非常に印象的であります。
まさに黒人アイドルスターの極みといって良いのではないでしょうか。

39年生まれの彼は全盛時の60年から62年は20代前半で細身で実に可愛らしくハンサムでその他の当時のロッカーによく感じられる影・暗さは微塵もなく底抜けに明るくてかっこいいお兄ちゃんといった感じを受けます。その為か白人女性や男性にも多大な人気を持っていたようです。あのブルース・スプリングスティーンも彼の大ファンで81年にゲイリーがカムバックして大ヒットさせた「ジス リトルガール」等、アルバムのプロデュースに参加して脚光を浴びました。

50年以上も前のサウンドなのにメッチャいかしていてソウルフルでもありファンクでもありそして間違いなくロックンロールであります。ゲイリーのヒット曲は全部で十数曲ですが大スター、チャビー・チェッカーにも負けない体当たりサウンドでした。
このブログ記事を書きながらターンテーブルより針音でBGMとして流しています。「うわー、楽し~」
当店で洋酒を飲みながら是非お楽しみ頂きたいアーティストの一人です。
仕事のストレスなんか小さい小さい。ガハハ

拍手[0回]


今年もお盆は通常営業です。

今年もお盆は通常営業です。
8月のお盆の時期、やはりお休みをとる企業の方々が多いですね。
どうぞ、故郷にお帰りになられたりお家で趣味を楽しんだりして英気を養って下さい。

さてグルーヴィン、8月の営業のお知らせです。
お盆も関係なくの老骨ムチを打っての計26日間の営業です。
お休みは以下の予定です。

・8月 2日(日)
・8月 9日(日)
・8月16日(日)
・8月23日(日)
・8月30日(日)

私もそろそろ日焼けして来ました。
暑い日が続きます。「夏は楽し」ですね。

●ロックンロールよもやま話    -その59-
      「ロックンロール史上に残るイケメン大スター  リッキー・ネルソン」

私は男なのでテレビや雑誌を見ていて美人、カワイコちゃんは気になりますが最近の男性タレントを見ていると「なんで彼がこんなに若い女性に人気があるのかな」と思う場合があります。
あきらかにハンサムな場合はよく理解出来るのですが中には街を歩いている男の子とどこがそんなに違うのかなと思う場合も多数あるのです。ごめんなさい。でもどこにもいるようなんだけど、ちょっとイカしたというのも流行りなのかな。

さて1950年代の米国、女性からはもちろん同性の男性から見てもあきらかにハンサムな男の子がいました。
はい今日の主役は偉大なロックンロールスター、リッキー・ネルソンです。

リッキーは1940年5月ニュージャージー州に生まれました。本名エリック・ヒリアード・ネルソン。

父も母も人気スターでラジオ番組を持っていました。家族で出演するようになり本名のエリック→リッキーとなったのでしょう。50年代に入るとテレビ放送となりました。

50年代半ばロックンロールが過熱してエルヴィスが登場するとリッキーも歌手を目指します。

57年に「十代のロマンス/アイムウォーキン」でデビュー、これが両面とも全米の大ヒットとなりました。アイムウォーキンはファッツ・ドミノのカヴァーでした。そのファッツの所属しているインペリアルレコードに移籍、第一弾「ビーバップベイビー」が大ヒットで5位まで上がります。その後も「ストゥッドアップ」「ビリーブホワットユーセイ」等大ヒットとなり58年8月に「プアリトルフール」がついに1位を獲得します。甘い声で当時のロックスターの中でも歌唱力はピカイチだと私は思います。

彼の全盛時代は62年位まででしょうか。この時期までの特に大きなヒットは「ロンサムタウン」「イッツレイト」「お前一人が」「ジャストアリトルトゥーマッチ」「スィーターザンユー」「トラベリングマン」「ハローメリールー」「ヤングワールド」「ティーンエイジアイドル」「恋のアイドル」と相当数あります。とにかく両面ヒットも多くエルヴィスに匹敵しますね。

63年あたりになるとやはりヒットは小粒になります。
デッカレコードに移籍、「フールズラッシュイン」そして名曲「フォーユー」が大きなヒットになっています。彼のオールディーズの時代はここいらで終了ですがカントリー音楽に戻り72年「思い出のガーデンパーティー」が6位まで上がる大ヒットを記録しています。

リッキーは早くから映画にも出演、ジョン・ウェイン主演「リオブラボー」は有名ですね。
デビュー当初からギタリストとしても素晴らしくバンドの中でボーカルとリズムギターを担当していました。やはり当時のロックスターはギターも上手いものです。

時は進み85年の大晦日、彼はツアー移動のために飛行機を使いました。スタッフ達と一緒に乗ったのですがテキサスで墜落、帰らぬ人になりました。まだ45歳の若さでした。

さて61年に発表した「リックイズ21」というアルバムの解説にリッキーからリックに名前を変更した旨が記述されています。いかにも少年のニックネーム、「リッキー」はもういいやと改めたそうです。
彼は全盛時にすでに50曲以上をヒットチャートに送り込んでいます。
日本では「ヤングワールド」が一番知られていたかもしれません。

大筋はロッカバラード歌手でしたがカントリーの味わいも持ちデビュー当初はロックンロールも歌えパット・ブーン同様に白人家庭に安心してワイルドなロックをやわらげて提供する役割も担っていたかもしれないなと思います。


リッキー・・・リック・ネルソン。この人もキングオブロックンロールの一人であると私は思っております。少年期から青年時代をロックンロールの世界に捧げた大スター、超ハンサムマンでした。グルーヴィンでは全盛期の大半のヒット曲をアナログレコードでお聴き頂けますのでじっくり味わって下さいねまたどうぞCDやダウンロードにて音源を購入され、そのまろやかな歌声をお楽しみ下さい。

拍手[0回]


ギターも楽しいグルーヴィン

●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
 その12 「悲しき街角 さあ仕上げましょう。」

今日はこの曲の2回目ですね。
コードはわりと簡単です。
まずは歌詞とコードをさらってみて下さいね。

      「悲しき街角」
                   デル・シャノン
Am       G
As I walk along, I wonder..what went wrong
F
with our love..
         E
a love that was so strong.
Am          G
And as I still walk on, I think of, the things
      F
we`ve done together..
          E
while our hearts were young.

A          F#m
I`m walking in the rain..tears are falling
and I feel the pain..
A             F#m
wishing you were here by me..to end this misery.
A           F#m    A
I wonder..I wa-wa-wa-wa-wonder?...Why?
           F#m
wha, wha, wha, wha, why, she ran away?
   D           E
And I wonder, where she will stay-yay..
    A    D        A    E
my little runaway..run, run, run, run, runaway.

(エレクトーンソロはギターでね。)
A           F#m
I`m walking in the rain..tears are falling

and I feel the pain..
A             F#m
wishing you were here by me..to end this misery.
A           F#m    A
I wonder..I wa-wa-wa-wa-wonder?...Why?
           F#m
wha, wha, wha, wha, why, she ran away?
D             E
And I wonder, where she will stay-yay..
A        D        A
my little runaway..run, run, run, run, runaway.
D         A
Run, run, run, run, runaway...
D         A
Run, run, run, run, runaway...

曲中のEのコードはE7でもOKです。
今回も下手くそな動画をお付けします。なお今回も写りが悪い上に音が歪んだりで申し訳ございません。


●ロックンロールよもやま話    -その58-

        「思い出のベスト盤 永遠のアイドル ボビー・ヴィー」

高校時代、私はオールディーズのレコードコレクションを始めました。
その頃特にレコードで手に入れたかった歌手がボビー・ヴィーでした。当時からロッカバラードに目がない私、池袋にあったメモリーレコードにてようやく輸入盤で彼のベスト盤を探し出し手に入れました。
40年近く経った現在でもこのLPは宝物としてグルーヴィンに保管されております。

「ザ・ベリー・ベスト・オブ・ボビー・ヴィー」
A面
1. さよならベイビー
2. ラントゥーヒム
3. ラバーボール
4. ア・フォーエバーカインドオブラブ
5. 浮気なあの娘
6. 天使か悪魔か
B面
1. もゆる瞳
2. モアザンアイキャンセイ
3. 涙の思い出
4. スージーベイビー
5. バーバラの事は聞かないで
6. かわいい天使
以上12曲で全盛期の主だったヒット曲が網羅されております。

ボビーのレコードは日本盤がその後キングレコードより発売されました。
「ボビーヴィー/ゴールデングレイツ」(全14曲)。
これにより他のヒット曲「パニッシュハー」「恋のダブルパンチ」等を聴く事が可能になりました。ライナーノーツはかまち潤さんでした。
なおグルーヴィンではこれらのアナログ盤とCDで全盛時代のシングル盤はほぼすべて聴く事が出来ますのでどうぞリクエストして下さい。素晴らしい歌唱力です。

さてここでボビーの話をしておきますね。
1943年にノースダコタ州で生まれます。音楽一家に育ちました。
ボビーの歌声は彼の永遠のアイドル、バディ・ホリーの影響を強く受けたものかと考えます。高校時代にギターを弾きだし兄や友人とバンドを組みバディの曲をカバーしていたようです。
59年地元で行われる予定の憧れのバディのステージを心待ちにしていた彼なのですがツアー移動中の軽飛行機墜落事故でバディは亡くなってしまいました。
失意のボビーでしたがそのコンサートの穴埋めで出演バンドを募集していた事を知りシャドウズ名義でオーディションを受け見事に認められました。ステージも好評でした。

「スージーベイビー」でシングルデビュー、すぐにリバティレコードに移りこの曲は小ヒットになりました。続くシングルは英国アダム・フェイスのヒット「ホワットドゥーユーウォント」をカバー、これも小ヒットとなります。(バディの影響を強く受けた歌唱はオリジナルのアダムもまったく一緒です。)
さてまずまずのスタートを切ったボビーの大躍進は次のシングルでした。
クローヴァースのカバー「天使か悪魔か」でした。
この曲60年10月に大ヒット、6位まで上がります。
続く歴史的な名曲「ラバーボール」も大ヒットでやはり6位です。
その後も安定して好成績を続け、61年10月には「さよならベイビー」でついにビルボードチャートトップを掴みました。続く「ラントゥーヒム」も2位まで上がりロッカバラードのトップアイドルとなりました。以後も順調に出すシングルはヒット曲となり63年2月「もゆる瞳」が3位まで上がりました。この後は緩やかにヒットは小粒になります。時代はブリティッシュグループの時代に入り以前からのアメリカンポップの人気は過去のものになりつつありました。
67年9月に「素敵なカムバック」が3位まで上がりましたが70年くらいを最後にヒットチャートから姿を消します。
ボビーは当時のアイドル歌手の中でもヒット曲が多くロックンロールの歴史の中でも極めて重要な存在と私は考えます。
もちろん現在も元気でロックンロールショーの常連だそうです。

さてグルーヴィンにあるLP盤は購入後40年近いものも多数あります。2015年の今、オールディーズのアーティストの音源はCDで簡単に手に入ります。幸せな時代です。

70年代、私が必死になって買い集めたレコードが今もグルーヴィンの戸棚に保管されています。
有難いことに昨今の静かなアナログブームでレコード針も調達しやすく、これらレコード盤は私の老後もずっと楽しむ事が出来そうです。
CDで聴く音源とはまた違った格別な味わいがあります。生ビールと缶ビールの差があるような気がします。なんという例えでしょう!ハハハ。
(もっとも最近はCDで不足の音源を購入しています。)

遥か昔の昭和の私が17歳の頃、ボビーのレコードをようやく見つけて購入した時の喜び、それを持って電車に乗り、家に帰るまでのときめき、安価なポータブルプレーヤーでその楽曲に触れた感動・・・私の人生が終わるまで忘れる事はありません。
56年前バディの死によって生まれ出た永遠のアイドルスター、ボビー・ヴィー。
ポピュラーミュージックを愛する若い世代の方々にも是非ともお聴き頂きたいものです。
グスッ・・・(;O;)

拍手[0回]


オールディーズバーって・・・

最近よく思うのですがお客様が看板を見てお入りになる事が度々あるのです。本当に有難い事です。
大概はやはりロック音楽がお好きな方がドアを開けて頂くのですが、かなりの確立で「どんなロックの音源があるの?」と聞かれるです。
看板には50s、60s(フィフティーズ、シックスティーズ)と記入しているのでまさにロックンロール黄金期のオールディーズの音源というつもりなのですが、やはりうまく伝わらないようなのです。いまやオールディーズという言葉の理解が困難な時代となったのかもしれません。
オールディーズロックンロール、50年代から60年代中期までのアメリカンポップス及びそれに類する曲・・・
これが当店のBGMにおけるコンセプト・・・
2015年の現在、すでに過去の世界の音楽になっているのかもとも考えます。

ロックバーでは定番のグランドファンクレイルロード、ディープパープル、ACDC、クイーン
どれもこれも素晴らしいアーティストです。歴史に残る名盤を発表し続けました。
50年代からのロックンロールが変化し開花して60年代後半から80年代ロックの黄金期を飾った連中達。
ただ当店ではあくまでもオールディーズ黄金時代にコンセプトをとっているのでそれらの音源は基本置いてないのです。
ただ否定している訳ではまったくございません。私も70年代に少年期を過ごした年代ですから。
どうぞお家からそれらのレコードやCDをお持ち頂けますと幸いです。当店の拙い機材でよろしければ是非ともおかけしてお楽しみ頂こうと思います。他のお客様もきっと喜ばれると思います。
音楽に古いも新しいも大した問題ではないしジャンルも杓子定規に分ける事もどうかと思います。
良い物は良い!
これでいいのではないでしょうか。
楽しくお酒が飲めればそれでいいのです。

●「ギターで歌って遊ぼうよ。オールディーズポップス」
     その11 「悲しき街角 永遠の名曲にチャレンジ!」

街角男デル・シャノン。現在でも世界中のロックファンに人気のアーティストです。
1961年の歴史的な大ヒット曲、今回から2回に分けてチャレンジです。
まずは中盤の有名なエレクトーンのソロをギター用に直してみました。
でもこの通りでなくてご自分でアレンジしてしまう方が楽しめると思います。

なおこの曲のオリジナルのキーはB♭マイナーのようですがデル・シャノンは半音上げたチューニングしているのではないでしょうか。当時の動画を見るとAマイナーでプレイしております。ですのでオリジナルの録音と一緒に演奏するならカポタストを1フレットにセットしてしまうのが良いでしょう。80年代のライブ動画ではもう普通のチューニングでAマイナーのキーで演奏しているようです。
次回は全体を通して演奏出来るようにしましょう。
ド下手な映像またお付けしときますね。いやあ結構難しく沢山間違ってしまいました。ごめんなさい。


●ロックンロールよもやま話      -その57-
       「架空の存在が人気者に デヴィッド・セヴィルとチップマンクス」

チャーリーが3回に渡るエルヴィス特集ですっかり疲れたらしく、ここ数回は私、グルーヴィンの平子が担当しましょう。

欧米ではレコーディング時はスタジオミュージシャンが演奏を担当し、そこに本人たちのヴォーカル、コーラスをかぶせて録音するという事が沢山あったようです。そりゃ歴史的な録音ですから完璧なものを作るためには当然でしょうね。「なんだ、そんなの偽者じゃんか」なんて杓子定規な話だと私は思いますです。

例えば英国ハーマンズハーミッツですが彼等も演奏は実際上手いのですがレコーディングの演奏は基本的にスタジオミュージシャンであるようです。メンバーはヴォーカルのピーター・ヌーン以外はコーラス程度で参加なのでしょうか。

米国ビーチボーイズの場合は特に初期の演奏スキルは録音に適さなかったのかもしれません。実際は有名なスタジオミュージシャンが演奏しているのですね。
ビーチボーイズの演奏を古いライブレコードで聴くと途中でテンポが速くなってしまっていたりでかなりワイルドに感じます。ギターのソロも結構荒っぽかったりね。
何しろビートルズのような多数のライブでの修行が足りないまま人気者になったからのようです。

まあどちらにしても実際は影でスタジオミュージシャンが大活躍していたのは世界各国どこも当たり前の話だと思います。本人達はライブコンサート以外は実際演奏していない事が多かったはずでしょう。でも結果、ファンも大好きなアーティストの熱演を沢山見る機会が増えたのですからそれで良かったのでしょう。

さて今回のお話の主役はそれどころじゃありません。存在自体まったくもって架空、アニメの人気者、チップマンクスです。
  
1958年の大ヒット曲「ウィッチドクター」。奇妙なロックンロールソング、ノヴェルティソングで恋のアドバイスを魔術師に教えを請う内容でしょうか。
その呪文は「ウーウー・ウハハー・ティンティン・バラバラブンバン」こんな感じでしょう。
ヴォーカルはデヴィッド・セヴィルですがコーラスはいわゆる「虫声」という録音の早回しです。これもデヴィッド本人の声であるようで日本では60年代後期にフォーククルセイダース「帰って来たヨッパライ」で有名な手法ですね。最近では「お尻かじり虫」かな。

そのデヴィッド・セヴィルとは当時すでに著名な存在でローズマリー・クルーニー「カモナマイハウス」の作者で俳優・ソングライターのロス・バクダサリアンのステージネームでした。
さて「ウィッチドクター」はそのデヴィッド・セヴィル名義で発売されました。
58年に記録的な大ヒットとなりこの曲のおかげでキング、エルヴィスの名曲「思い出の指環」も2位までが精一杯であったのです。凄い事です。

この曲の大ヒットの後、やはりデヴィッド名義で「ザ・バードオンマイヘッド」をスマッシュヒットさせましたがこれらの続編を望むスタッフの希望で虫声のキャラクターを具体的に考える事になり「シマリスが歌っている事で行こうよ」となったそうです。
シマリスは3匹いてアルヴィン、サイモン、セオドアと名前が付けられました。

さてその3匹、ザ・チップマンクスと名付けられいよいよ発表したシングルは「ザ・チップマンクソング」
58年12月22日付けのビルボードでティディベアーズ「会った途端に一目惚れ」を蹴落としトップを奪うと4週連続で居座るクリスマスシーズンを飾る大ヒットとなりました。
次のシングル「アルヴィンハーモニカ」も59年3月に3位まで上がる大ヒット。
子供のみならず大人の世界でも大人気であったわけです。

「アルヴィンショー」というテレビアニメも製作され、日本でも後日「わんぱく3人組」として放送されました。当初はリスらしいキャラクターでしたがこのアニメの頃は完全に擬人化され日本でもお馴染みの姿になっています。

シングルヒットも続き「ラグタイムカーボーイジョー」「アルヴィンオーケストラ」「ルドルフザレッドノーズドレインディア」等がスマッシュヒットしています。
ビートルズのカバーLPも製作されました。
(グルーヴィンでは発表されたシングルの大半がCDベスト盤でお聴き頂けます。)
3匹の愛らしいコーラスに親がわりのデヴィッドとのかけ合いが楽しく、当店人気のBGMで先日もお若いお客様達に大好評でした。

なおデヴィッド役のバクダサリアンは72年にこの世を去りました。
しかしチップマンクスは近年も映画が作られ、まさに50年以上も全米いや世界中の人気キャラクターなのですね。
60年代後半やはりアニメキャラクターで架空のバンド、ジ・アーチーズなんてのもあり日本のお茶の間でも放送され人気があったような記憶があります。「シュガーシュガー」懐かしいですね。
またアニメではありませんが架空の家族バンドを描いた「パートリッジファミリー」なんて結構人気があるテレビ番組でした。歌も随分ヒットしました。

今日ご紹介したチップマンクスも含めどれも少年少女向けの一種バブルガムサウンドかもしれませんが見事にポピュラーソングの歴史の1ページを飾ってくれました。
かつての外国テレビ番組はまさに日本の家庭に素敵な夢を運んでくれた宝物でした。現在はそんな番組はほとんど無くなってしまいました。古くても素晴らしいものっていくらでもあるものでした。
ありゃりゃ!話がまとまらずデヴィッドとリス達に怒られそうです。ごめんなさい。
本日は平子がお伝えしました。次回は誰を主役にしようかな。ハハハ!

拍手[0回]

<<< PREV     NEXT >>>